42.ユーノの日 2

 一月最後の定休日。

 私は外をプラプラと散歩していた。人間の姿で、だ。


 最近、私は仕事帰りや休日に、よく町をうろつく。

 この生活もあと少し。せっかくだから、異世界ライフを満喫しておきたい。

 今まで稼いだお給金を使って、食べ歩きや観光を楽しんでいる。


「よ、スノウはん。寄ってかん?」


 カヌレ橋周辺の市場を通りかかると、ジンジャーに声をかけられた。


 今日はいつもと様子がちがう。

 アクセサリーを売っている横で、クレープを作って売っている。

 菓子博のとき、私たちが売っていたクレープを。


「菓子博の後、ローズ菓子店に、あのクレープは売っとらんのかって、お客がたずねて来とったやろ?

 商売になるかと思てな。マロンはんに頼んで、生地の作り方や焼き方を教わったねん。で、試しに売ってみとるとこや」


「もうかりまっか?」


「ぼちぼちやな。今のところ、日銭稼ぐ程度には売れとるで、ケガや病気で一時、行商できへん旅商人の、ええ副業になりそうや」


「そこまで考えているなんて、偉いですね」


「やり方固まったら、人にノウハウを売ることで、ワイも稼がせてもらおと思っとるでさ。別に偉ない偉ない」


 ちょうどお腹も空いていたので、私はベーコンとスクランブルエッグと葉物を巻いたクレープを買った。

 学生時代、部活帰りに友人とクレープ屋によく寄ったことを思い出すなあ。


「お。あそこにおるんは、大尉殿やないか」


 私はすぐさま、頭からショールを被った。目立つ白髪を隠す。


「わざわざナイフを研ぎに出すとは、さすが、軍人はんは武器の手入れを怠らんな」


 おそるおそるふり返ると、少しはなれた研ぎ師の露店に、カイザーがいた。

 すぐにこの場を立ち去ろうと思ったけど、後ろ髪を引かれた。

 なぜならカイザーが、女性に話しかけられていたので。


「なんやろな。同じ店に居合わせたモン同士が世間話をしとるにしては、女の方の様子が妙やな」

「そんなの、分かるんですか?」

「分かる。ワイの直感がそう告げとる。賭けてもええ」


 ジンジャーは私に、空のカゴを持たせた。


「というわけで、スノウはん。あの近くに、卵を売っとる露店があるで、そこで卵を十個買いつつ、何を話しとるか、探って来てや」


 うまく使われた気がする。

 けど、私も気にはなっていたので、二人の方へ近づいた。

 研ぎ師のとなりの金物屋を物色しつつ、二人の会話に耳をそばだてる。


「大尉の、好きなお菓子を教えていただけませんか? 来月、お贈りしたくて」


「お気持ちはありがたく思いますが、恋人からしか受け取らないことにしているので」


「どうしても、いけませんか? 受け取っていただけるだけで、いいんです。

 食べなくても、かまいませんから」


「食べ物をムダにするようなことも、できませんので」


 制帽を脱いで、ていねいにお断りされると、女性は肩を落として去っていった。


 私は金物屋を去りながら、ひそかにガッツポーズを決めた。

 いいことを聞いた。今日のことを伝えれば、マロンもあきらめるだろう。一安心だ。


 けど、同時に、なんか、もやもやした。

 恋人からしかもらわないって。もらう恋人がいるってこと?


 いるのに、頬にキスしたり、コートを貸したり、食事に誘ったり、周りから仲を誤解されるようなことを、数々、私にしてたってこと?


 なんだそれ。私も不愉快だけど、相手にも不誠実じゃないか。

 ムカムカしながら卵を買って、ジンジャーのところへもどった。


「やっぱり告白シーンやったか。さすがモテんなあ、大尉はんは。

 もう今から来月の話をされるなんて。うらやましい話や」


「ジンジャーさんも、もらったりしそうですけど」


 ちら、と見られた。


「贈ってくれてええで? 大歓迎」

「お友達としてなら」


 即答したら、口をとがらされた。


「ちょっとぐらい、ドキドキさせてえな。冷たいなあ」

「すいません。こういう返しに、慣れてなくて」


「スノウはんは、バクラヴァって知っとるか?」

「いいえ? 食べ物ですか?」


「どんなお菓子かは、来月を楽しみにしとってや。

 たぶん、忘れられへん味やで」


 それはつまり。

 私にも、くれるんだ。ユーノの日に。お菓子を。


「え。ナニその反応。まさか、スノウはんはくれへんの?

 一緒に、あの戦場のような菓子博を乗り切った仲やのに?」


「贈ります贈ります! だれかからもらえるなんて、思ってなかったので。びっくりして」


「なんで。あんたにはまず、店長はんがくれるやろ」


 ジンジャーの言う通りだ。マロンの性格上、従業員には絶対くれるだろう。

 そっか。だったら、私もお返ししなくちゃな。


「ジンジャーさん。うまく作れるか分かりませんけど、がんばりますね」


 これは明日、マロンに私でも作れそうなお菓子のレシピを教えてもらわなくちゃ。


 何にしようかな。どれなら喜んでもらえるかな。

 自分も参加するとなったら、がぜん、来月のイベントが楽しみになってきた。


 考えながら歩いていたら、またも知った人を見つけた。ケイン君だ。

 今日は丸のままのチーズを抱えている。


「こんにちは、ケイン君。突然だけど、ケイン君はどんなお菓子が好き?」

「それって、来月の話? 僕のことを考えて贈ってくれるなら、なんでもうれしいよ」


 いただきました、天使の微笑。回答もパーフェクト。すばらしすぎる。


「なんでもっていわれると、迷っちゃうな。何かない?」


「じゃあ、二人で一緒に作れそうなものってない?

 ユーノの日、仲のいい人同士が集まって、一緒に作って食べるっていうのも流行っているらしいんだ。

 先輩を誘ったんだけど、先輩はもう買うもの決めてるからって、断られちゃって」


「いいね、それ。やろう。たくさん作っておけば、お互い、他の人にも配れるし」


 お菓子作りに慣れていない私たちでも作れそうなもの、か。


「プリンはどう? カスタードプディング」

「好きだよ! スノウも好き?」

「好き」


 家族もそうだった、と思い出したら、息が詰まった。


 あの日、あの時、事故に遭わなければ。

 私は週末、実家に帰ったはずだった。

 実家で、母が得意のプリンを作ってくれるはずだった。

 最後の一個をいつものように弟と取り合ったはずだった。


「……スノウ?」

「あ、ごめん。ちょっと、ぼーっとしちゃって」


 急に無言になった私に、ケインが不思議そうにしてる。


 やば。目、赤くなってないよね?

 年下の前で泣き出すとか。ケイン君が困るだろ。


「じゃあ、店長に、厨房を貸してくれるよう、頼んでおくね」


 そそくさとその場を去ろうとしたら、スカートの端をつかまれた。


「いつも気にかけてくれて、ありがと」


 親しみのこもった目を向けられて、気づく。

 端役も端役なりに、人間関係ができていたんだな。


 前世は半端に、引きちぎられるように何もかもが終わったけど。

 今世はみんなに、お礼や挨拶をする猶予がある。ちゃんとしよ。前世の悔いは、今世で清算だ。

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