22.大尉と店員A 2
カヌレ橋まで来ると、対岸の丘に建つお城が見えた。
白壁が夕焼け色に染められて、昼間とはちがった表情だ。
城は南北に細長く、いくつもの棟が連続している。
一つの建物で城、というわけでなく、いくつかの建物が寄せ集まっているのを、お城といっているらしい。喫茶のマスターに教えてもらった。
宮殿もあれば教会もあり、役場もありと、行政の中心地で、カイザーの駐屯地もここだ。兵舎に近い南門に向かう。
「カイザー=シュマーレン大尉に差し入れたいのですが」
「身分証明書を」
守衛にいわれ、ひるむ。
そうか。軍事基地だから、身元を調べられるんだ。猫だからあるわけないよ。
「……忘れてきました」
「ないと、面会はできません」
「会えなくていいんです。届けてもらえるだけで。お世話になったので、一言お礼を」
頼みこむと、受取の保証はしない、という前置きつきで、預かってもらえることになった。
守衛がケーキに不審物がないか、入念に調べている間に、急いでメモを作る。
『カイザー=シュマーレン大尉
ティーパーティーのときは、ありがとうございました。
お店にいらした時にお礼を申し上げようと思っていましたが、なかなか機会に恵まれないため、文面で失礼します。
またのお越しをお待ちしております。
ローズ菓子店 スノウ』
事務的だけど、こんなものだろう。
とりあえず、これで人としての礼儀は果たしたぞ。
坂を下っていて、ふと思う。
――大尉がこないの、たんに忙しいだけなんじゃ?
今さらな発想だった。
でも、思いつくと、真実が気になってきた。
人目を忍んで姿を変え、猫になって城に引き返す。
守衛の目をすり抜け、敷地内に侵入すると、ちょうどいいことに、私のケーキの箱をもった兵士が歩いていた。
そっと、後をつける。中庭を抜け、棟の中へ。階段を上り、ならぶ扉の一つをノックする。
「……いないな。置いておくか」
兵士が部屋に入ったすきに、私も入りこんだ。
事務室らしい。重厚なデスクがあり、壁際には書棚がある。
デスクの前に、ソファとローテーブルの応接セット。
兵士はローテーブルに箱をおいて、去っていった。
やっぱりこれは、忙しかっただけっぽいな。
書類が山積みになっている。普段の様子が分からないから、断言はできないけど。
開いている窓から帰ろうとした時、書類が宙に舞った。
夕方になって、風が強くなってきていた。
あわててデスクの書類に覆いかぶさったその時、扉が開く。
「――大尉、今日はもう休まれた方が。ここのところ、働き過ぎですよ」
「わかってる。書類仕事を一段落つけたら休む」
カイザーとその部下だった。
散らばった書類に顔をしかめ、次に、私の姿に気づく。
「毛玉! おまえ、いつの間に入った!」
ぎゃあっ。首根っこつかまれたっ。
「しかも部屋を荒して!」
ちがうっ! 私は無実ですっ!
また風が吹いて、書類を舞い上げた。
にゃーにゃー鳴いてたら、部下さんが私の猫語をみごとに意訳した。
「大尉、風のせいじゃないですか?
