10.市場にて 1
はあ……失敗しちゃったなあ。
昨日の失敗を思い返して、私は窓辺で落ちこんでいた。
下げたしっぽを左右に揺らしていると、イルがやってきた。
日課である、私のブラッシングをはじめる。
「シュガー、元気がないね。気分が悪いの?」
ていねいに毛並みを整えた後、イルは私を抱っこした。
「僕はこうしてシュガーがいてくれるだけで元気になれるけど、シュガーはどうやったら元気にしてあげられるのかな」
――はい、元気、出ました。
めっちゃ出た。ナニ、私がいるだけで元気になるって。
元気になるのはこっちですけど!?
一度の失敗が何だ。まだ序盤。十分、挽回できる。
不肖の飼い猫シュガー、今日もイル様のためにがんばります!
イルが出勤していくと、私も元気いっぱいにローズ菓子店へ出勤した。
「おはよう、スノウちゃん。昨日はありがとうね」
「おはようございます、店長。さっそくジャムを作っているんですね」
厨房には、甘酸っぱい香りが充満していた。
希少なベリーを煮ている鍋を、従業員たちが代わる代わる、興味津々でのぞきこんでいる。
「出来上がったら、スノウちゃんにも分けるからね」
「お店で使ってもらっていいですよ」
「だめよ! 黄金ベリーよ? 菓子職人どころか、魔法使いすら欲しがる激レア食材よ。
店頭で売るなんてもったいないし、高すぎて普通のお客さんは買えないわ」
マロンは何やら歌を歌いつつ、ぐるぐる鍋をかき回す。
そうなのか、黄金ベリー。ゲームではタルトに使ってたけど。ただ珍しいだけで、魔法使いすら欲しがる設定なんてなかったけど。
「せっかくだから、マジックアイテムに仕上げておいたわ。
食べてもおいしいけど、売ってもいいお金になるから。自由にしてね」
ファンタジーな響きにつられて受け取ると、マロンはもう一ビン、私に渡してきた。
「シュマーレン大尉がいらしたら、渡してくれる? 昨日のお礼に」
「……わかりました」
ぐっと、ビンを持つ手に力がこもった。あの男にお礼。屈辱だ。
「いらっしゃいませ!」
怒りは押し殺し、一瞬にして笑顔を作って、表に出る。
幸せなことが起こった。お客様はイル様だったのだ。
「マドレーヌとフィナンシェを、それぞれ五個ずつもらえるかな」
「はいっ」
平常時より三割増しの笑顔で、私は注文に応じた。
うっかり個数も三割増ししかけたし、勘定に至っては十割引きしかけた。
落ち着け、私。イル様にダメな店員と思われてしまう。
「フロッタンテさん、また来てくださったのね」
イルが帰った後、マロンがうれしそうにいった。
「いつも利用してくださって。おかげでお客様も増えて、ありがたいわ」
「店長に気があったりして」
まさか、とマロンは流していたが、まんざらでもなさそうだった。よしよし。
また、店の扉に取りつけられたベルが鳴る。お客だ。
「いらっしゃいま――せ」
三割増しだったテンションが、一息に平常にもどった。
今度のお客は、カイザーだった。
「この右端のを持ち帰りで」
「ラズベリーのシャルロットですね。かしこまりました」
女性の帽子をモチーフにしたケーキを箱に入れ、赤いリボンをかける。
包装は済んだ。勘定も済んだ。
ジャムのビンはすぐそばにある。
嫌だけど。頼まれているし。お礼をいうのは社会人の礼儀だし。
「昨日は、ありがとう、ござい、ました」
目を合せると、にらみつけるようになってしまう。
失礼だって分かっているけど、これが精一杯です!
今一度、マロンも店に出てきて、カイザーに感謝を述べた。外まで見送る。
「大尉って、甘いものはお好きかしらね? カフェではコーヒーしか頼まれないけど」
「さあ。どうなんでしょうね」
真実を知っているが、私はとぼけた。
「いつもケーキを一台丸ごと買っていかれるのは、どなたかへの手土産なのかしら」
「恋人に、じゃないですか? さっきもかわいいケーキを買っていかれましたし」
「それどころか、奥様かもしれないわね」
マロンはあっさり、私の言葉を信じてくれた。
よしよし。成功だ。マロンは決まった相手のいる男性にいいよる性格じゃあない。
これで、マロンの方からアプローチはしないだろう。
っていうか、大尉、本当に恋人作ってくれないかなあ。
そうしたら心配の種が一つ減るのにな。頼む、だれかカイザーとくっついて。
「ケイン君だわ」
店の前を、荷車を引くケインが通りかかった。
マロンは商品のキャンディを一つとって、通りに出る。
「いつも配達、ありがとう。今日は多くて大変でしょう?」
「これくらい、平気です! 任せてください」
ケインは元気いっぱいにいうが、まだ幼い体には重たそうな量だ。
思わず荷車を後ろから押すと、怒られた。
「仕事ですから。手出ししないでください」
「ごめんね。手が空いていたから、つい」
大きな小麦の袋を抱え、店の裏口に向かっていくケイン君。
前が見えてない。がんばれ~。こけないでね~!
マロンも同じ心持ちのようで、ハラハラと後姿を見守っていた。
「ケイン君って、かわいいわよね。私、ついお菓子あげちゃうの」
「わかります。かわいいですよね」
「あんな弟がいたらいいなって思わない?」
「すっごく思います」
マロンと私は、そうよね、そうですよね、ときゃっきゃと盛り上がった。
かわいいなんて、本人が聞いたら怒るだろうけど。
「こにゃにゃちわー、店長はん。頼まれてた品、探してきたで」
コテコテの方言。次にやってきたのは、旅商人のジンジャーだった。
「ゼリーが作れる植物の種。仲間がもっとったわ。よう知ってたなあ、こんな食材」
来たついでにと、ジンジャーは喫茶スペースに腰を下ろした。
マロンがコーヒーをごちそうする。
「どや、店長。お店は。もうかりまっか?」
「ぼちぼちです。まだ二ヶ月目ですから、なんとも」
「立地がなあ。ちょっとな。通り一本向こうの方が、商店街としてはにぎわっとるでな」
「しかも、あちらの通りには、有名なケーキ屋さんがあるんですよね」
「キルシュ菓子店さんな。王室御用達の名店やでなあ」
ジンジャーは腕組みした後、そや、とアイデアを出した。
「店長はんも、休日、市場で出店をやったらどや?
まずは名前を売らなあかんて。カヌレ橋で店出せば、たくさんの人の目に留まるやろ」
「でも、休日、橋の出店スペースって、争奪戦ですよね。あんなところに、新参者が入れてもらえるかどうか」
「そんなもん、ワイに任しとき。あそこはな、入れてもらうんやない、入るもんや」
ジンジャーは自信満々に、自分の胸を叩いた。頼もしい。
「というわけで、店長はん。なんかケーキ食べてもええ? 腹減ってもうて」
苦笑しながら、マロンはうなずく。
ジンジャーはしっかりしているし、ちゃっかりもしていた。
注文のバタークリームケーキをお皿に載せながら、私はひそかに考える。
さて。予定通りにジンジャーとの恋愛フラグ、市場イベントが来たけど、どうやって妨害しようかな。
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