29.お菓子博覧会 7
つかれた。指一本動かせないとは、まさにこのこと。
菓子博の片づけの途中、私は公園のベンチに伏せっていた。
借りていたフライパンを近所の民家に返しに行って、ちょっと休憩と座ったら、立てなくなってしまった。
残業続きで、昨日は徹夜だったしな。ねむ……
「シュガー」
意識がなくなっていた。顔を上げると、満月の化身かと思うような美青年がいた。
イルだ。月の光に金の髪が透けて、なんてきれいなんだろう。
「こんなところにいたら、危ないよ」
かるがると抱き上げられる。
え? あれ? うそ。猫になってる?
しまった。意識がなくなると変身が解けちゃうんだった。
だれかに変身を見られていないかと冷や冷やしたが、周囲は閑散としているので、たぶん大丈夫だろう。
「夜は兵舎にいないと。さらわれるかもしれないし、カゼを引くかもしれないでしょ?」
数日ぶりの、イルのやさしい声。たまらない。なでられると、甘えた声が出ちゃう。
わーん。すごい癒されるよう!
「会いたかった? 僕もだよ。
待っててね。家のことをきれいに片づけたら、迎えに行くからね」
指一本も動かないと思ってたけど、気合も体力もめっちゃ回復してきた。
イル様、あなたは私の回復薬です。
「一つ用事を済ませたら、兵舎まで送るよ」
それには及びません、イル様。あと少し、がんばってきます!
イルと別れた後、人間になって、マロンのところへ帰る。
片付けは終わり、皆、地べたに車座になっていた。ジンジャーが隣を空けてくれる。
「おつかれ、スノウはん。シュガーの旦那が、差し入れもってきてくれたで」
イルの用事とは、ローズ菓子店への差し入れだったらしい。
うれしい。菓子博に出ていたお菓子たちだ。
「きっと食べたかっただろうと思って。日中、買い集めておいたんだ」
イルの家のメイドさんが、紅茶やコーヒーも淹れてくれる。めちゃくちゃ癒される。
おいしいケーキとコーヒーに一息ついていると、他店の菓子職人たちが顔をのぞかせた。
「おつかれ。今回もすごかったな。ティーパーティーの時みたく、やってくれるじゃん」
「あれ、急遽出した代替品だったんだろ? 短時間で、よくあんなアイデア出たな」
「具材の巻き方も、持ち歩きできる形も、なんで今まで誰もやらなかったんだろうっていう、ちょっとの工夫なのにさ。見た目もおいしそうで、理に適ってたよ。
うちに並んでくれていた客が、おたくのクレープを食べ歩いている客に釘づけだ。あれはなんだ、どこにあるんだって。おかげで客に逃げられた」
「あれはスノウちゃんの案なんです。本当、いいアイデア出してくれるんですよ」
マロンの誉め言葉で、私にも賞賛が集まる。
とんでもないことだ。あのクレープは私の発想じゃない。ただの流用だ。
ぶんぶんと首を横にふる。
「前に、似たようなのを見たことがあっただけで。私は全然です」
「でも、最後は、自分で作るクレープ、なんて思いついてくれたでしょ。パーティーみたいになって楽しかったわ」
「クレープ一枚も焼けない身ですから。その分、知恵出さないと」
「あはは。スノウちゃん、かまども、フライパンの扱いもまるでダメだったもんね。びっくりしたわ。今までどうやってごはん食べてきたの?」
スタッフさんに笑われた。
ガスコンロやIHに慣れている身に、かまどの火調整なんて、無理っス。
フライパンは鉄製で、テフロン加工なんてないし。焦げつく焦げつく。
「ここはさ、毎年、ベルガモット菓子店が気にいらない菓子店を配置する場所なんだよ。流刑地なんて言われてるところなのに、よくやったよ」
「ここに限らず、ライバル店や取り巻き以外の店は、メイン会場以外に配置だもんな。
メイン会場に売り歩きに行くと、わざわざ大変ですねえ、なんて、嫌味いってきやがる」
菓子職人たちは、忌々しそうに愚痴を吐いた。
「おたくの売り歩いてた坊主たちも、いわれてたんじゃないか?」
「そうだったの? 今日はいっぱい苦労させちゃったわね」
マロンは気づかったが、ケインも先輩も、まったくへこたれていなかった。
「先輩がしっかりしてますから。からまれても、平気でした」
「『うるせーハゲ! どう売られてるかなんて、味にもお客にも関係ねーだろ!』っていっときました」
よくぞいった。全員で、惜しみない拍手を送った。
「今年はローズ菓子店の完全勝利。一人勝ちだな」
「審査委員長の、ベルガモット菓子店の元店長、苦い顔してたぜ。
売上報告を怠ったローズ菓子店を棄権扱いにして、何も受賞させなかったら、お客さんたちから抗議の声が上がって、やり直しになったんだから」
「おまけに、なあ。受賞したのに、授賞式よりお客さんの方が大事だから辞退ってさ。
もう、痛快すぎて笑ったわ」
「そんな。行けたら、授賞式に行きたかったですよ。
係員さん、授賞式の時間を遅らせますよ、とまでいってくれましたし。
でも、時間ずらされても、終わったら、疲労困憊でだれも動けないだろうから」
マロンの返しに、ローズ菓子店の面々は、力ない笑みを浮かべる。
全員、帰宅したら爆睡だろう。
「よかったら、これから一緒に飲みに行かないかと思ったけど。そんな余裕はなさそうだな。また今度」
「ぜひ。今回は自分の力量以上に、がんばりすぎました。反省しました」
他店の菓子職人たちが去っていった後、イルが質問した。
「そういえば、どうして急にクレープに? 栗のケーキを用意してたんだよね? やっぱり数が足りなくて、あきらめたの?」
「運んでくる間に、ケーキの箱をひっくり返しちゃって。商品として出せなかったの」
「それは残念だったね」
歯切れの悪いマロンに変わって、ジンジャーが口を開いた。
「社長はん、実はな」
「ジンジャーさん! コーヒー、もう一杯どうですか? これで最後ですし」
マロンが無理やり、会話に割って入った。
空になったポットや、空になったトレイをメイドに返す。
「フロッタンテさん、差し入れ、ありがとうございました。おかげで少しつかれが取れました」
「ちゃんとした打ち上げは、また今度やらせてもらううよ」
「ええけどさ。なんでアンタがやるねん」
ジンジャーがツッコむと、イルは微笑した。
「できることなら、僕も仲間に加わりたかったから。なんらかの形でかかわりたくて。
マロン、打ち上げ、いつがいい? どんなものが食べたい?」
「え……そうね。いつがいいかしら」
「次の定休日でどう? 僕は顔だけ出す形になるかも知れないけど」
「考えておくわね」
イルが去っていくと、ジンジャーが頭の後ろで手を組んだ。
「店長、いわんくってよかったんか? 社長のオカンがしたこと。
いっといた方がええと思うけど」
「……今は、どうしていいか分からなくて」
「つかれとるしな。まともに頭が働かんわ。
ほな、ワイも失礼さしてもらうわ。今日は楽しかったわ。またな」
楽しかった、の一言に、マロンの表情がやわらいだ。
私も心がなごむ。
そう。楽しかったのだ。
忙しかったし、ハラハラさせられたし、こんな目には二度と遭いたくないけれど。
「楽しかったですね」
「ええ。楽しかったわ」
たぶん、私たちの店が一番、菓子博を楽しんだ。
帰っていくスタッフを見送りながら、私たちは夜空を見上げた。
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