その猫、この部屋に入っていた時、机に伏せていましたから。押さえてくれていたのかもしれませんよ」
「……そこまで賢いとは思えんが。
よし、毛玉。もうちょっと重しをしてろ。そしたら信用する」
カイザーはまた、私を机に下ろした。窓を閉め、床に散らばった書類を拾い集める。ローテーブルの箱に気がついた。
「なんだ? これは」
「ああ、守衛が届け物をおいておいた、といっていましたので、それでしょう。
中身はチェックしてあるそうです」
私のメッセージを読んで、カイザーは眉をひそめた。
「律儀なことだ」
やや呆れている。
店に来なかったのは、私の無礼のせいじゃあなさそうだ。
「大尉、コーヒーをお淹れしますよ。一息入れましょう」
「後でいい。――おい、今日の当直で分けろ」
カイザーは、新たにやってきた若い兵士に、ケーキの箱を差し出した。
若い兵士は報告書と引きかえに箱を受け取り、よろこぶ。
「どうしたんですか、大尉。プレゼント?」
「大尉が近頃よく通っていらっしゃるカフェの店員さんからですよ」
「ローズ菓子店ですか? どの店員? 店長さん? それとも、白い髪の子?」
若い兵士は身を乗り出して、メッセージをのぞきこんだ。
「店長もかわいいけど、あの子もめっちゃかわいいですよね。
ラネージュ人でしょ? めずらしい。大尉、今度、一緒に連れて行ってくださいよ」
カイザーは書類で頭をはたいた。
「阿呆。ラネージュ人だって分かっているなら、興味本位で近づいてやるな。
この国の軍が、彼らに何をしたか知っているだろう」
「知ってますけど。あくまで軍であって、俺たち個人がしたわけじゃないし」
「あっちにとっては同じだ」
「……嫌われているんですか?」
「顔面にパイが飛んでくる」
「怖」
してないでしょう! まだ!
腹が立ったので、カイザーの邪魔をしてやることにした。ごろりと机に寝転がる。
「もういいぞ、毛玉。どけ」
手で追い払うしぐさをするカイザーを、私は無視した。
床に下ろされても、また机に上る。
「これだから猫は。飼うのは犬に限る」
首根っこをつかまれそうになると、書棚の上に逃げ、また机にもどる。
これみよがしに欠伸をしてやると、部下さんが笑いながら、コーヒーポットを手に取った。
「休めといっているんですよ、大尉。せっかくだから、ケーキ、頂きましょう」
若い兵士がケーキを切り分け、テーブルに置いた。
カイザーはあきらめて、ソファに腰かけた。
一息入れると、集中力も切れたのか、仮眠もはじめる。
まったく。失礼な人だ。私もたいがいだけど、あっちもたいがいだ。
人を毛玉だの、白いのだの、パイを投げつけるだのいって。デリカシーがない。
帰ろ。扉をひっかくと、部下さんが扉を開けてくれた。
それから数日後、カイザーはローズ菓子店にやってきた。
「いらっしゃいませ」
とても自然に、他のお客にするのと変わらない営業スマイルが出た。
カイザーが軍服を着ていなかったので。気づかなかったのだ。
私服といえばいいのか、ジャケット姿だ。
伸びた背筋と引きしまった体に、濃色の上下が憎たらしいほど合っている。
「今日はお休みなんですか?」
「いや」
カイザーはみじかく答えて、持ち帰り用にリンゴのシブーストを頼んできた。
で、さっさと喫茶に座る。別段、私服の理由は語られない。
この後、私服がいい用事でもあるのかな?
その時はそう考えたけど、次も、その次も、カイザーは軍服を着てこなかった。
マロンもふしぎがった。
「ひょっとして、スノウちゃんに気を使っているんじゃない?
軍服だと、嫌なことを思い出させるって、気になさったのかも」
「そこまでしますか?」
たかが店員に、といったものの、そうかもしれない、と思い当たった。
ティーパーティーの時、ラネージュ人だと分かると、カイザーは接触を避けてきた。
公園で会った時、わざと無視したのも、嫌そうな顔をした私を気遣ってのことだったのかもしれない。
「森で助けられた後でも、スノウちゃん、大尉に触られたら、震えていたし。
次の日、ジャムを渡すのも、こわごわって感じだったし。
きっと気の毒になったのよ」
あれは自分のふがいなさに震えていただけだけど。
そうか、はたから見れば、怖がっているようにも見えるよね。
……悪いことしたな。
気遣われるのは好きじゃないし、ラネージュ人だっていうのは嘘だし。
やっぱり、これからはちゃんとしよ。
「大尉って、優しさがさりげなくて、そういうところもカッコいいわよね」
ぐっ。関わらせない努力しても、マロンの評価が上がるのか。なんて男だ。
というか、私を踏み台に、どんどんマロンのカイザーへの好感度が上がっている気がする。
私がカイザーを輝かせるモブキャラになっている気がする。
私はこんなことのために転生してきたんじゃないのに!
いい人なのは分かっているけど、憎しみは消せそうに、ない。
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