39.冬至祭 3


 ガタガタッと、荷のくずれる音がした。

 荷車から箱が落ち、私の居たあたりに転がった。


 荷が当たりそうだから、大尉、避けさせてくれたのか。

 ……とはいえ、そんなに大げさにかばってくれる必要、あったかな。


「橋を渡ったところまでで、いいですから」


 私はカイザーからはなれ、何事もなかったことにして、歩き出した。

 うん、なかった。何もなかったんだ。何も。


「おやすみなさい、大尉」


 反対側に着くと、私は城とは反対方向へ走った。

 帰る方向がちがうけど、今は、兵舎に帰りたくない。

 冷えた風が、パンクして熱が出そうな頭を冷やしてくれる。


 無闇に走る。走っていたら、ローズ菓子店の近くまで来ていた。

 立ち止まって、呼吸をととのえる。マンションの外灯が、足元を照らしてくれていた。


 顔を上げる。見慣れたマンションの壁。イルの家の窓がある。

 私は人のいない路地裏へ入って、猫に姿を変えた。


 明日は冬至祭だ。明日になれば、イルと会えるとわかっているけど。

 今、会いたい。一目、イルを見たい。久々にマンションを上った。


 目指す部屋からは、まだ明かりが漏れている。

 メイドさんたちは帰っている時間だから、いるならたぶん、イルだ。


「シュガーちゃんは何時に迎えに行く?

 全部、準備が終わってからの方がいいかしら?」


「朝一番に、迎えに行ってくるよ。こういうのは、家族で一緒にするのものだから」


 窓から中をうかがうと、居間にはイルだけでなく、マロンもいた。

 楽しそうに、テーブルにキャンドルや花を飾っている。


 胸がズキン、と痛んだ。

 どうして? 喜ばしいことなのに。私が望んでいた未来なのに。


「マロン、ついてるよ」


 イルは笑いながら、マロンの髪についていたモミの葉を取った。


「ありがと」


 マロンも笑いながら、感謝する。

 それを見たとき、私は自分が望んでいることを知った。


 私は人間として、あの人に愛されたいのだ。

 五感ですべてを体感できても、私にとってここは非現実だった。

 頭の片隅で、ここはただのゲームの世界だと思っていた。


 だけど、私はさっき知ってしまった。

 カイザーに人間として触れ合われることで、ここもまた、私が去った現実と同じ、血の通った世界であるということを。


 私は地面に下りた。

 なんて自分は欲深いんだろう。

 死にたくないと願い、だれかに優しくされたいと願い、次々にいろんなことを望んで、ついには、生きた人間として愛されることを望んで。


 行くあてもなく、夜の町をさまよう。


『もっとここに止まりたいか?』


 暗がりから、いつかの黒い猫が姿をあらわした。

 私をここに送りこんでくれた神様だ。私の鼻に鼻を突きあわせてくる。


『ならば、代わりを用意せよ。おまえの代わりに、他の世界へ行ってくれる存在を。

 そうすれば、おまえは一年の期限なくここに留まれるぞ』


 冴え冴えとした金の瞳が、私を見つめる。まっすぐに。


『だれを選ぶ? おまえの代わりに、この世界から、だれを消す?』


 甘い甘い提案だ。悪魔的に甘美なお誘いだ。

 スノウの姿をした自分が、イルのそばにいる光景が、頭の中をよぎった。


『――いいえ、神様。やっぱり、そんな必要、ありません。このままがいいです』

『本当に?』


『神様は、夢小説ってご存じですか?』

『ゆめ……小説、とな?』


『二次創作の一種なんですけど。

 原作に、ファンが自分の創作したキャラを登場させて、好きなキャラとイチャイチャ、物によっては結ばれるっていうジャンルのことです。


 あれ、個人的に許せないんですよね。存在自体知らず、うっかり読んでしまったときは、読んだ自分を呪いました。

 私の推しが、どこの馬の骨とも知れない女とイチャイチャなんて。


 こんな世界、許せるか! ってなりました。自分は原作忠実派だって自覚した瞬間でした』


 私は決意をあらたに、強く神様を見つめ返した。


『私はモブキャラ役を全うします。

 猫としてはじまり猫に終わり、店員としてはじまり店員に終わってみせます。

 初志貫徹。私にはイルとマロンのハッピーエンド以外、ありえません!』


 思いの丈を語ったら、神様は前足で目元を押さえた。

 どこまでもゲームバカなのを呆れられているのかと思ったら、ちがった。


『なんと無欲な。欲を出して滅びる者も少なくないというのに。さすが敏行と雅子の娘』


 いや、たんに、己の主義を通さずにはいられないだけですけど。


 神様と別れると、私は兵舎にもどった。

 明日を楽しみに、寝床である休憩室のマイ・バスケットに収まる。


 いやー、やっぱり、ないわ。私とイル様なんて。

 想像した瞬間、ちがう、って脊髄反射で思ったわ。飼い猫がちょうどいい。うん。


 翌朝早くに、イルは私を兵舎に迎えに来てくれた。

 いつものステキな笑顔とともに、私を抱き上げてくれる。


「どうもお世話になりました、シュマーレン大尉。

 身辺も落ち着いたので、シュガーには元通り、うちで暮してもらいます」


 一緒の来たマロンが、私の食事皿、おもちゃなどを、持参したバスケットに引き取っていく。

 予想外のうれしいニュースだった。これからは、元通りイルと暮らせるなんて。


「勝手に毛玉を捨てられる心配はなくなったのか」

「ええ。両親は隠居して、新天地に移住するので。もう心配ありません」


 カイザーは怪訝にした。


「そのうち新聞に出ると思いますが、フロッタンテ家の事業は、僕がすべて引き継ぎました。

 世間を騒がせていたお家騒動の結末は、養子がフロッタンテ家のすべて乗っ取って、おしまいということです。

 母は無神経な発言で敵が多い人でしたし、父には野心家の部下がいたので、彼らのおかげで早く決着がつきました」


「大胆なことを」


「シュガーが僕の家族だと、認めてくれればよかったんですけどね。

 母だけでなく父も、ケダモノが家族だなんておかしい、バカバカしい、気が狂っている、というばかりで。

 僕の価値観を、一向に共有しようとはしてくれなかった」


 物言いたげなカイザーに、イルは微苦笑した。


「やっぱり、あなたもそう思われますか? 僕がおかしいと」


「自分も猫を家族と思えません。

 ……が、理解はします。自分も馬をよき相棒と思っていますし、犬はよき仲間と思っていますから。それの延長ですね」


「ありがとうございます。

 自分にとって大事なものが、人には取るに足りないものである、ということは、ままあることですが。

 本当に親しい相手なら、相手の大事な物を奪うことはしないでしょう。

 その点を考えても、僕と両親は、家族と呼べる仲ではなかったんでしょうね」


 イルは私ののどをなでた。うあー、気持ちいいー。癒されるー。


「それではこれで。シュガー、皆さんにあいさつだよ」

「シュガー一等兵、元気でな」

「また来いよ、同胞」


 敬礼してくれる兵隊さんたちに、にゃーと鳴く。お世話になりました。


 その晩、冬至祭のイルとマロンの食卓には、鳥の丸焼きがメインとして載っていた。


「どうしても鯉より、鳥が食べたくって。冬至祭らしくなくてごめんなさいね」

「いいんじゃない? これが僕らの冬至祭で。シュガーも興味津々だし」


 これぞ冬のパーティー料理。クリスマスっぽい雰囲気が味わえて幸せです。

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