9.森のピクニック 2

 翌日、イルが寝ている間から、私はこっそり家を抜け出した。

 マロンと一緒に、取引先の製粉問屋――ケインの勤め先――の荷馬車に乗りこむ。

 仕入れに行く農家と、私たちの行く森が、ほぼ同じ場所にあるので、便乗させてもらうのだ。


 ガタゴト、ガタゴト、荷台でゆられながら、目的地を目指す。

 ゆったりしたペースだ。自動車とは全然ちがう。次第に明るくなっていく空を、私はぼうっと見上げた。


 なんだか、贅沢な時間だった。

 人間だった頃、日本に生きていた頃は、何もかもがめまぐるしく過ぎていって、それにつられて、私は何もかもを早くこなそうとやっきになっていた。


 死んだ日の朝だって、そうだった。

 朝食を食べながら夕食のことを考え、今日の天気を聞き終えないうちから、明日の天気を知りたがった。

 朝日を見て感じたことといえば、寝不足の目にまぶしい、だけだ。


「……朝日、きれいですね」

「あの神秘的な紫色の空を、お菓子に閉じこめられたらいいのに。

 ラベンダー色のゼリーとかどうかしら? きれいじゃない?」


 私は笑った。マロンは芯からお菓子職人だ。


 一時間ほど麦畑や果樹園を進むと、森が見えて来た。広大だ。

 遠くで、大砲や銃声がしている。御者のおじさんが、親切に教えてくれた。


「今日は森で兵隊さんたちが訓練をしているから、あの小川の向こうには、行かないようにな」


 お礼をいって、馬車を降りる。

 晴れ渡った青空が気持ちいい。

 新緑の季節で、陽に透ける新緑がまばゆい。

 鳥のさえずりは耳に心地いいし、空気はすがすがしかった。


 イベントの邪魔してやるぞ、ぐらいにしか思っていなかったピクニックだけど、わくわくしてきた。

 童心に帰り、夢中で野生のイチゴやラズベリーを摘む。宝探しみたいだ。


「妖精でも出てきそうな森ですね」

「この森の妖精は人懐っこいって話だから、運が良ければ会えるかもね」


 喩えでいったのに、マロンに真顔で返されて、びっくりした。

 くわしく聞くと、この世界には本当に妖精がいるらしい。

 すごい。さすが異世界。ファンタジー。


「見て見て、スノウちゃん。お花畑。ここでお昼にしましょ」


 花畑の中、マロンは持参してきたバスケットを開けた。

 チーズとハチミツを挟んだ、塩けと甘みが絶妙なサンドイッチが出てきた。クルミがいいアクセントだ。

 飲み物は白ワイン。お酒ってところが、外国だな、やっぱ。


 バスケットが空になると、そこに採ったものを入れる。マロンは満足そうにした。


「思ったより早くバスケットがいっぱいになったわ。スノウちゃんのおかげね。今日はこのくらいにしましょう」

「もういいんですか?」

「あんまり取っても、持って帰るの大変だし。近くの果樹園で果物も買いたいから」


 私はとまどった。私が阻止するイベントは、帰り際、日の暮れた夕方に起こることになっている。

 だが、イベントが不発で終わるなら、不発で終わるに越したことはない。


「店長がいいなら、帰りましょう帰りましょう」


 なんだ、気合入れてきたけど、こういうふうに阻止することもできるのか。


「せっかくだし、お花も摘んでいい? カフェのテーブルに飾ったら、すてきよね」

「お花用に、お水を汲んできますね」


 食事に使ったカップを手に、私は小川に走った。

 川辺にかがんだ瞬間、ふっと、何か、妙な風が首筋に当たった。


 ――グルルルル


 嫌なうなり声が、川上の方からした。

 恐る恐る、首を右に回す。何か、いる。しげみの中に。


 思わず後ずさりしたら、足が滑った。

 痛っ。切り株から突き出ていた枯れ枝で、ふくらはぎが切れた。


「スノウちゃーん?」

「店長、来ちゃだめです!」


 油断していた。時間を外せば、イベントは起きないと思っていた。

 だけど、これはチャンスだ。

 ここで野犬を退治できれば、カイザーとのイベントを阻止できる。


 木の棒を拾い、正眼に構える。

 しげみの動く音もなく、潜んでいたものが姿をあらわした。


「きゃああっ!」


 マロンが叫んだ。イベントを知っていた私も、叫びそうになった。

 だって、予定より、相手が大きい。


「お、オオカミ!? スノウちゃん、逃げてっ!」


 マロンが取り乱すのも当然だった。

 目の前にいるのは、どうみてもオオカミでもない。

 大きさが、私の身長くらいある。

 毛は白く、舌と口は凶悪に赤い。なんだこれ!?


