13.新しいお菓子 2
翌週、マロンはまたカイザーに試食を頼んだ。
今度はサヴァランだ。卵とバターたっぷりのリッチなパンに、お酒入りのシロップを染みこませたお菓子。
「前回のは地味でしたけど、サヴァランなら見た目を華やかにできるので、ショーケースにおいても目を引けると思うんです」
リングの形をした生地には、クリームがのせられ、ベリーとミントの葉が飾られていた。
表面はアンズジャムを塗られて、つやつやと輝いている。
「……これは良くないですね」
一口食べて、カイザーは表情をくもらせた。
「お口に合いませんでしたか?」
「失礼。これ自体に問題はありません。これはこれでおいしいです。
ただ、サヴァランは、都内にもう名店があるので。比較されるのは必至かと」
一口食べるたびに、他のお店の商品がちらつくのは、作り手として悔しいことだ。
マロンは肩を落とした。
「大尉は、どういうものだったら、頼んでみたくなります?」
「やはりその店の定番ですね。キルシュ菓子店ならリンツァートルテ、ベルガモット菓子店ならレモンパイ、スミレ菓子店なら焼き菓子全般、という具合に」
「看板商品を作らないといけないわけですね」
さらに難易度が上がり、マロンは大きなため息を吐く。
「でも、大尉。お詳しいんですね、ケーキ。そんなにいろいろ知っているなんて」
「さっき上げた例は、都に住んでいれば、だれでも知っていますよ」
「そういえば、サヴァランの名店はどこなんですか?」
「ババという店です。あそこはレープクーヘンも名品です」
カイザーはなんでもないようにいって、新聞を広げた。
そうなんですね、と相槌を打ちながら、マロンはやや首をかしげる。
大尉、化けの皮がはがれかけてますよ。
「サヴァランもダメ、か。次は何作ろう。もう、今回はあきらめようかしら。難しいわ」
厨房にもどったマロンが、作業台を前にため息を吐いた。
私は焦った。ここでリタイアされたら、イルとの仲も進展しない。
「あきらめないでください、店長。
バターサンドはさすがって思いましたし、あんなガトーガレットは知りませんでしたし、すごくおいしかったです。
サヴァランはセンスを感じましたし、私、店長のこと、尊敬しているんです。きっとできます。がんばってください!」
「あきらめるには早いかしら?」
「早すぎます!」
主人公を鼓舞し、賞賛することも、モブキャラ・店員Aの役目。
私はまたも、さ行の褒め言葉を活用した。
おかげで、マロンはもう少し粘ってみる、とやる気を取りもどしてくれた。
よくやった、私。今晩、イル様にスキンシップをねだる権利を自分に与えよう。
定休日、猫の姿で偵察に行くと、店の裏口からは焼き菓子のにおいがしていた。マロンは新作開発に勤しんでいるようだ。
ゲームでは、こんなに困らなかったけどなあ。
店名にちなんでバラの花の焼き型を特注し、それでマドレーヌを焼いておしまいだった。
かわいらしい見た目のそれを、イルが宣伝してくれて、店の定番商品になるという流れだ。
現実はそう簡単じゃないってことなのかな。
この間のピクニックイベントも、ゲームのままじゃなかったし。
私という存在が増えたせいで、少し流れが変わってしまっているのだろうか。
話を把握しているからといって、気を抜かない方が良さそうだ。
――と、物思いにふけっていたら、はでに泥水をかぶった。
昨日の雨でできた水たまりを、通りかかった車が踏んだせいだ。
「大尉。あそこにいるのは、いつかの凶暴なケダモノでは?」
聞き覚えのある声に、見覚えのある車。カイザーたちだ。降りて来る。
「前もここにいたな。ひょっとして、この店の猫だったのか?」
カイザーは私をつかむと、ローズ菓子店の裏口を叩いた。
「ローズ店長、これはおたくの猫か? 汚してしまったんだが」
「いえ、ちがいます。シュガーちゃんは近所の飼い猫さんですよ」
マロンは泥水に濡れた私の身体を、タオルで包んでくれた。
「シュガー?」
「毛並みが粉砂糖みたいに真っ白でしょう?」
「おてんばのわりに、いい名前だな。あだ名は毛玉か?」
私はカイザーに向かって、背を震わせた。水気を飛ばす。報復だ。
「やっぱり毛玉で十分だぞ、この猫は」
「せっかくの真っ白な毛が、茶色になっちゃって。水で洗わないと取れないかしら」
白と茶のまだら猫になった私を、マロンは一生懸命にふいてくれる。
ふいに、動きが止まった。
「……そうだ!」
マロンの表情が晴れた。
「新作です」
日曜日。店にやってきたイルに、マロンはスプーンを添えてグラスを差し出した。
グラスの中には、白と褐色で交互に層が作られており、最上段には茶色い粉末がかかっていた。
「これは?」
「ティラミスというお菓子です。こちらでは、一般的ではないですか?」
「少なくとも、僕ははじめて見る」
イルはまず目を閉じ、香りを味わった。
「いい香り。コーヒー?」
「コーヒーシロップを染みこませたスポンジ生地と、フレッシュチーズを使ったクリームを交互に重ねています。
シロップにはコーヒーリキュールを混ぜ、上にはコーヒーの粉末をふりかけ、香りよく仕上げてみました。
元のレシピにかなりアレンジを加えていますが、いかがですか?」
一口食べて、イルは小さくうなずいた。
「いいね。コーヒーシロップは濃くて苦くてインパクトがあって、クリームがそれを包んでやわらげて、全体が調和してる。
リキュールとコーヒーパウダーのおかげで、香りが鼻を抜けて余韻が残るし」
イルはあっという間にグラスを空にした。
「これはいい。ここに通うコーヒー好きの男性客が注目するよ」
「喫茶のマスターにも、一緒に考えてもらった甲斐がありました」
「でも、もう一ひねり。強く印象に残る要素が欲しいな。見た目か、名前か、何か」
「実はそれも考えてあるんです。
でも、商品として出すには、フロッタンテさんの許可を取らないと、と思って」
マロンはもう一つ、ティラミスの入ったグラスを出してきた。
今度のティラミスは、上部のコーヒーパウダーが白く型抜きされていた。
猫の顔の形に。
「じつはこのティラミス、シュガーちゃんを見て思いついたんです。
なので、上にシュガーちゃんの顔を再現してみました!」
え。
いや。
やめて。
「シュガーちゃんの白い毛が、茶色くなってしまったのを見たときに思いついたんです。
だから、名前はティラミスじゃなくって『まだら白猫』にしようと思うんですけど、ダメですか?」
ティラミスでいいじゃん。ティラミスで。そのままで。
猫の私はテーブルをパシパシ叩くが、イルもマロンも全然、気づかない。
「いいね! 猫の顔があるのは印象に残るし、ネーミングもおもしろいし。なんだろうって、興味がそそられるよ」
「よかった。正直、これ以外の案は考えてなかったから」
「いつ商品化するの? さっそく注文したいな。予約で百個」
ひゃく!? いきなり百!?
「よかったね、シュガー。君がモデルのお菓子ができたよ。宣伝しなくちゃね」
イルは上々々機嫌だったけど、この時ばかりは、私は一緒に喜べなかった。
イル様、冷静になって。
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