44.ユーノの日 4


 ローズ菓子店のレシピ付き販売は好評だった。


 レシピを用意してある焼き菓子に対して、レシピあります、のポップをつけておくと、生菓子だけ食べにきたお客さんも、焼き菓子を買って行ってくれた。


 レシピは家庭でも作りやすいようアレンジしてあるけど、見た目や味は、お店のものにかなり近い。


 できあがりが想像しやすい、というのは、レシピに大事な要素だろう。現代とちがって、この時代は写真もないのだから。


「砂糖の代わりに、ハチミツを入れるとしっとり仕上がりますよ。ココアを入れるなら、その分、粉を減らしてくださいね。入れすぎると粉っぽくなるので、粉に対して一・五割くらいで」


 渡す際に、マロンはこまごま、アドバイスもする。

 それを見て、スミレ菓子店の店長と弟子が目を丸くしていた。夏以来、ここの店とは気軽におたがいの店を行き来する仲だ。


「レシピ配布とは。思い切ったことするな、おたくの店長は」

「発案は私です。菓子職人にとって、レシピがそんなに重要だと知らなくて」


 クレープのときも、そうだ。私の発案を、マロンが真っ先に受け入れてくれた。

 臨機応変が苦手といっていたわりに、マロンは適応が早いよね。


「レシピ配布している以外のお菓子でも、そのお菓子を買えば、レシピを教えてもらえたりとかは、するか?」


 スミレ菓子店の店長が、おそるおそる、マロンにたずねた。


「もちろんいいですよ? スミレ菓子店さんなら、わざわざお菓子を買っていただかなくても、お教えします。その代わり」


「うちの素材の仕入れ先が知りたいか?」

「それも魅力的ですけど。今回は一レシピにつき、一恋バナお願いしまーす」


 マロンは喫茶のイスを引いた。スミレ菓子店の店長に、奥さんとのなれそめ話を要求する。


 うん、結構な羞恥プレイだろうな。


 店長さん、めっちゃ照れてる。汗かいて、ごつい体でちぢこまってる。なんかカワイイ。おっさん萌えに目覚めそう。


 ちらちら様子をうかがいながら、私は喫茶のカウンター席に、溶かしチョコレートやアイシングの入った器、ナッツや花の砂糖漬けなどをならべた。


 スミレ菓子店の弟子が気にする。


「おたく、今度は何を用意しているんだ?」


「お菓子のデコレーションコーナーです。

 買って渡す人でも、自分で一手間加えられたら楽しいかなって」


 トッピング材料をならべ終わると、私は見本として、マフィンにチョコレートをつけてオレンジピールをのせ、クッキーには文字を書いて置いた。


「百カロリでデコレーションし放題。

 さらに百カロリで、リボンや薄紙、紙袋、メッセージカードを使って、ここでラッピングもできるようにするつもりです。

 どっちも少ししか使わないから、個別に作ったり買ったりするの、結構めんどうだと思って」


 若い女性客二人が、さっそく利用しに来てくれた。

 これも、さほど店側の手間がかからないので楽だ。

 必要以上に使われるという心配はあるけれど、喫茶のカウンター前にはマスターがいるので、そう無茶はされないだろう。


「デコレーションサービスか。マネしたいけど、うちは店が狭いからなあ。

 レシピ配布も、うちは材料にこだわっているから、お客さんが家庭で作っても、同じ味にはならないだろうし」


「だったら、今の時期だけ特別に、材料を小売りしたらどうですか?

 スミレ菓子店の素材の良さは、お客さんに知れ渡っていますから、バターやクリームが小売りされていたら、手作り好きの方が欲しがるんじゃないでしょうか。

 いっそ、ケーキやクッキーの材料一式をセット販売したら、便利かも?」


 う。なんだ? まじまじ見てくる。肩をつかまれた。


「あんた、顧問アドバイザーとして、月一でバイトしに来ないか?

 うちのお菓子、なんでも好きに食っていいからさ。

 あんたの好きなクッキー&クリームのアイスも食べ放題だ」


 よろめいたら、マロンが私を奪取してカウンター内に引きもどした。


「スノウちゃんはうちの大事な企画部長にして看板娘ですっ。勝手にスカウトしないでくださいっ!」


 いつの間にか企画部長に昇進してる。

 偉くなったもんだなあ。全部、前世で見たアイデアなのに。


 スミレ菓子店さんが帰っていった後、もう一人、他店の菓子職人が来た。

 年始に偵察に来た、キルシュ菓子店だ。今日は一人だけ。女性のみ。

 前はサイズの合わないドレス姿だったけど、今日は質素なワンピース姿だった。


 まじまじと、前回買っていったザッハ・トルテを見つめている。

 声をかけようかどうしようか迷っていたら、マロンが話しかけた。


「チョコレートケーキがお好きなんですか?」

「い、いえ、その。前にこのケーキを頂いたのですが、い……いいお味だったので」


 おいしいと認めることが悔しいらしい。女性の歯切れは悪い。


「これ、チョコレートコーティングがむずかしくて。毎回、成功するかドキドキなんですよ」

「やっぱり。特別な技術が要りますよね?」


 女性が食いつくと、マロンが少し首をかしげた。


「ひょっとして、お作りになる側の方でした?」


 女性ははっとして、荒れた手を隠した。

 マロンはエプロンのポケットから、革張りの手帳を取り出す。


「よかったら、お教えしましょうか? 一般の方には難易度が高くてお勧めできないんですけど、職人の方ならすぐマスターできると思いますし」

「結構です!」


 女性はマロンをにらみつけ、店を飛び出していった。

 マロンはぽかんとしている。


 素直に聞けばいいのになあ、キルシュ菓子店さんも。

 まあ、素直に聞かれたら、この後のイベントがなくなるから、困るんだけどさ。


 そろそろ次のイベントが起こるかな、と期待していたら、その通りだった。

 三日後、マロンが私に今までになかった誘いをしてきた。


「スノウちゃん、今日、うちに泊まりに来ない?」

「何かあったんですか?」

「……じつはね、気のせいかもしれないんだけど、昨日、家に帰ったら、だれかが家に入ったような跡があってね」


 来た。空き巣イベント発生。


「何も盗られてはいないから、私の思い過ごしかもしれないんだけど、気味が悪くて。

 今晩だけでいいから、だれか一緒にいて欲しいなって思って。ダメ?」


 マロンちゃんに上目づかいに頼まれると、二つ返事でうなずいてしまいそうになったが、こらえた。


 それは私の役じゃない。


「私なんかで、大丈夫ですか? どうせなら、もっと頼りになる人にそばにいてもらった方がいいと思うんですけど」


「確かに。二人といっても、女性だけじゃ不用心よね」


「どうせなら、フロッタンテさんの家にお邪魔したらどうです?

 近いですし。店長、仲いいですよね」


「そうね。おうちにも何度か行かせてもらっているし、頼めば一晩、泊めてくれるかも」


 よっし! いい流れだ。

 空き巣イベントの後、一人が怖いマロンがだれの家に泊まりに行くかは、エンディングにかかわる大事な選択。

 ここでイルを選んだなら、イルとマロンのハッピーエンドはほぼ確定だ。


 万歳三唱の止まらない私だったけど、一つ計算違いがあった。


「じゃあ、イルに連絡して、私とスノウちゃんを泊めてくれるかどうか、聞いてくるわね」


 私が一緒なの、決定事項だったの?

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