36.シュガー二等兵の雪中行軍 3
新雪の雪原を、駆ける。
先を飛ぶ妖精を追って、倒木を乗りこえ、しげみをくぐり、小川を飛び、ひたすら進む。
時々立ち止まって、人型になり、コートのポケットに入れてきた水を飲んだり、黄金ベリーのジャムをなめたりした。
人型で走った方が早いんじゃ、と思ったけど、まっさらな雪に残っている足跡は、猫のもの。途中から人になってたら、ヘンだ。
後、どのくらいかかるんだろ。
今日中に着くよね?
戻って、だれかに知らせた方がいい?
迷いはじめたら、行く手に人影が現れた。
ありえない正体に、びっくりする。イルだ。
「シュガー」
雪景色の森に、軽装なスーツ姿はあきらかにおかしい。
牙を剥くと、ニセモノのイルは悲しい顔をした。背をむけ、遠ざかっていく。
――ああっ、ウソです! 大好きです!
飛びつこうとジャンプしたら、ぼふっと雪の上に落ちた。やっぱり幻覚だった。
「こっちだよ」
少し先に、またイルの姿が見える。
ひそやかな妖精の笑い声。
分かった。これ、妖精たちの幻なんだ。
……なんて私を熟知したアメとムチなんだ!
だまされていると分かっていても、私はイルの後ろ姿を追いかけた。
えらいねシュガー。がんばれシュガー。もう少しだよ。都合のいい幻聴が聞こえる。
憎いっ。自分の性癖が憎いっ!
走りつづけていたら、妖精たちが止まった。
目の前にあるのは、イバラのしげみだ。
身を低くしてしげみをくぐってみると――なぜか、来た道を引き返していた。
え? なに?
もう一度しげみを進むが、やっぱり来た道を引き返してしまう。
頭が疑問符でいっぱいの私を、妖精たちが笑った。
私の頭上を飛び、視界に金の鱗粉をふらせる。
世界が変わった。イバラのしげみは消え、木立がある。
その間には、白いマントを羽織った軍服の一群。
カイザーたちだ!
一人がこっちへ歩いてきたので、ニャアニャア鳴いてみたが、気づいてくれない。
私の姿も見えていないようだ。あと一歩、というところで、背中を見せて、向こうに歩いて行ってしまう。
向こうも変なのは分かっているらしい。首をひねっている。
これが魔法? 見えない壁があるんだ。どうすればいいの?
妖精が、鼻先をかすめていった。そばの梢の先を飛びまわる。
蝶が止まっている。オパール色の、きれいな蝶。
冬に蝶なんているわけないから、これが魔法の元。精霊獣なんだろう。
一頭じゃなかった。数本おきに、木に止まっている。全頭は確認していないけど、カイザーたちの周囲を取り囲むようにいるのかもしれない。
蝶を倒せば、結界が解けるのかな。
私は木に駆け上って、梢の蝶にパンチした。手がすり抜けた。
何度もチャレンジするが、ダメ。触れない。
妖精さん、これ、なんとかなりません?
聞いてみたが、妖精たちは笑うばかり。そのうち、どこかへ行ってしまった。
あとは自力で何とかするしかないのか。
私に魔法なんて使えないから、魔法使いを呼びに戻るしかない。
カイザーたちは見えるところにいるのに。歯がゆい。
――精霊獣に、いうことを聞かせられたらいいのに。
そう考えて、思いついた。
人型に変化する。コートのポケットから、黄金ベリージャムのビンを出す。精霊の大好物だよね。
私はふたを開けた。腕を伸ばし、蝶のそばに寄せる。
「これ、食べて良いから。そこ、どいて?」
蝶は動かない。
彼らは、自分を使役する魔法使いに命じられて、こうしているんだろう。いわば仕事中。
課せられた任務と、甘い誘惑と。どっちが勝つかな?
