26.お菓子博覧会 4

「大尉、不審者を確保しました」


 イルの家を出た翌朝。

 私は兵舎で、カイザーの前に突き出されていた。もちろん猫の姿で。


「夜間、付近を探っていたという話です。某国のスパイやもしれません」

「我々で拘置および監視を行いたいと思いますが、よろしいでしょうか?」


 兵隊さんたちの目はきらきらしている。もふもふの毛を触ってくる。

 当面、雨風をしのげる軒下を借りにきただけだったんだけど。

 飼ってくれるつもりらしい。さっき、ジャーキーを恵んでもらった。


「却下だ。それは飼い猫だ。さっさと外に捨ててこい」


 さすが大尉殿はクールだったが、その場を去りかけて、止まった。引き返してくる。


「……おまえ、まさか。本当に捨てられたのか?」


 失礼な! イル様がそんなことするわけないでしょう!


 寝泊まりするのに、ここがもっとも安全だと思ったのだ。

 城下にいると、またイルの母親につかまって捨てられる不安が付きまとう。

 出入りのきびしい兵舎なら安全だ。


「仕方ない。ネズミ捕獲係として雇ってやるから、ちゃんと働くんだぞ」


 軒下貸してもらえればいいだけです!

 と思ったけど、ちゃんとネズミを捕ってしまうのが、マジメな元日本人の悲しいサガだ。


「毛玉、わざわざ俺の机に置くな」


 カイザーがネズミをつまんで何か言っている。知りませんよ。猫ですから。

 一宿一飯の恩をきっちり返すと、私はローズ菓子店に出勤した。


 店前に、イルの姿を見つける。顔色がすぐれない。

 原因を想像すると……自分に地獄行きを課したくなった。


「おはようございます、フロッタンテさん。こんな早くから、どうしたんですか?」

「おはよう、スノウさん。シュガーって、見てないよね?」

「さあ……。でも、シュガーさんかどうか分かりませんけど、お城の方に、白い猫が歩いて行くのを見ましたよ」


 背後で、自動車のホーンが鳴らされた。カイザーだ。イルに向かって手を上げる。


「おたくの猫が、うちに来てるんだが。あれはしばらく預かっておけばいいのか? 飼い主を探した方がいいのか?」

「預かっていてください! 落ち着いたら、迎えに行きます。必ず」


 イルの顔色が正常にもどった。


「兵舎に行っていたのか。シュガーは賢いから、あそこが一番安全だと思って避難したんだね」


 ご明察です、イル様。


「お騒がせしたね、スノウさん。それじゃ」

「いえ。今日もお仕事、がんばってください」

「そういえばスノウさんは、どこから通っているの?」


 回答に困る質問だった。適当に、あっちの方、と歩いてきた方向を指す。


「十三番町のあたりか。あの辺り、アパートが多くて、一人暮らしに便利だものね」


 迎えにきた馬車に乗って、イルは仕事に出ていった。

 推しの憂慮を晴らせて、こっちも一安心だ。


「おはよう、スノウちゃん。さっきいたの、イル?」

「はい。もう解決しましたけど、シュガーさんを探していたみたいで」

「一声かけてくれればよかったのに」


 あれ? イル、マロンには猫の行方を聞いてないのか。ずっとお店の前にいたのに。変なの。


「私が忙しそうにしていたから、遠慮したのかしらね。実際、忙しいけど」


 マロンは大量の栗を、作業台に広げる。菓子博に出すものが決まって、店は準備に追われていた。調理スタッフが一生懸命、堅い鬼皮を剥いている。


「店長はーん、栗、仕入れてきたでー。えらい大量にいるんやな。何作るん?」

「これです。モンブラン。山がモデルの、栗の生ケーキです」


 マロンが試作品を見せると、ジンジャーは物珍しそうにケーキを眺めまわした。

 私は見慣れていたけど、他のスタッフもジンジャーと同じ反応だ。ティラミス同様、モンブランもまだ、一般的でないらしい。