「スノウちゃん、そのまま、下がるのよ! にらんだまま、後ろに!」


 獣がマロンの方を向く。まずい。

 私はわっと叫んで、獣の注意を引きもどした。


 出てきたのが野犬じゃないのはびっくりしたけど、勝つ。

 オオカミだろうと何だろうと、勝つ。

 イル様のために。負けられるかあっ!


 ――と覚悟を決めたところで、横から、パアンッ、と銃声が聞こえた。


 何、と思った瞬間、だれかの腕の中に抱えこまれる。

 銃弾をくらった獣は、けむりのように姿がかすんだ。風に溶けて消える。

 きゃははっ、と甲高い笑い声が聞こえた。


「……妖精か。人騒がせな」


 銃口を下げながら、その人はいう。

 私の手から木の棒を取り上げた。


「相手が何かも分からないのに、こんな棒で立ち向かうのは無謀だぞ」


 げえっ……私を助けたのは、こいつなのか。

 マロンが駆け寄ってきた。


「シュマーレン大尉! ありがとうございます」

「聞き覚えのある声がすると思って来てみたが。やっぱりローズの店長だったか」

「スノウちゃん、ケガはない?」


 大丈夫です、と答えたら、カイザーが足元にひざまずいた。


「足から血が出てるぞ。見せてみろ」

「いっ、いいですっ」


 枝で傷ついた足を取られて、私は抵抗した。

 強引に、カイザーの手から足を抜く。

 その拍子に、相手の頭を蹴ってしまった。

 しまった!


「……た、助けていただいて、ありがとうございます。

 でも、本当に結構ですから。蹴ってしまって、すみません」


 仇にお礼をいうだけでなく、謝罪までいわなくちゃいけなくなるなんて。

 私はこぶしを震わせつつ、歯ぎしりをこらえつつ、相手の目を見て謝った。


「お手数をおかけしました、大尉。私がちゃんと、スノウちゃんと一緒にいなかったのが悪かったんです。申し訳ありません」

「お気になさらず。市民を守るのが軍人の仕事ですから」


 ガイザーは近くに生えていた草の葉を、選んで摘んで、マロンに渡した。

 マスケット銃を担いで、訓練にもどって行く。


 なぜに葉っぱ、と思っていたら、止血用だった。

 マロンが傷口を洗い、葉っぱを傷口に当て、ハンカチを巻いてくれる。

 

 くっそお。軍人だけあって、サバイバル慣れしているな。

 一から十まで、カイザーに助けられっぱなしだ。


「さっきの、何だったんでしょうね」

「幻よ。妖精のイタズラ。からかわれたのよ」


 花畑にもどると、異変が起きていた。

 バスケットの中身が、変わっていた。黄金色に輝くベリーにすり変わっている。

 マロンが手を叩いて大喜びした。


「すごい、黄金ベリーだわ! きっと、妖精さんたちのお詫びね。ジャムにするのが楽しみ」


 黄金ベリー。幻といわれる果実。

 ゲームでも、ゲットするために何度も森へ行ったおぼえがある。


 風が吹くと、こずえが揺れて葉が鳴った。クスクスと忍び笑いが聞こえた気がした。

 お詫びというより『いいリアクションでしたで賞』じゃないの?

 荒んだ感想を抱きつつ、果実をつまむ。うまみが詰まっていて、おいしい。


「シュマーレン大尉って、寡黙だから怖い印象を持っていたけど。勇敢で、親切で、やさしいお方ね。

 スノウちゃんをかばった姿には、ドキッとしちゃった」


 帰り道、うっとりしているマロンに、私は頬が引きつった。

 助けられたのは私だけど、カイザーに対するマロンの好感度は上がっていた。


 イベント阻止は不首尾に終わったわけだ。

 しかも、自分が借りを作る形で。

 大失敗だ。

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