2.紳士な若社長 イル=フロッタンテ
猫に転生して、十日が経過した。
ゲームの世界に転生したなんて、最初は夢か幻だと思っていた。束の間のことだと。
だけど、いつまで経っても夢は覚めず、私は猫のままだった。
推しの飼い猫となって、二人でマンションで暮らしている。出会ったお屋敷とは、また別の場所だ。
窓辺に立つと、窓ガラスに、綿毛みたいにふわふわの、長毛な白猫の姿が映った。目は金色で、身体は大きめ。これが今世の私の姿だ。
前世であった種類でいうなら、ノルウェージャン・フォレスト・キャットかな?
長いしっぽが優美で、三角形の顔は凛々しくもかわいらしい。『森の妖精』といわれる猫だ。
自分の姿を自覚すると、この白猫もゲームのキャラクターだと思い出した。
物語には直接関係ない、マスコットキャラクターだ。
ロード画面やアイコン、背景の片隅に居たりする。ゲーム制作者のシュミらしい。
ゲームの原作を提供した人は、よっぽど猫好きだったようで、一度、興味をひかれて見に行ったSNSには、猫への愛がダダ漏れてた。
『私は猫に救われた』
『おキャット様こそ真の救世主』
『ぬこ様は何より尊い!』
……たぶん、作者もいろいろ疲れていたんだろうな。分かる分かる。
「シュガー」
穏やかな声が、私を呼んだ。イルだ。
イルは朝一番、寝室から出てくると、朝食よりも新聞よりも先に、まず私をかまう。
「おはよう、シュガー。僕のお姫様。今日のご機嫌はいかが?」
く……おおおおおっ。
全身の毛が、ぞわっと逆立つ。悦楽で。
自分の推しに、朝からこんな言葉をかけられて、喜ばない女子がいる?
いや、いない。
「今日もつれないね」
そっぽをむいて、バルコニーに出てしまった私に、イルが残念そうにする。
嫌がったわけじゃない。感極まりすぎて、これ以上、そばにいられなかっただけだ。
幼いころから、男顔負けに運動ができた私は、周囲から女の子扱いされてこなかった。
見た目も、女子にしては高身長でがっしりとしていたので、なおさらだ。
私自身も、女性扱いされると気恥ずかしく、男女平等をモットーにお断りしていた。
けど、心は逆だ。
私は常に、自分を女の子扱いしてくれる存在にあこがれていた。
現実にされるのは、羞恥心が勝ってとても耐えられないから、私はその欲求を二次元で発散した。
つまりは漫画やゲームだ。
主人公を女の子扱いしてくれる、やさしい王子様タイプのキャラが出てくると、必ず好きになった。
イルもその一人。
ビジュアルも性格も言動も、すべてが私の理想だった。ゲーム開始直後に一目惚れした。過去一好きなキャラだ。
猫でもなんでも、彼の近くに生まれ変われたことに感激している。
あぁ、今日も景色がきれいだなあ。
心を落ち着けるために屋根に登った私は、朝焼けに映える町を見渡した。
赤い瓦屋根のつらなる、石造りの町並み。
町並みの途中には、町を東西に分ける川があり、その向こうには尖塔をそなえたお城が見える。
ゲーム『ローズ菓子店へようこそ!』の舞台は、チェコのプラハに似ている。中世の雰囲気を残し、世界で一番美しい、といわれている都市に。
時代は近代、かな。通りには馬車が走っているけど、鉄道や自動車もある。
あ、メイドさんが呼んでる。ごはん、ごはん。
部屋にもどると、イルも朝食を取っていた。新聞の経済面を、熱心に読んでいる。
彼は高級百貨店の若き社長、という設定だ。物腰やわらかで、スーツの似合う上品な紳士だ。
生活も優雅で、室内の家具は高そうなものばかりだし、今、イルが持っているカップ一つとっても、絵柄が繊細で鮮明だ。
コーヒーのお代わりを注ぎにきたメイドが、新聞をのぞいて誇らしげにする。
「旦那様、また新聞にお載りになったのですね。
『六番通りの貴公子』なんて。旦那様にぴったりの二つ名ですわね」
「本物のお貴族様に失礼だよ」
