16.ティーパーティー 3

 サアッという音が聞こえてきそうなほど一瞬で、マロンは顔面蒼白になった。

 とっさに謝罪も出ないらしい、唇がただ開く。


 一拍遅れで、イルの母親が不審そうにふりむいた。

 まだ自分に何が起こったか、分かっていない。


 ――なら!


 私は氷から出ていたザクロジュースのピッチャーを倒した。


「きゃあっ」


 床に、盛大に赤いジュースが飛び散った。

 さらにドレスにジュースがかかることになり、マロンのつけたシミなんて問題じゃ無くなる。


「私のドレスが!」

「にゃうー?」


 鳴くと、すぐにイルの母親は私をにらみつけた。

 私一人が犯人と決めつけ疑わない。


「だれ、こんな猫を入れたのは!」

「すみません、母上。それは僕の猫です」


 すぐにイルが名乗り出てきて、私を抱き上げた。


「あなたの猫ですって? いつからそんなもの」

「春にここで僕の誕生日パーティーをしたでしょう? その時にいた猫ですよ」

「あの野良猫。まだ持っていたの?」


 母親の非難を無視して、イルは大事に私を抱きかかえる。

 相手はさらに怖い顔つきになった。


「捨てなさい。私は動物なんて嫌いよ。知っているでしょう?」

「僕のマンションで飼っていますから、母上に迷惑はかけませんよ。

 今日はかけてしまいましたが。今後は連れて来ません」


「イル!」

「ドレスは僕が弁償します。猫はきつく叱っておきますから。今回はご容赦を」


 不満そうな母親を残して、イルはその場を去った。会場を出る。


 ……きつく叱るって。お仕置きされるのかな。

 叩かれるのかな。逆さづりにされるのかな。それとも、ごはん抜きとか?


「フロッタンテさん、シュガーちゃんを、叱らないでください」


 びくびくしていたら、追ってきたマロンが私をかばった。


「ミセス=フロッタンテのお召し物を汚したのは、私なんです」

「ジュースのピッチャーを倒したのは、シュガーでしょう?」


「そうですけど。その直前に、私が汚してしまっていて。

 変なことをいいますけど、シュガーちゃんは私をかばってくれた気がするんです。シュガーちゃんを叱るなら、私にも罰をください」


 マロンの真剣なまなざしから、イルは目をそらした。


「シュガー、帰ったら、ブラッシングの刑と、抱っこの刑と、僕と遊ぶ刑を執行するからね。頬ずりの刑に、キスの刑も加えちゃおうかな?

 シュガーは僕に触られるのがあまり好きじゃないみたいだから遠慮してるけど、今日は我慢しないからね?」


 ぐぎゃあああ。そんなにされたら、心臓が持たないですイル様!

 さっそくキスの刑に処されてジタバタしている私に、マロンはきょとんとした。

 安心して、頬をゆるめる。


「シュガーに怒る気はまったくないよ。

 ここに連れてきたのは僕のわがままだし、トラブルは覚悟していたし。

 母の手前、ああいっただけだ。僕が叱らなければ、あの人が代わりにやりかねない」


「そうですよね。シュガーちゃんは、フロッタンテさんのかわいい猫さんですもんね」

「家族だよ。僕にとっては、ただ一人の」


 イルは大事なものに触るように、私の背をなでた。


「ミス=ローズ、さっきのことは忘れて下さい。問題を蒸し返すだけだ、母に謝ることもしなくていい。ただパーティーを楽しんでいって」

「分かりました。重ね重ね、ありがとうございます」


 マロンは少し迷ってから、口を開いた。


「どうして、こんなに良くしてくださるんですか?」


「自分のためだよ。

 僕は養子でね。養父母の期待に応えるために生きてきた。

 幸い、たいていのことは人並み以上にこなせたから、自分でいうのもなんだけれど、フロッタンテ家の跡取りとして申し分ない人物になれたと思う。


 けどね、そうなってから、気づいたんだよ。自分に何もないことに。

 フロッタンテ家にふさわしい後継者になれたら、目標がなくなってしまった。

 だから、君みたいに、自分で夢や目的を持っている人を見ると、応援したくなるんだ」


 全身に夏の日差しを浴びている若い菓子職人を、イルはまぶしそうにした。


「はじめて店で会ったとき、君の活き活きとした目がとても印象的だった。

 どうしたらお客さんに喜んでもらえるかと悩んでいる君の姿が、とても尊いものに思えた。

 僕の仕事には愛がない。完璧かもしれないけど、情熱はない。僕は精巧に動くただのブリキの人形だ。

 でも、マロン、君のように燃える心を持つ人のそばにいれば、僕は生きた人間に近づける気がするんだよ」


 涼しいところに、といい添えて、イルは私をお屋敷の執事にあずけた。

 今度はマロンの手を取る。淑女の手を取る貴公子さながらに。


 見せ場シーンその二、終了。

 よかった……すごくよかった……完璧人間なイルの、意外な心の内が明かされて、マロンとぐっと距離が縮まるこのイベント。


 ちゃんと、はじめて名前呼びしてたし。かぶりつきで鑑賞できて胸がいっぱいだ。


 イベントは全部終わったし、これでもう、猫の姿でいる必要はないな。

 スキを見て人間になって、パーティー会場のお菓子をつまみに行こう。


 会場にいるときはつらかった。各店の多種多様なお菓子が視界にちらついて、目の毒気の毒だった。マロンの失敗に、とっさの機転を利かせた自分にごほうびだ。


 ――そう思っていたら、執事さんが藤製のキャリーケースを持ってきた。


「若様のお仕事が終わるまで、この中でおとなしくしているんだよ」


 え! 閉じこめられるの!?

 キャリーケースには、簡単ではあるけど、カギがついていた。

 入れられてしまうと、中からは開けられない。


「食品の保存庫がいいだろうね。あそこはお屋敷で一番涼しいからね」


 会場が遠のいていく。

 ショックに打ちひしがれていると、イルと入れ替わりに、イルの母親が出てきた。

 執事を呼び止め、キャリーケースを奪う。


「奥様、何をなさいます」

「逃がしてあげるのよ。野良猫でしょう? 野に返してやるのが一番だわ」


 ケースが開けられ、乱暴に傾けられた。出るより仕方ない。床に下りる。


「さっさと行くのよ。ほら」


 窓を開けられ、しっしっと、庭へと追い払われる。

 執事さんはどう見ても引き止めたそうにしているが、私が去らないことには、場が収まりそうにない。私は素直にその場を後にした。


 よっし。適当なところで人間になって、レッツ・スイーツパラダイスだ。

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