3.清楚な菓子職人 マロン=ローズ

 三日後、『ローズ菓子店』のオープン日になると、私はイルを急かした。

 外へ出かけよう、と誘うつもりで、ソファでくつろいでいるイルの足回りをうろうろする。


「どうしたの? シュガー。そわそわして。かまって欲しいのかな?」


 ちがう、そうじゃない! お出かけしよ!

 と主張したいのに、出るのは、にゃー、にゃー、という鳴き声ばかり。


「いいよ、今日は一日、お休みにしてあるから。気が済むまで、一緒に遊ぼうね」


 イルは猫のおもちゃを取りに、上機嫌で別の部屋へ行ってしまった。

 言葉が話せないって、もどかしい。

 ライバルのだれより先に菓子店に行って、イルのことをマロンに印象付けたいのに!


 ゲームはお店の開店日からはじまり、その日は、プレイヤーにとっては誰を攻略するか品定めする日になっている。

 お客さんに混じって、代わる代わる、攻略用の男性キャラクターが現れるからだ。


 好感度に影響するイベントは発生しないけど、一番乗りで行くに越したことはない。

 だれだって、なんだって、最初と最後が印象に残りやすいものだから。


 ゲームでは、公式がメインルートとして推しているキャラなので、カイザーが一番に登場するけど、その流れを変える努力はしてみないとね。


「シュガー、猫じゃらしだよー」


 イルがもどって来ると、私はバルコニーに出た。

 意味ありげにイルをふり返って一声鳴き、建物の突起や、バルコニーの手すりを利用して、地面に下りる。

 最初は怖かったけど、今では慣れたものだ。

 庭を横切り、通りを渡って、目的の場所――『ローズ菓子店』にたどりついた。


 ちょうど、お店がオープンするところだった。

 ガラス窓にかかっていたレースのカーテンが開かれ、淡いピンクのマカロンタワーがお目見えする。

 栗色の髪の女性とばっちり目が合った。

 主人公のマロン=ローズだ。


「こんにちは、猫さん」


 マロンは外に出てきて、私の前にしゃがんだ。

 白いブラウスに、紺のスカート、バラの花の刺繍が入ったエプロン。地味だけれど、清潔感のある服装だ。

 ゆるいウェーブのかかった髪は、両サイドを三つ編みにして、ハーフアップにしてある。

 控えめにいって、めちゃくちゃかわいい。


「今日からオープンなの。よろしくね」


 頭をなでられたので、挨拶がわりに、マロンの足に体をすりつける。

 くすぐったそうな、でも、嬉しそうな声が返ってきた。


「シュガー」


 マロンとたわむれていると、狙い通り。イルが私を追いかけて、お店にやって来た。

 すぐに私をマロンから引きはなす。


「すみません、レディ。スカートに猫の毛が」

「とんでもない。お店を開けてはじめて会えたのが猫なんて、うれしいです。私の故郷では、猫は縁起がいいものだから」


 マロンは私を抱いて、左の前足を取った。


「お客さん、こい、こい、なーんて」


 招き猫よろしく、マロンは私を使って手招きをする。はにかむ笑顔もかーわいーい。


「猫さん、よかったら、一番目のお客さんになってくれる?」


 マロンが店のドアを開けると、甘い匂いがただよってきた。

 誘われるように、一歩、二歩、と店内に足を進める。


「どれも、とてもおいしそうだね」


 つづいて入って来たイルが、私を抱き上げた。

 おかげで、店内がよく見渡せるようになる。


 うすいピンクの壁紙が貼られた店内は、小ぢんまりとしてかわいらしい。

 照明や小物類は曲線的で、やわらかな印象だ。

 ところどころに、お店のコンセプトである赤いバラがあった。生花だったり、絵皿だったり、ガラスだったり、素材や形をさまざまにして、店内に華を添えている。


 入って右の壁際にあるのは、あめ色に光る木製の棚だ。

 上段に、色とりどりのジャムがある。いちごやリンゴ、カシスやオレンジなど、新鮮なフルーツをぎゅっと煮詰めた一品だ。

 中段にならぶのは、果実の形を残したコンポート。ヨーグルトやアイスに添えたり、汁ごとゼリーにしたり、凍らせてシャーベットにしてもいいなと、想像がふくらむ。

 下段にあるクロワッサンに、クリームと一緒に挟んだっていいだろう。


 売り場の中央部分には、焼き菓子の台。

 大きなガラス瓶たちには、無造作にクッキーが入れてあって、丸ごと買いたい衝動にかられた。

 扇状にならべられた黄金色のマドレーヌや、金塊のように積まれたフィナンシェには、おいしいお茶を合わせたくなる。

 ドライフルーツを惜しみなく混ぜたパウンドケーキは、端から切って、一日一日、大事に味わいたい。


 どれもこれも気になるけど、一番魅力的なのは、入って正面のショーケースだ。

 みずみずしく光るイチゴのタルトに、見ただけでピスタチオの味が口の中によみがえるような若葉色のムースケーキ。春を意識した生ケーキが陳列されている。

 見た目が地味になりがちなロールケーキは、表面が二色で作られていて、たまご色のスポンジ生地にピンクのお花が咲いている。どこまでも乙女チック!

 

 感謝感激。感無量。

 この景色を実際に目にできるなんて。肌で感じられるなんて。匂いをかげるなんて。幸せ過ぎる。


「何にしようか迷うな。おすすめはある?」

「春なので、やっぱりイチゴのタルトを試していただきたいですけど、自信作はマドレーヌです」


 マロンはオープンサービスで、試食用のマドレーヌを用意していた。

 形のいい鼻を寄せて匂いを嗅ぎ、一口かじると、イルは感心した。


「いいね。しっとりしているし、焦がしたバターの風味がいい。

 でも、一つだけ、どうしても許せない点がある」

「何か粗相を?」

「こんないいサービスを用意しているなら、開店前にもっと宣伝しておかないと。もったいないよ」


 マロンはほっとして、うれしそうに笑った。


「タルトを一切れと、持ち帰りでマドレーヌを十個いただこうかな。会社の人に配って、宣伝しておくよ」

「ありがとうございます!」


 注文を済ませると、イルは併設されている喫茶スペースに腰を下ろした。

 このゲームでは、生ケーキを持ち帰りで販売することは少ない。ほとんどが併設のカフェで食べて帰る形式だ。

 何しろ家に冷蔵庫がない時代のようなので、気軽に持って帰れないんだろう。裕福なイルの家ですら、氷を使った冷蔵庫だ。時代の違いにおどろいた。


「コーヒーもおいしいね。いいお店だ」


 タルトともに運ばれてきたコーヒーを一口飲んで、イルは表情をほころばせた。

 喫茶担当のダンディなマスターが満足げにする。


 イルが喫茶に座ったのを皮切りに、店内にお客さんが入ってきた。

 新しいお店への物珍しさもあるだろうけど、テラス席で優雅にコーヒーをたしなむイケメンにつられて、というのもありそう。

 女性客は、ちらちらイルを見ては、同じイチゴのタルトを注文する。あっという間にワンホールが消えた。


 ふふふ、かっこいいよね、イル様。

 もっと見て! 私の推しに見惚れて!


「ご機嫌だね、シュガー。何かいいことがあったの?」

「にゃう!」


 推しがみんなに愛されてて幸せです。

 しっぽが左右にゆらゆら、自然に揺れちゃう。


 しかし、浮かれてばかりもいられない。

 私はこれから一仕事しなければ。

 イルのために、怨敵カイザー=シュマーレンの恋愛フラグをへし折るのだ。

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