ゲーム終盤
40.波乱の年明け
新年が明けた。
いい年の瀬を過ごしたなあ。
ローズ菓子店の店頭に立ちながら、私は年末をふり返った。
年末年始は、イル様とたくさん触れ合った。
猫にはじまり猫に終わると決めたら、人間としての自意識はどこかへ行き、猫としての愛情表現にためらいがなくなった。
今ではひざに乗るのは当たり前だし、顔ペロもするし、鼻チューもする。一緒のベッドでも寝ている。
その変化を、イル様は大変喜んでくださっている。
元々、イル様の方も、飼い猫とのスキンシップを求めていたのだ。
私のつまらない羞恥心なんて、さっさと捨てるべきだった。
「なんだか、恋人同士みたいね」
マロンのからかいが、脳裏によみがえる。
そういうマロンも、イルと一層、仲が良くなった。
冬至祭の後も、マロンは何度もイルの家に遊びにきていた。
イルと一緒に、カウントダウンコンサートに行ったり、川沿いで花火を見たり、新年の行事食を食べたり、今年の抱負を言い合ったり、パレードに参加したり。
年末年始をともに楽しんでいた。
心温まる、いい光景だった。
満足感にひたっていると、新年最初のお客様がきた。
イルだ。三割増しの笑顔で出迎える。
「明けましておめでとうございます、フロッタンテさん」
「おめでとう、スノウさん。いい年末年始だったんだね」
「分かります?」
「うん。なんか、肌も髪もツヤツヤしている気がしたから」
あなたと一緒に居られたからです。
「フロッタンテさんはいかがでした?」
「よかったよ。やっとシュガーと一緒になれたから。
帰ってきてから、シュガー、前より甘えてくれるようになってね。それがかわいくって。
この世に愛する存在がいるって、幸せだよね」
ニコニコしているイル様。そんな推しを見て、私も当然、ニッコニコだ。
Win-Winの関係。幸福の永遠循環。推しのある生活って、なんて潤いがあるんでしょうね、イル様。
「――僕を幸せにしてみせる、なんて。僕はシュガーがいるだけで幸せなのに」
心臓が飛び出しそうになった。
全身を冷や汗が流れる。
イルの家を出ていったときに、人間になって、いい残した言葉だ。
「ああ、ごめん。変なことをいって。
シュガーが出ていった夜に、夢うつつに、そんな言葉を聞いた気がしてね。
マロンにも妄想だって呆れられたけど、きっとあれはシュガーの心の声だったんだって、僕は思ってるんだ」
よ、よかった。気付かれているわけじゃないんだ。
でも、イルの視線が気になる。じっと見られてる。なんでー!?
とまどっていたら、厨房から出てきたマロンがイルを叱った。
「イル、あなた、スノウちゃんを見て、もしシュガーが人間だったら、こんな美少女にちがいない、とか妄想してるでしょ」
「あはは、バレた? ごめんね、スノウさん。飼い主バカで」
いえいえ。私もたいがいなイル様推しですから。
「スノウちゃん、ちょっと市場まで出かけてくるわね。材料が足りなくて」
「はい、お気をつけて」
マロンと入れ替わりに、お客が二人入ってきた。
雑談はそろそろ切り上げなくちゃ。
「フロッタンテさん、今日は何を?」
「いつも通り、マドレーヌを頂くよ。十個」
商品を渡し、戸口まで見送りに出ると、かぎなれた香りが近くなった。
ハッカに似たさわやかな、イルの香水のにおい。
「今来ている二人、片方はキルシュ菓子店の店長だよ。変装しているから、偵察だろうね。注意して」
聞きなれた、やさしい声音。
うわ、毎日聞いていても、耳元でささやかれるとドキッとするな――じゃなくて。
キルシュ菓子店の、偵察?
カウンターにもどって、くだんの偵察コンビを観察する。
片方は白髪交じりの恰幅のよい紳士で、もう片方は中年の女性。
キルシュ菓子店の店長と、お店の従業員、といったところだろう。
……あ。店長のつけヒゲが剥がれた。
見ないフリ見ないフリ。
女性も気づき、私の注意をそらすように声をかけてくる。
「このお店は、お菓子の種類が豊富なんですね。
毎月のように商品が変わるし、見慣れない、色んな地方のお菓子があって、何度来ても楽しい出会いがあると評判ですわ」
「それがうちのお店の、一番のウリですから」
「さっき出ていかれたのが、店長さんですか?
お若くて、びっくりしました。こんなに色んな種類のお菓子を知っているなんて、どこで修行を?」
「さあ。詳しいことは。
ただ、小さいころからお菓子が好きで、色々作っていたとは聞いています。
店長はカヌレ橋の市場に行っただけなので、すぐに戻ってくると思いますよ」
「いえ、そこまでは」
首をふった瞬間、女性の髪留めがズレた。ふだん、つけ慣れていないんだろう。
お願い、もう少し変装を練習してから来て。吹き出しそう。
「おすすめは?」
「手土産の定番はマドレーヌです。
生菓子の方は『まだら白猫』が看板商品で――」
説明の途中で、紳士がショーウィンドウの上段右端をステッキで叩いた。
これはなんだ、といいたいらしい。
「そちらは、ザッハ・トルテと申します。
ココアスポンジにアプリコットジャムを挟み、外側をチョコレートでコーティングしたケーキです。
濃厚なチョコレート味にジャムの酸味が絶妙で。コーティングの独特な食感もクセになりますよ」
中年の女性が、あごに指を当てた。
「はじめて聞いたわ、そんなケーキ。店長さんのオリジナル?」
「基本的にすべて、人から習ったものと聞いています」
「どこのお店のアレンジかしら。聞いているだけでおいしそう。
このコーティング技術は、何。つやつやして、とってもきれい。どうやっているのかしら」
紳士だけでなく、女性もザッハ・トルテに見入る。
そんな菓子職人をにおわせるコメントしてていいの?
ひょっとして、正体を聞いた方がいいの?
ハラハラしていると、本人たちも一般客らしくないふるまいに気づいた。ショーケースから目をそらす。
「マドレーヌを二つと、ザッハ・トルテを」
「ありがとうございます」
戸口で密偵二人を見送り、先々のことを考える。
キルシュ菓子店のスパイが来たということは。
予定通り、あの最終イベントが起こるんだな。
しばらくして、マロンがリンゴを持って、店に帰ってきた。
「市場でね、スミレ菓子店の店長さんにお会いしたわ。
今年もおたくの活躍を期待してるよ、なんていわれちゃった。
もう。私、去年の菓子博みたいなドキドキはごめんなのに。
臨機応変って苦手なのよ。今年は何事もなく、平穏無事に終わって欲しいわ」
「そうですね」
賛同しながら、思う。
ゲームも終盤だ。平穏無事になんて終わる訳がない。
さっき、キルシュ菓子店の密偵が来たことがその証。
マロンはこれから、店に泥棒に入られるし、自宅に空き巣にも入られる。最後には拉致までされる。ドッキドキが盛りだくさんだ。
「店長」
「なあに、スノウちゃん」
「……何があっても、がんばりましょうね!」
気の毒になって、先の展開を白状しそうになったけど、こらえた。
ここで良心のうずきに負けたら、努力が水の泡。
私はマロンが恐怖のどん底に突き落とされるのを、ただ見守らなくては。
それでこそ推しの手助けがかがやくのだから。
神よ、愛する隣人の不幸を欲する罪深き羊をお許しください。
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