朝食を終えると、イルは席を立った。
自分がしているネクタイと同色の、青いリボンを私の首に巻く。
「シュガー、あの赤い扉のところ、今度はお菓子屋さんになるんだって。楽しみだね」
イルは通りを挟んで、斜向かいにある空き店舗を指差した。
あそここそ、ゲームの中心地。
今はまだ営業していないけど、主人公マロン=ローズが店長を務める『ローズ菓子店』になる場所だ。
「いつも気にしているよね。開店したら、一緒に見に行こうね」
イルは私の背中を一なですると、おでこにキスをして、仕事に出かけて行った。
食器を下げながら、メイドたちが苦笑する。
「旦那様ったら。二言目には、シュガー、シュガーって。猫かわいがりって、あのことよねえ」
「でも、シュガーを飼いだしてから、私は旦那様に親しみが湧きましたよ。
旦那様はなんでもよくお出来になる上に、性格も良くて。同じ人間とは思えないような完璧ぶりでしたから。
シュガーをあきれるくらい甘やかしている姿には、人間らしさを感じますよ」
そう。イルは並外れて優秀な人、という設定だ。
運動でも勉強でも音楽でも、なんでもソツなくこなし、人当たりも良く、経営の才能もある完璧人間。
でも、イルはそのことをむなしく思っている。
人に褒められても、世間に評価されても、彼の心は満たされない。
何かに対する特別な情熱、というものが彼には欠けているからだ。
それが、マロンと出会ったことで、徐々に変わっていく。
不器用に思い悩みながらも、情熱的に突き進む菓子職人のマロンに、あこがれ、惹かれ、彼女を応援したいと思い、自分の中に眠っていた情熱を見つけるのだ。
『君のことを、一番近くで応援させてもらえないかな。できれば、一生』
告白シーンを思い出し、私は悦に浸った。
はあ……ステキ。
思わずごろごろ転がったら、床に落ちた。
だれにも見られなかったけど、恥ずかしっ。
……ん? あれは?
また窓辺に上がった私は、通りに見覚えのある人物を発見した。
濃い緑色の軍服を着た、黒髪の男。
道行く女性をふり返らせている、さっそうとしたあの男は。
ゲームの攻略キャラの一人、カイザー=シュマーレンだ!
私は窓に張りついた。胸に燃えるのは、萌える心じゃない。怒りの炎だ。
私はカイザーが嫌いだ。大嫌いだ。
理由は単純。イルを差しおいて、一番人気のキャラだから。
カイザーは制帽のつばに手をやって、昨日取りつけられたばかりのローズ菓子店の看板を見上げた。
さして興味がなさそうに、すぐに通り過ぎる。
だが、私は知っている。彼はこの後、足しげくお店に通うことを。
いつも恋人かだれかにプレゼントするふうに買っていくけど、本当は自分が食べたいだけ。
厳しい軍人のイメージを保つために辛党のフリをしているだけで、彼は甘党なのだ。
キイイイイイ……!
立てた爪が、窓ガラスの上をすべった。
許さない許さない許さない。
公式で攻略メインルートになっているキャラだけど、認めない。
私のイル様を差しおいて、主人公と結ばれるなんて。
カイザーは確かにかっこいいし、ストイックでクールなキャラだっていいと思う。
けど、私の場合、そう思えるのは、イルのような温厚で紳士な王子様キャラと共存していない場合に限ってのこと。
他作品で、イルのような王子様キャラが、カイザーのようなクールキャラの当て馬に使い捨てられて以来、私はクールキャラに反発を覚えるようになってしまった。
よし、決めた。
私が絶対、イル様の想いを遂げさせてみせる。
イル様とマロンをカップルにしてみせる!
そのために、あの仇敵の恋愛フラグはすべてへし折ろう。
カイザー、あなたに罪は無い。
ただ、クールキャラに生まれたあなたの不幸を呪ってくれ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます