33.収穫祭 4


「――やめてっ! お願い!」


 叫ぶと、ふっと、えたいの知れない感触が消えた。


 視線の先には、精霊獣がいる。驚いていた。

 私の反応になのか、見たものになのか、わからないけど。しっぽも耳もピンと立っていた。魔法使いに呼ばれると、そそくさと去っていく。


「おい、大丈夫か。何があった」


 なんでもない、とカイザーに返そうとして、失敗した。

 歯がガチガチ鳴ってかみ合わない。


 あれはもう終わったことだと分かっているのに、冷静になろうとすればするほど、身体がふるえる。


 全身から血の気が引いていく。

 その感覚が、まるで事故の後、失血していくときの感覚に似ていて、よけいに怖くなった。


 大きく息を吸おうとしたら、ひゅっとのどが鳴った。

 息が苦しい。のどがひゅうひゅう鳴る。

 いやだ。やめて。私はまだ死にたくない。


 ともかく、私の様子が尋常でないことを悟ったカイザーは、私の状態を確認してきた。かるく身体に触れてくる。


「落ち着け。大丈夫だ。どこにも外傷はない。

 発作持ちか? ちがう? なら、混乱しているだけだな。

 ひょっとして、心に入られたか? 精霊は言葉を使わないから、そういうことをすると聞く」


 なんだそれ。勝手にのぞき見なんて。失礼じゃないのか。


「精霊もやる相手は選ぶはずなんだがな。魔法使いや仲間相手にしかしない。心を探り合っての会話は、一歩まちがうと、どちらの心も壊しかねないから」


 仲間、と思われたのか。

 本性は猫だけど、この世界の猫にとって、私は異質みたいだし。


 精霊獣がびっくりしていたのは、挨拶代わりに肩を叩いたら、手がのめりこんだ、みたいな感じだったからかもしれない。

 驚いた様子には愛嬌があり、悪意は感じなかった。


 ダメだ。思考はまともに働くのに、一向に呼吸が楽にならない。自分が思っているほど冷静じゃないらしい。冷え切った手を、カイザーに握られる。


「寒いか?」


 うなずくと、カイザーの行動は早かった。

 自分の着ていたコートを私に羽織らせ、私を抱え上げた。


 まだ雪は降っていないけれど、冷える季節だ。会場のあちこちに、焚火がある。

 そのうちの一つに私を連れて行き、赤々と燃える火のそばへ下ろした。


「ここにいろ。医者を呼んでくる」


 カイザーは近くにいた女性に私を任せようとしたけれど、私は彼の方を引き留めた。恥も外聞もなく胸にすがりつく。

 見知らぬ人間ばかりのところに、一人残されるのが怖い。息苦しさが悪化しそうだ。


 言葉はなくとも、意志は伝わった。温かい身体が私を抱きしめ、大きな手が背をさすってくれる。


 付添人が始終、冷静で感謝だ。

 最初のときから、大してうろたえもせず、当人すら訳がわかっていない状況を見極めて、やるべきことを判断し、動いてくれる。

 戦場で仲間が負傷したら、取り乱してなんていられないからだろうけど、落ち着き払っていてくれて助かる。

 一緒になってパニックになられたら、窒息していたかもしれない。


 徐々に、焚火の熱が、身体に浸透してきた。背からじんわりと浸みてきて、足先や指先にも血が通うようになってきた。

 やっと生きている実感がしてきた。


「何か、見たのか? 見せられたのか?」


 落ち着いてきたころを見計って、カイザーが聞いてくる。

 答えようがない。自分が死んだ場面、なんて。

 ジンジャーだったら、なんで今生きとんねん、とツッこむところだ。


 黙っていたら、パシッと、肌に何か当たった。

 髪にも。足にも。まるで羽虫が当たったような感触。


 うるさく思って首を動かすと、何かキラキラしたものが私の周りを飛びまわっていた。

 つかもうとするけど、つかめない。手がすり抜ける。


「妖精だな。他の魔法使いが、余興用に連れてきたものだろう。

 森でちょっかいをかけられたことといい、おまえはどうも、好かれるタチらしいな。たまにそういう人間がいると聞く」


 ええい、かまってくれるな。猫ってバレるでしょ。異世界人だって知られちゃうでしょ。

 やっきになって手を振り回すけど、努力をあざ笑うように、髪をなぶられる。

 もういい。完全無視だ。私はコートを頭からかぶった。


「落ち着いてきたな」


 大尉の言う通り、私はだいぶ普段の調子を取りもどしていた。

 もう背中はさすってもらわなくても大丈夫だった。

 代わりに、あやすように、背を叩かれる。


「……大尉って、長男でしょう」

「なんでそう思う」

「なんとなくです」

「弟が一人に、妹が二人だ」


 当たりだったらしい。

 正気に返ると、だんだん、この状態が猛烈に恥ずかしくなってきた。

 カイザーにもたれかかっていた上体を、のそりと起こす。


「もう大丈夫です。ありがとうございました」


 公衆の面前でなんてことを、と私は恥じたけど、その必要はなかった。

 周りも似たようなものだった。

 日の暮れた公園は、カップルの巣窟になっていた。


 仲むつまじく身を寄せあう男女の姿が、焚火で赤く照らし出されている。

 抱き合ったり、指を絡めたり、キスしたり。

 いちゃいちゃという擬音がふさわしい状態だ。


「ショーはどうする? まだ少しなら見られそうだが」

「いえ、もう帰ります」


 私は早々に焚火のそばをはなれたが、状況はあまり変わらなかった。

 公園のそこかしこに、リア充爆発しろ、なカップルがいた。

 仲良しが過ぎて、目のやり場に困る人たちもいる。

 カイザーが、いやに夜に行くことを心配していた意味が、ようやく分かった。


「……付き合わせて、すみませんでした」

「収穫祭ははじめてだったな。あれが一応、あれが収穫祭の見所だ」


 広場に、ワラで作られた巨大な人形があった。

 農耕の女神をかたどったものらしい。足元には野菜や果物など、今年の収穫物が供えられていた。

 女神の周りではかがり火が焚かれ、男女が輪になり、歌いながら踊っている。


「まだまだ、にぎやかですね。あんなに人が踊って」

「収穫祭は男女の出会いの場でもあるからな。

 ああやって相手を替えて踊って、その中でいいと思う相手を見つけるんだ。

 今でも農村部では、収穫祭は夫婦が生まれる場だ」


 意気投合したらしい男女が、踊りの輪から外れ、暗がりに消えていく。


「よそ見はするな。前だけ見てろ」

「……了解であります」


 いわれなくとも、そのつもりだ。

 へたに木陰なんて見たら、どんな場面を目撃するか分かったものじゃない。

 私は地雷原を歩いているような気分で、夜の公園を前進した。


「それで、スノウ。まじめに、家はどこだ? 送って行く」

「おかまいなく。もう走れるくらい元気なので、一人で帰れます」


 公園を出ると、私はぴょんと跳ねて、距離を取った。


「今日もお世話かけました。どうもすみません。この借りはいつか必ず」

「おまえは律儀というか、いちいち堅苦しいな。あまり気にするな」

「いいえ。返します。絶対」


 まだ貸してもらっていたコートを、持ち主に差し出す。

 恩には思っているけど、敵は敵。借りを残したままでいられるものか。

 背筋を正して主張したら、カイザーはため息を吐いた。


「わかった。じゃあ――これでいい」


 頬に何か当たった。

 キスされたと理解するには、けっこう時間要り、分かった時には、返すつもりだったコートをまたかけられていた。


「今度行ったときに、返してくれればいいから」

「分かりました」

「気をつけて帰れよ」


 城につづく坂を下り、数分後。


 ――は?


 さっき死にかけた時より、よっぽど頭が混乱していた。

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