43.ユーノの日 3

 次の定休日。

 私は夜、こっそりマンションを抜け出し、ローズ菓子店に向かった。

 これからマロンに、プリンの作り方を教わるためだ。


 プリンは昔、母と作ったことがあるけど、レシピも作り方もうる覚え。

 ケイン君と作る前に、一度、マロンの監督下で試作をしておくことにしたのだ。


 あいにく昼間はマロンに用事があったので、この時間になった。

 店にまだ明かりはついていないけど、そのうち、マロンも来るだろう。


「――どちらさまですか?」


 裏口の扉の前に、男がかがんでいた。

 男は私に気づくと、さっと立ち上がって、去っていく。


 なんだったんだろ? 落とし物でも探してた?


 自問して、気づく。


 まさか。

 今の。

 泥棒イベントの人だった?

 ゲームでは終盤、ローズ菓子店に泥棒が入るイベントがあったけど、その人!?


 路地の奥まで行ってみたけど、もう人はいなかった。

 引き返し、ためしに裏口のドアを押す。

 すんなりと開いた。さっきかがんでいたのは、カギを外していたのか。


 中に入り、手探りで燭台に火をつけ、店内を照らす。

 何も荒らされていない。整理整頓された厨房があるばかり。


 ……しまった。イベント不発にしちゃった?


 ウソでしょ。こんなあっさり。

 人が声をかけただけで逃げるなよ、泥棒。

 私を失神させて、仕事を遂行するくらいの気概を見せてよ!


 うわー、うわー、どうしよう。なんとかしなくちゃ。

 どうにか話をゲームの通りにしないと――


 悩んで、解決策を思いつく。

 同時に、これからすることの罪深さに、両手で顔をおおう。


 天国――じゃなかった、現世のお父さん、お母さん、ごめんなさい。

 私はこれまで真っ当に生きてきましたが、今夜はじめて、犯罪に手を染めます。


 私はかたっぱしから棚という棚を開け、荒らされたふうを作った。

 カウンターの釣銭箱からお金を抜き出し、屋外の目立たない場所に隠す。あとで教会にでも寄付しておけばいいだろう。


 よし、こんなものかな。


 軽やかな足音が近づいてくる。マロンの足音だ。

 私は深呼吸を一つすると、何も知らない第三者をよそおって、店から飛び出た。


「店長、大変です! お店に泥棒が」


 白々しいセリフだったけど、第一発見者として及第点の演技だったらしい。

 マロンは店内を見て青ざめ、すぐに警備隊を呼んだ。


 あとはトントン拍子に事が進んだ。

 事情聴取を受けてその日は帰宅し、翌日、荒れた店内を後片付け。

 お店のスタッフたちは、すっかり泥棒に入られたと思いこみ、怖がってくれた。


 騒ぎを聞きつけたイルもやって来て、マロンをなぐさめる。


「泥棒が入ったって? マロン、怖かったね。被害は?」

「たいしたことなかったわ。売上は定休日前に銀行に預けているから」


 二人は親しげに身を寄せあう。

 よしよし。これこそ私の望んでいた展開。ばっちりだ。


「妙な泥棒だね。入るなら、売上の多い土日に入ればいいのに。土日は銀行もやっていないから、お店に現金が置いてある確率も高いだろうに」


「そういえば、そうね」


「厨房も、荒らされたっていうけど、何も盗まれてはいないんでしょ?

