25.お菓子博覧会 3


 二人組がいなくなると、後には、とまどうマロンとカイザーと私が残された。

 部屋にはもどれないので、どうしようかと考えていたら、通りにイルの馬車が停まった。

 私を抱えて、マロンがかけ寄る。


「イル、シュガーちゃんを捨ててなんてないわよね?」


 イルは面食らっていた。


「さっき、二人組の男がシュガーちゃんをどこかに連れて行こうとしていたのよ。

 マンションから出てきたマダムに、捨てて来いっていわれたって」


 イルは通りにある母親の馬車に気づいた。ため息をつく。


「お礼をいうよ。この分だと、ティーパーティで一時、シュガーが行方不明になったのも、母のしわざだな」

「私が預かりましょうか? 私のアパートではムリだけど、お店でなら」

「今はいいよ。母とは一度、話し合わないといけないと思っていたんだ」


 心配そうなマロンに見送られて、私とイルはマンションに帰った。

 そわそわしている私を、イルは強く抱きしめた。落ち着かせるように、背をなでてくる。


「お帰り、イル。婚約発表の日取りだけれど」


 帰ってきた息子をふり返って、フロッタンテ夫人は私にも気づいた。

 何事もなかったように話をつづける。


「日取りだけど、来月にでも」

「母上、どうしてシュガーを捨てたんですか?」


「なんのこと?」

「昔も、こんなことがありましたね。

 僕が飼っていた鳥を、かわいそうだからと放した。

 生れた時から飼い鳥で、外で生きて行けないのは、あなたも知っていたのに」


 イルは静かに養母を見つめた。


「あなたは、僕が嫌いなんですよね。憎くてたまらないんですよね。

 もし自分に息子がいたら、息子が手に入れていたはずものを、なんの血縁もない僕が手に入れることが許せないんですよね。

 だから、僕の大事にするものを奪わずにはいられない」


「何をいうの、イル。あなたは私の、自慢の息子よ。

 却って養子でよかったって思っているくらいなのよ。

 そう、いつもいっているでしょう?」


 母親の抱擁を、イルは半歩身を引いて、避けた。


「却って養子でよかった、なんて。いうたび、あなたはつらかったですよね。

 子供がいないだけでも苦しいのに、いもしない自分の子供を貶めないといけないんですから。

 僕の完璧さを、父は喜びましたが、あなたにとっては苦痛の種だった。

 世間が僕を褒めれば、世間体を気にするあなたは、僕を褒めるしかない。

 のどに石を詰められているような毎日でしょうね」


 態度はきっぱりと拒絶を示しながら、イルの青い目はどこまでもやさしい。


「もうやめましょう。家族ごっこなんて。

 本物の親子ですら、親子になるのは難しい。僕らがなれなくたって、恥じることはない。

 僕らに必要なのは、親子の絆でなく、他人と割り切る覚悟です」


 イルは現実を受け入れ、すべてを許していたけれど、夫人はちがった。

 なおも理想にすがり、母親になれない自分を認めなかった。


「ひどいわ。たかが猫一匹のことで、どうしてそこまで母親の心を疑うの?

 私はなにもかもあなたに与えてきたのに。


 いいわ。そんなに猫が欲しいなら、買ってあげます。別の、もっといい猫を。

 それはだめよ。きっと結婚生活の邪魔になるわ」


「なら、僕が捨てるのは、結婚の方ですね。シュガーを手放す気はないので」

「この結婚を拒むなら、家を出て行ってもらいますよ」

「そうします。ここまで分かり合えないのなら、仕方ありません」


「……本気でいっているの?」

「本気でないんですか?」


 夫人は怖気づいた。


「野良猫のために、うちを出ていくっていうの?