忍耐強く待ってみると、そのうち、蝶の羽がふるえだした。
ふわりと、蝶が大きく羽ばたく。
やった! 蝶がジャムのビンに舞い降りた。
景色の一部が、かげろうのように揺らぐ。
さっきまで壁のあったところを通って見ると、もう逆戻りさせられなかった。
急げ。カイザーたちが反対方向へ行こうとしている。
「そっちじゃない! こっち!」
最後尾の兵士が、私をふり返った。
「こっちが出口!」
兵士はとまどいながらも、前を行く仲間を呼び止めた。
もう間もなく、こっちへやってくるだろう。
私はジャムの瓶を遠くに投げ捨てた。
一頭が誘惑に負けたら、他の蝶たちも雪崩を打って寄ってきて、もう持っていられなかった。
皆がやってくる前に、見えない位置で猫になって、カイザーたちを待ち受ける。
「毛玉。なんでここにいる」
一声鳴いて、私は一人一人の様子をうかがった。
顔色はいいとは言えないけど、ケガもなく、無事そうだ。
「結界が解けているな。だれが解いたんだ?」
「大尉、結界のあったあたりに、足跡がありますよ。シュガー二等兵のと……小さい。人間の女性ですね」
「やっぱり。俺の見まちがいじゃなかったんだ。白い髪に白い肌の女の子」
げ。まずい。人の姿なんかで、呼び止めるんじゃなかった。
「シュガー二等兵。ここにだれかいたのか?」
ひいいい。シュガーとスノウが同一人物だってバレる?
とりあえず、しらばっくれよう。知らんぷりしよう。私はのんきなふうに、足で顔を洗った。
「大尉、あそこに人が!」
ドキドキしていると、皆の注意が他にそれた。
私もそちらに目をやって、ぎょっとした。
私が、いた。スノウが。木立の間から、こちらを見ている。
カイザーが一歩踏み出すと、一斉に、地面から蝶たちが飛び立った。
ジャムを食べつくして、精霊獣たちは数も大きさも増していた。
オパール色の輝きが視界を埋め尽くす。
「……消えた」
蝶たちが空の彼方に飛び去った後には、だれもいなかった。
ドッペルゲンガー?
いや、妖精の幻か。たぶんそうだ。かすかに笑い声がする。
カイザーたちはあっけにとられて、それには気づいていない。実体だと信じている。
助かった。ありがとう、妖精さん。
「あれ、ラネージュ人じゃないか? 絶対そうだ。あいつらは魔法を使うというし」
「なんで俺たちを。やつらの住処を焼いた仲間なのに」
「大尉、ラネージュ人の知り合いがいましたよね? さっきのは」
「……知らん。ともかく、戻るぞ。シュガー二等兵、先導しろ」
新雪に残してきた足跡のおかげで、迷うことなく、私たちは森の入り口に帰りついた。
あたりが、歓声に包まれる。捜索隊も、カイザーの部下たちも、雪を蹴散らしながら、互いにかけ寄った。抱きしめ合って、笑い合う。
朝、自軍の魔法使いに怒鳴っていた大佐も、安堵の表情だ。
「申し訳ありません。魔法使いに迷わされました」
「それはいい。よくもどった、シュマーレン大尉。どうやって脱出した?」
「幸運にも、魔法が自然にほころびたので」
隊員の一人がうっすら口を開くが、カイザーににらまれて黙った。
「帰り道は、シュガー二等兵が先導を。我々のにおいを嗅ぎ当ててなのか、近くまで来てくれていました」
「ほお! 知らなかったな。わが軍に、こんな小さな勇士がいたとは」
大佐は破顔した。あ、この人、猫好きだ。猫のにおいがする。
「シュガー二等兵。貴官は一等兵に昇格だ」
「にゃう?」
後日、私は本当に一等兵になった。猫なのに。
将軍直々に、私サイズの小さな軍帽と、階級章のついたマントを装着させられ、表彰までされた。
猫の身で表彰されてもうれしくないが、一つだけいいことがあった。
イルが表彰式に来てくれたのだ。
「シュガー、えらいね。人命救助するなんて。軍服姿もかわいいよ」
幻じゃないイル様。最高のご褒美だ。
私は三次元のありがたみを堪能した。
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