41.ユーノの日 1
波乱の予兆はあったものの、何事もなく、半月ほどが過ぎた。
一月の後半になると、菓子店はどこも忙しくなってくる。
二月に『ユーノの日』という行事があるからだ。
ユーノは、この世界の愛の女神。
その女神をお祝いする日にちなんでできたイベントで、好きな人にお菓子を贈る日だ。
現代日本のバレンタインに似たイベントだけど、贈るものはチョコレートに限られていなくて、お菓子ならなんでもいい。
贈る相手も、妻や恋人、想い人に限らず、友人もアリとなっている。
菓子屋さんは、いつもより作る量や種類を増やしたり、リクエストを受けて特別に作ったりと、来月にむけて大忙しだ。
「うちでも何か特別にやりたいけど。
作る量や種類を増やすのは、これ以上はきついし、個別リクエストに応えて作るのは、かなりお値段高くしないといけなくなるし。
むずかしいわあ」
お昼休み。オーナーお手製ポトフを食べる私の横で、マロンが作業台に突っ伏した。
「ベルガモット菓子店なんて、お菓子教室をやるんですって。
いいわよね、あそこ。厨房、広いし。人員多いし。うちじゃ無理。
私も恋する乙女の応援をしたいのに。作りながら、お客さんの恋バナを聞いたりしたいのに。なんにもできないーっ!」
ダンダン作業台を叩くマロン。うわっ。スープがこぼれる。
「ねえ、スノウちゃん。何か案ない?
お店側はあんまり手間かからないけど、お客さんの役に立つアイデア」
「……お菓子を手作りするお客さんのために、レシピを配布する、とか?
お菓子買うと、そのお菓子のレシピがついてきます、みたいな。
それなら、あらかじめレシピを印刷しておけばいいだけだから、楽だと思うんですけど」
「いいわね、それ。さすがスノウちゃん。うちの店のアイデアマン」
いや、現代で、食品のパッケージに、その食品を使ったレシピが書いてあるのを思い出しただけなんですけどね。
マロンは乗り気だったけど、他のスタッフはちがった。
驚いて、マロンを止める。
「店長、レシピはそのお店の命ですよ。それをお客さんに配るなんて」
「いいじゃない。私のレシピだって、元は他の人から教わったものなんだし」
「レシピは、そのお店で修行して、はじめて教えてもらえるものでしょう?
お客さんが自分で作れるようになったら、買いに来なくなってしまいますよ」
「なにもお店の商品のレシピを、そのまま出そうとは思ってないわ。
簡単に作れるようにアレンジしておかないと、お客さんが家で作れないもの。
いけない?」
「店長がいいなら、いいんですけど……」
「皆も、知りたいレシピがあったら、気軽に聞いてね。
レシピは共有した方が、色んな発想が加わって、お菓子がもっともっとおいしくなるはずだから」
マロンがいうと、さっそく、調理スタッフたちがいくつか知りたがった。
レシピノートを開き、マロンは口頭で説明する。
「読むより、見せて書き写してもらった方が、早くないですか?」
「これはどうしても、人には見せられないの」
マロンが紙面を隠す。
やっぱりそこは、菓子職人の命だから見せられないのか。
もしくは、自分にしか読めないレベルの走り書きなのか。
「スノウちゃんは、何か知りたいレシピはある?」
「とくには」
贈れるものならイルに贈りたいけど、猫だし。
スノウとして贈るのも、微妙だ。ただのお客と店員で、せいぜい知人関係。
「よければ、作るのも手伝うわよ?」
「だれかに贈ること自体、考えていなくて」
「シュマーレン大尉に贈ったりしないの?」
目を剥いた。
なんでそんな発想が?
「だって、最近、スノウちゃん、大尉と仲がいいでしょ?
収穫祭のときなんて、大尉にコートを借りて帰って来てたでしょ?」
「お祭の最中に体調をくずしたので。気を使って下さったんですよ」
「いーえ。それだけじゃないわよ。
あれは、スノウちゃんが帰り道、ヘンな男に絡まれないようにって意味もこめてよ。
女の子が男物のコート、しかも軍支給のものを羽織ってるなんて、軍人の恋人がいますよって、公言しているようなものじゃない。
やるわね大尉、って、思わず心の中で拍手しちゃった」
そうだろうか。親兄弟って思う可能性もあるんじゃないだろうか。
なんにしても、名探偵マロンの推察を聞いていたら、ぞわっとしてきた。
自分、あの日、そんなふうに見られてたのか。
コートのすそが地面につく、なんて気にしている場合じゃなかった。
「冬至祭の前には、仕事終わりに、二人でお出かけしていったでしょう?」
「あれは無理に連れて行かれたんです。借りを返したかったら、食事につき合えっていわれて」
「大尉ったら。まわりくどいことするのね」
私は怒っているのに、マロンはものすごく楽しそうだった。
カイザーの評価をおとしめずにはいられなくなる。
「誘い方もひどいんですよ。こっちの都合も聞かず、この日空けとけって。何様だって思いません?」
「やだ、大尉ったら。強引。男らしい」
「俺様なところもステキ」
マロンだけでなく、調理スタッフまで会話に加わってきた。
皆できゃっきゃっとカイザーを褒めたたえる。
なんでそうなるの!?
話しているうちに、休憩時間の終わりが来た。食器を片付け、持ち場にもどる。マロンもついてきた。
「じゃあ、スノウちゃんは、大尉にお菓子を贈る予定はないのね」
「ありません」
断言すると、マロンはとんでもない発言をしてきた。
「なら、私、大尉に贈ってもいい?」
「はい!?」
マロンは恥ずかしそうに、栗色の髪を指先でいじくった。
「私、ああいう男の人がタイプで。
恋人になりたいわけじゃなくて、ファンといえばいいのかしら? そういうふうなんだけどね。
スノウちゃんが贈るなら、やめておこうと思っていたけど、贈らないなら――」
いい? と目で聞いてくる。
まずい。
この展開はよくない気がする。
ファンと言ってはいるけれど、どういうきっかけで恋人関係に発展するか、分かったものじゃない。
何。マロンはもともと、カイザーみたいな男がタイプって。
公式設定には書いてなかったよ? 裏設定なの? 卑怯すぎない? そんな圧倒的カイザーに有利な設定。
折っても折ってもフラグが立ってくる。不死身か、あの男。
「大尉って、どのお菓子がお好きなのかしらね? 今度、聞いてみなくちゃ」
楽しげなマロン。頭が痛い。
私が贈るといって、フラグをへし折っておくべき?
でもな。今、カイザーと何かやり取りすると、また仲を疑われそうだしな。
カイザーにだって、妙な誤解を与えかねない。
私はカイザーと仲良くする気なんてないし。
この世界には、一時いるに過ぎない存在だし。
おまけに、正体、猫だし。
……猫とどうにかなりかけたって、黒歴史だろう。
万が一、カイザーに正体がバレでもしたら、私、どうなるんだろ。
「この毛玉。化け猫が。薄気味悪い。消えろ」
射殺される未来が思い浮かんだ。一番嫌なバッドエンドだ。
あー、もう。今度はどうやってフラグを折ろう。
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