 あなたには、莫大な財産を手に入られる可能性があるっていうのに?」


「どうでもいいんですよ。そんなもの。

 フロッタンテ家にふさわしい後継者になるというのは、僕にとってはゲームみたいなものでした。クリアできましたから、もう満足です。未練なんてない」


 イルは淡々といった。

 表情が抜け落ちると、美貌も相まって、イルはまるで機械仕掛けの人形だ。


 夫人は動揺をあらわにする。


「猫一匹のためにそんなこというなんて。あり得ないわ。

 分かった、本当はベル以外に好きな女性がいるのでしょう?

 結婚したくないから、そんなことを」


「あなたはどこまでも、自分の常識の中でしか、生きていたくないんですね」

「婚約のことは、また週末。許しませんからね、この結婚を拒むなんて」


 早口にそういって、フロッタンテ夫人はマンションを去っていた。

 イルはそっとつぶやく。


「……時代に合わない血統第一のあなたの考えが、どれだけ周囲の反感を買っているか、自覚した方がいいですよ」


 イルは私を定位置に下ろした。通りの見える窓際。日課のブラッシングをする。


「怖かったよね、シュガー。ごめんね。僕のせいで」


 私はイルの手に頭を擦りつけた。イルのせいじゃない。


「君が僕のところに来てくれた日はね、僕の誕生日だったんだ。


 バースデーケーキのろうそくを吹き消しながら、僕は神様にお願いした。

 今まで何も願ったことがなかったのに、はじめて。養父母がそばにいるのに、ふっと、願ってしまったんだ。僕に家族をくださいって。


 そしたら、君が現れた。運命だと思った。姿形なんてどうでもいい。同じ形をしていても分かり合えないんだから、意味なんてないでしょ?」


 繊細な指先が、たんねんに私の形を探る。


「ねえ、シュガー。週末、僕はフロッタンテ家を去ることになるかもしれない。

 このマンションも出ることになると思うけど、一緒に来てくれる?」


 私が断るはずがないのに。

 不安そうなイルの頬を、私は勇気を出してなめた。伝わったかな?


「夜は冷えるね。そろそろ窓際は寒いでしょ? 僕の寝室にベッドを移してもいいかな? お姫様」


 夜、ブランケットの入ったバスケットを、イルは寝室のサイドボードに移した。


「寒かったら、ベッドに入っていいからね」


 ベッドカバーを持ち上げて誘われると、ふらふら入っていきそうになったけど、それは自重した。

 幸いなことに、夏はうっとおしい私の毛皮は、冬は優秀だ。自前で温かい。

 推しの寝顔をながめつつ、幸せにバスケットで丸まる。


 ……それにしても。


 妙なことになってきた。おかしい。ゲームでは、こんな流れじゃなかった。


 イルが母親と対立するのは合っている。だけど、その理由はあくまでマロンだった。

 血統第一主義の母親に、庶民のマロンと付き合うことを反対されて、イルは母親と対立、というのが正しい。

 今日の流れじゃ、私が、猫が原因で対立してしまっている。


 何あの激重母子確執エピソード。そんな複雑だったの!?

 私を捨てるくらいなら、家を出るって。

 めちゃくちゃ嬉しいですけど。今、このときに成仏したっていいくらいですけど。


 ――ちがう。こうじゃない。ハッピーエンドがズレていく。


 物語の大幅改変なんて、ゲームファンとしてA級戦犯の所業じゃないか?

 改変したって、イルの幸せにもならない。

 私はこの世界で、期間限定の滞在人だ。イルの一番大事なものになるわけにはいかないのだ。


 私は立ち上がり、バスケットから出た。

 ここはいったん、私は消えよう。

 私は去れば、イルは両親と争う理由がなくなる。

 物語の軌道を修正しなくちゃ。猫が一匹加わっていることで、おかしくなっている。


「イル、あなたはまだご両親と争うべきじゃない。

 心配しないで。猫はどこでも生きていけるから」


 人間に姿を変えて、一応、眠っているイルに言い残す。

 母親と決別という見せ場は、マロンの時にとっておいて欲しい。


「絶対、私があなたを幸せにしてみせるから」


 私は猫にもどって、窓から夜の町にさ迷い出た。

 さて。しばらくどこで寝泊まりしよう。

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