転生したら推しの飼い猫だった

サモト

登場人物たち

1.転生したら推しの飼い猫だった

 私の死に際はひどいものだった。


 大学を卒業して就職した会社が倒産、次の就職までの繋ぎでバイトした飲食店は、人手不足でブラックな職場環境。

 ろくに業務を教えられることもなく働きはじめ、初日から先輩にクレーム処理を押しつけられ、お客さんに不手際を怒られながら仕事を覚えていくような所だった。


 すぐに辞めようと思っていたのに、体調をくずした先輩の代わりにシフトに入っていたら、ずるずると続いてしまい。

 ストレスで帯状疱疹が出たので、さすがに休みを取ろうと、同僚にシフト交代を頼もうとしたら、全員、私より体調不良か音信不通。


 店長に休みが欲しいと頼んでみたものの、電話口で怒鳴られるわ、家にまで迎えに来られるわで、怖くて休めず。


 おかげで、死ぬ当日は十二連勤目。

 朝からチェストの角に足の小指はぶつけるし、出勤途中に黒猫は見るし、まかないをひっくり返して昼食は食べ損ねるし、釣銭ミスはするしと、さんざんな一日だった。


 なんとか仕事を終え、やっとデスマーチから解放されると、ほっとしながらバス停に立った時。

 忙しさから最近プレイできていなかったスマホゲームを開き、ようやく推しに会えると、無上の幸せに胸をふくらませた、まさにその瞬間。


 バス停に車が突っ込んできた。


 即死ではなかった。死ぬまでに、少し時間があった。

 痛みでうすれていく意識の中、思ったことは“なぜ”だ。


 なぜ自分がこんな目に遭うのか。

 一日一善とはいわないまでも、悪いことはせず、まじめにコツコツ生きてきたつもりだ。

 ここのところは両親に心配させ通しだったけど、学生時代は勉学にも部活動にもはげみ、模範的な学生で、親を悲しませたりはしなかった。


 兄が彼女を家に連れてきたとき、クローゼットに隠していたフィギュアを陳列しておいたり、弟のプリンを横取りしたり、たまに理不尽な命令をしたりしたことはあるけれど、まあ、なんていうか、あれはどれも親愛の情の発露だ。嫌がらせじゃあない。


 遠くに住んでいるおじいちゃん、おばあちゃん。

 毎年、敬老の日や誕生日には欠かさずプレゼントを贈った。二人とも優しくて、大好きだった。


 どうして私が。

 なんでこんなことに。


 スマホケースにつけてある神社の御守が、なんとも皮肉だった。

 祖父母が大殺界にあるような私の状況を心配して、近所の神社に開運を祈願し、送ってくれたんだけど、やっぱりこの世に神様なんていないらしい。


 視界が狭くなっていく。


 衝撃でひび割れたスマホの画面に、ゲーム画面が映し出されていた。

 恋愛乙女ゲーム『ローズ菓子店へようこそ!』。

 液晶画面の向こうで、私が愛してやまない男性キャラクターが、穏やかにほほ笑んでいた。


 最後に網膜に焼きつける情景としては、上等だろう。

 身も心も、少しも癒されないまま、理不尽に死ななければいけないことが悔しい。

 心の中で、そっと願う。


 ――ああ、どうか。

 来世では、イケメンに甘やかされて、心身ともに癒される日々が送れますように。


 意識が暗転した。

 私の人生はそこで終わりのはずだった。


 ところが。


 突然、まぶたの裏に、光があふれた。

 間近に何か大きなけはいを感じる。

 頭に凛とした声がひびいた。


 ――理不尽に思うそなたの心、もっともだ。

 そなたの祖父母は、長年、我に感謝をささげてくれている。

 そなたも故郷に戻ってくれば、必ず我が社にあいさつに参った。

 我が氏子が、かようなむごい目に遭って死んでしまうのは、見るに忍びない。

 望みを叶えてやろう。


 光がますます強くなる。

 視界が白い光に覆いつくされ、私はたまらず、また意識を手放した。


 どのくらい経っただろう。

 私は全身にけだるさを感じながら、意識を取りもどした。


 うっすら目を開くと、また、まぶしい。

 でも今度は、さっきのように人を圧倒する、白く強い光じゃなかった。


 やわらかな光だ。金と、青の、温かみのある色。

 その正体が、陽にかがやく金の髪と、サファイアブルーの瞳の色だと分かるのには、少し時間が必要だった。


「君、大丈夫? 生きてる?」


 私を上からのぞきこんでいるのは、金髪碧眼のやさしげな男性だった。


 驚きに、息を呑む。

 長いまつげに、鼻筋の通った端正な顔、すらりとした容姿。

 ファッション誌の表紙を飾ってもおかしくないこの美男子は、そっくりだった。


 私が生きる活力としていた乙女ゲーム『ローズ菓子店へようこそ!』の最推し、イル=フロッタンテに。


「……にゃあ」


 イル、と呼びかけたくて、のどを震わせたら、思いもつかない声が出た。

 ……え? なに? にゃあ?

 なんで私の口から、猫の鳴き声みたいなのが出るの?


「よかった、まだ生きているんだね」


 男性は私に手を伸ばしてきた。

 隣にいる年配の女性が、思い切り顔をしかめる。


「イル、そんな汚らしい野良猫、放っておきなさい。変な病気を持っているかもしれないでしょう」

「ちょっと汚れているだけですよ。

 灰色っぽくなっているけど、元の毛色は白かな。上等なお砂糖みたいだ」


 男性はこれ以上ないほど慎重に、そっと、やさしく、私を抱き上げた。

 着ているモーニングコートに砂や枯葉がつくけど、気にも留めない。


 いや、それよりも。

 今、このイケメン、イルって呼ばれてた? 呼ばれていたよね。


 まさかこの人、あのイル=フロッタンテ?


 他に情報はないかと、私は少し身をよじった。

 周囲には着飾った人間がたくさんいた。男性は上品なスーツで、女性はドレス。どちらの服装も、型は現代とはちがった。レトロだ。


 時刻は昼で、場所は外。ガーデンパーティーの最中のようで、白い布のかかったテーブルには、ごちそうが並んでおり、グラスもたくさんある。


 敷地に建っているのは、アールヌーヴォー調の白い館。

 この光景、見覚えがある。

 そう、たとえば、ゲーム画面の背景とかで。


「ミスター=フロッタンテ、そろそろスピーチをお願いいたします」

「すぐ行きます」


 フロッタンテ! やっぱり、そうなんだ。この人はイル=フロッタンテなんだ。

 つまりここは、ゲームの世界?


「にゃー! にゃー!」


 確認したいことは山ほどあるのに、肝心の言葉が出ない。

 どんなに努力しても、出てくるのは猫の鳴き声ばっかりだ。

 一心にイルの青い瞳を見つめると、やさしく見つめ返された。大事に抱え直される。


「大丈夫、ここに置いて行ったりしないよ。君を離したりしない」


 イルは、私がスピーチのために手放されると不安がっている、と誤解したらしい。


「一生大事にするよ。だから僕の家族になって、シュガー」


 うるわしの微笑に、やわらかで甘い美声、それにプロポーズのようなセリフの三連コンボ。


 神様、今、私を殺してください。

 幸せのあまり、私は昇天しかけた。

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