 高いお酒が置いてあるのに、見向きもしないなんて。ずいぶん割が合わないことをするんだな」


 イルはお菓子の風味付けに使うブランデーやリキュール類を見て、柳眉をひそめた。


 名探偵イル様。その辺で勘弁してください。

 そんなところまで、にわか泥棒は気が回らなかったんです。


 事件の二日後、新聞に小さく、ローズ菓子店の泥棒さわぎが載った。

 犯人、今頃びっくりしているだろうな。身に覚えのない罪状が増えているんだから。


「災難やったなあ、店長はん。カギ、つけ変えといた方がええで」

「ありがとう、ジンジャーさん。イルがさっそく手配してくれているわ」


「マロンお姉ちゃん、これ。おかみさんたちから、お見舞い」

「すごい上等な粉。うれしいわ。盗まれた金額より、こっちの方が高いかも」


 ジンジャーやケインの声を聞きながら、ショーケースの上に突っ伏す。


 これで最終イベントの第一段階、泥棒騒動は無事にクリアか。

 次は首尾よくお願いしますよ、犯人さん。


 気力を消耗してぐったりしていたら、顔や首にかかっていた髪を、そっとかき上げられた。


 びっくりしてはね起きる。シュマーレン大尉殿だった。


「大丈夫か? 災難だったな、泥棒」

「店長、シュマーレン大尉がお見舞いに来て下さいましたよー」


 私はすぐさま応対をマロンに替わった。

 もうっ! なんなんだ、あの男は。人に勝手に触るなんて。心臓に悪い。どういう距離感をしているんだ!


「お耳が早いんですね、大尉。新聞で?」

「ええ。災難でしたね。お見舞いに」


「きゃあっ! ありがとうございます。ハバのお店のサヴァラン。

 食べてみたいと思っていたんですけど、すぐ売り切れちゃうから、なかなか食べられなくて。すごく嬉しいです。皆で頂きますね」


 お菓子好きのマロンは、だれのどんななぐさめより、よろこんだ。

 スタッフたちも声を上げてはしゃぐ。

 くっ。仇の称賛の声を聞かされるなんて。おもしろくない。


「そうだ、大尉にどんなお菓子がお好きか、お聞きしなくちゃ」


「店長、大尉は『ユーノの日』、恋人かしらかもらわない主義だそうですよ。

 他の女性にそうやっていって、断ってました」


 聞いた時の苛立ちを思い出しながらいうと、マロンが小首をかしげた。


「大尉、お付き合いなさっている方っているの?」

「……いるんじゃないですか?」

「いやあ、いないでしょう。単にお断りの常套文句を使っただけだと思いますよ」


 横から、オーナーが不穏な口出しをしてきた。

 常套文句だとう?


「昔ね、とある将校さんが、一般人のフリをした女スパイに毒入りパイを贈られて、生死の境をさまよったという事件があったんですよ。

 事件後、軍人さんたちのお断りの常套文句が、恋人からしかもらわない、です。

 好意を持ってくれている相手に、あなたは信頼できないからもらえない、とは言いにくいでしょう?

 実際の恋人のあるなしは、関係ないですよ」


 マスターはさっそく自分の分のサヴァランを皿にとって、持ち場にもどって行った。


 そういえば。

 カイザールートは適当にやっていたから、忘れていたけど。


 ゲームでカイザーは、オーナーのいうように、身の安全のために恋人からしかもらわない主義を公言していたんじゃなかったっけ?


 でも、マロンだけは、すでにお店のケーキを何度も買って、安全が分かっているからと、例外で受け取るんじゃなかったっけ?


「なるほどね。そういうことなら、大尉、うちのお店は何度もご利用いただいているから、受け取ってもらえるかしら」


「ガトーショコラ!」


 聞きに行こうとするマロンの背に、私は叫んだ。

 もう仕方ない。わが身を切ろう。


「――を、贈るので、店長、作ってもらえませんか?」


 マロンは、ぱあっと、顔を明るくした。


「そうなのね。大尉のお好みは、ガトーショコラなのね。スノウちゃん、くわしいのね。

 誠心誠意こめて作るけど、私、大尉のことは本当にファンとして好きなだけだから。誤解しないでね。私は二人の行く末を見守りたいだけなの」


「何も起きませんよ」


 マロンの期待に満ちた目が痛い。

 私はイル様命なのに、なんだってこんなことになっているんだろう。

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