 前世でも、たしか歴史の浅いケーキだったもんなあ。


「菓子博に出すつもりなんですけど。栗のペーストを大量に作らなくちゃいけない上に、栗のグラッセも作るから、手間がかかって。

 もう、臨時で手伝いを雇おうかしら」


「ワイが手伝ったろか?」

「いいんですか?」


「しばらく体空いとるでな。

 ってかな、店長はん。菓子博に出すんなら、他人に気軽に見せたり、手伝わせたらアカンて。アイデア盗まれたらどうすんの」


「盗むって。私が考えたレシピじゃありませんし。

 数が作れないので、菓子博での順位なんて諦めてますし。

 他店のライバルにはなりませんよ」


「店長はんにその気がのうても、向こうは分からんのやで。

 実際、菓子博用のアイデア盗まれて、賞を奪われた上に、盗作の濡れ衣まで着せられた店もあるんやからな」


「そこまでするんですか?」

「新聞にデカデカと結果が載るんやから、必死にもなるやろ」


 腕まくりをしたジンジャーは、厨房の壁に貼られている菓子博のチラシをのぞきこんだ。

 会場見取り図に記された、ローズ菓子店の出店場所を見て、顔をしかめる。


「おたく、あからさまに嫌がらせされとるやん。会場の端っこ、人がそう通らへんような所て」


「偶然ですよ。場所は抽選で決まるんですから」


「どうだか。菓子博はウラでベルガモット菓子店が取り仕切っとるって話やで?

 菓子博の発案者は、あそこの創業者やし。審査員も、あの店出身の職人が多いし。ありえへん話やないやろ。

 今からでもワイロ贈っといた方がええんちゃう?」


「思っていたより、戦争なんですね……」


 おののくマロンの横で、私もふるえた。

 怖いな。菓子博。ゲームでは主人公たちがキャッキャするだけの、平和なイベントだったのに。そんな熾烈なんだ。菓子界のバトルロワイヤルなの?


 一抹の不安を抱えつつ、菓子博当日を迎えた。

 ジンジャーだけでなく、私も手伝って、モンブランはなんとか百個ほど用意できた。

 クリームは栗がたっぷりで、てっぺんにはツヤツヤ光る大きなマロングラッセがのって、ぜいたくな仕上がりだ。


「マロンお姉ちゃん、運びにきたよ!」


 ケーキの箱を、わらと氷とともに木箱へ詰め終わったころ、ケインとその先輩が荷車を引いてきた。

 二人とも休日なので、手伝いに来てくれたのだ。

 慣れた手つきで木箱を荷車に固定し、ゆっくり、慎重に荷車を曳いた。


 ところが。会場である、お城近くの公園まできたとき。


「――うわあっ」


 突然、荷台が大きくかたむいた。

 通りすがりの男が、荷車を乱暴に蹴り上げていったのだ。

 ケーキの入った木箱が、荷台ごと横転する。あっ、とだれもが声を上げた。


「ケーキが!」


 割り当てられた場所で、おそるおそる、梱包をほどく。

 無残だった。食べられる状態ではあったけど、一個一個の区別がなくなっている。到底、売り物として出せる見た目じゃない。


「あかん、逃げられたわ」


 荷車を蹴り上げた男を追っていったジンジャーが、成果なく戻ってきた。


「あからさまなことして。どこのしわざや。よその菓子店か?」


 疑問には、すぐ答えがあった。


「あら。おたくの菓子店は何も出しませんの?

 近頃、息子が傾倒しているお菓子屋さんだから、わたくし、食べるのを楽しみにしておりましたのに」


 嫌味ったらしく声をかけてきたのは、ミセス=フロッタンテ。イルの母親だ。


「残念ですわ。イル様のお勧めでしたから、わたくしもぜひ味わいたかったのに」


 イルの婚約者候補ベル=リーナー嬢も一緒だった。


 なんて分かりやすくて素早い展開。名探偵でなくてもわかる。

 犯人はあなた方なんだね!

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