4.ストイックな軍人 カイザー=シュマーレン

 イルと家に帰った後、私は窓辺から通りを見張った。


 開店から一時間。

 ローズ菓子店の客足は順調で、喫茶はほぼ埋まっている。

 そのうち、カイザーがやってくるはずだ。私はそれを待ち受けていた。


 開店日、カイザーは店内で、つまづきかけたマロンを支えることになっている。

 その、軍人らしいたくましい体で、マロンを抱き留めるのだ。


 イルにしか興味のなかった私にとって、そのイベントは何も感じない、好感度も上がらないイベントだったが、現実、マロンの立場になったらどうだろう?

 ちょっとドキドキしてしまうんじゃないだろうか。


 ――許せない!


 絶許、と思いつめていると、通りに自動車がやってきた。

 まだまだ通りを現役で馬車が走っている時代なので、嫌でも目が行く。

 乗っていたのは、カイザーだ。部下らしき男性と二人連れ。往来の邪魔にならないよう、適当な場所に車を止める。


 現れるや否や、カイザーは周囲の視線をさらっていた。

 私から見れば博物館の展示品のような自動車も、この世界の人から見れば流行の最先端だ。老若男女問わず注意を引く。

 加えて、運転席に座っている男性が、凛々しい軍服姿で、頼りになりそうな偉丈夫で、イケメンとくれば、淑女の視線はカイザーに釘づけだ。憎たらしい。


 私はふたたび、窓から外へ出た。

 首のリボンが窓枠に引っかかる。ああ、もうっ、急いでいるのに。

 なんとかリボンをほどいて、地面に下りる。たぶん、部屋から地上までの最速タイムを更新した。


 ガイザーのところへ行く前に、私は庭の小さな池に浸かり、たっぷり毛をぬらした。

 水を滴らせながら、目標に向かって突っ走る。

 狙いを定め、いざ、ジャンプ。

 くらえっ、毛玉アタック!


「うわ――っ!」


 不意打ちはみごとに成功した。

 私はカイザーの顔面にべったりと貼りついた。

 水分をふくんだ私の毛皮が、カイザーの顔と制服を盛大に濡らす。


「何する、この毛玉!」


 カイザーは私をひっつかんで、顔面から引っぺがした。

 当然のことながら、めちゃくちゃ怒っていた。

 鉄色の目から放たれる鋭い眼光が、私を射た。


 ……怖。


 自然としっぽが股の間に挟まった。

 そういやこの人、主人公を拉致した犯人を半殺しにするんだった。

 規律に厳格で、違反した部下をムチで打つこともする。

 ってことは、無礼を働いた野良猫はどうなるの?


 制服を汚したおかげで、カイザーがローズ菓子店に入るのを阻止することは出来たけど、代わりに私の身が危ない気がする。


「首輪がないな。野良猫か」


 首にリボン、つけているはずだけど――って、そうだ。

 さっき部屋から飛び出すとき、取っちゃったんだ。


「にゃーにゃにゃにゃーっ!」


 野良猫じゃない、と主張して見たが、あいにく猫語は公用語でないので、通じなかった。


 じたばた暴れて、カイザーの手から逃げ出そうとするけど、首根っこをつかまれるとどうしようもない。私はぶらーんと、宙に吊り下げられる。


「貴様は詰め所に連行だ」

「にゃーっ!」 


 乱暴に車に放りこまれた。上着をかぶせられ、くるまれる。手も足も出ない状況になってしまった。


 イル様ーっ!


 恐怖でパニックになっていると、部下とカイザーの会話が聞こえて来た。


「連れて行くんですか、その猫」

「濡れていたが、毛艶はよかったから、野良ではない気がする。飼い猫かもしれん。一応、役所に拾得物として届け出る」


 よ、よかった。

 ムチ打ちの刑に処されたりするわけでは無いんだ。


「ケーキ、どうします? 手土産にいるんですよね。自分が何か買ってきましょうか」

「頼む。ガトーショコラがあったらそれで」


 店へはカイザーでなく、部下さんが代わりに行った。

 その間、カイザーは、通行人に私の身元を聞いたりしたが、だれ一人、私のことは知らなかった。

 まだここに住みはじめて間もないので、私の存在は近所に知られていない。


「こら、暴れるな。ここで逃げ出したら、おまえ、余計に迷子になるぞ」


 マンションに帰ろうとする私を、カイザーは押さえつけてくる。

 なんてありがたくない親切。

 そしてそんな寛大な措置は、私の狭量さを思い知らされるからやめて! もういっそムチで打って!


 抵抗もむなしく、私を乗せた車は発進した。

 上着にくるまれているせいで、全然、どこを走っているか分からない。

 ちゃんと帰れるかな。


 十分ほどして、車は止まった。

 上着に閉じこめられたまま、私も下ろされる。

 抱えるなんてことはされない。荷物のように、カイザーの手からぶら下げられている。


「役所、あっちですよ?」

「役所に届ける前に、洗う。どうせ俺もシャワーを浴びないといけないしな」


 カイザーも私も、池の水のせいで、藻臭かった。

 ゆらゆら揺られながら運ばれること数分、ようやく私は外へ出される。


 そこは浴場だった。

 日本のように浴槽はなく、シャワーがあるだけの空間。

 タイル張りの一室で、先客の男がたちが汗を流していた。

 当たり前だけど、裸で。全裸で。何一つ隠しているものなく。


 突然の衝撃的光景に、尾がぶわっと膨らんだ。


 赤面して顔をそむけたが、もっとまずかった。

 ゲーム内人気ナンバーワンの男も脱いでいた。鍛えられた上半身が目に飛びこんできた。


 さすがストイック。いい筋肉に仕上げていらっしゃいますね。


 ――じゃない!

 これ、もし中身が人間だってバレたら、痴女だぞ私。

 男子風呂に乱入した罪で後ろ指差されるとか。

 女装したのぞき魔より、社会的信用とか、女としての自尊心とか、とにかく色々失いそう。


「なんでありますか、シュマーレン大尉。その猫は」

「国家権力に牙剥く凶悪犯だ。油断するなよ。いきなり頭を狙ってきたからな」


「見た目に寄らず、狂暴なケダモノでありますな。処分はいかように?」

「水責めにしろ」


 逃げようとしたけど、タイルで足がすべる。

 兵隊さんたちは競って私を捕まえ、水責め――もとい、シャワーで洗いはじめた。


「へっへっへっ、ムダな抵抗はよしな、かわい子ちゃん」

「怖いなら目を閉じているんだな。なあに、すぐ終わるよ」

「くっくっく、遂にこの、彼女にあげるつもりで買ったけど、フラれてしまいこんでいた香りつき高級石鹸を使う時が来たようだなぁ?」


 三百六十度、どこを見ても筋肉しかない。マッスルパラダイス。裸男祭。

 見ちゃダメだ見ちゃダメだ見ちゃダメだ。

 私は観念してきつく目を閉じ、されるに任せた。


 みなさん、指は太くてごついけど。

 手つきはやさしい。いい人たちだなあ。


「はーい、泡、流しまちゅよー」

「おめめ閉じているんでちゅよー」

「キレイになったにゃ~」


 強面から発せられる赤ちゃん言葉とニャン言葉は怖いけど。


 この後、タオルで拭いて乾かしてもらって、ブラッシングもしてもらって、さあこれから役所に、というところで、ようやくスキができた。私は窓から逃亡した。


「大変です、大尉っ。凶悪犯が脱走しました!」

「阿呆! 全員腕立て伏せ百回!」


 兵隊さんたち、ごめんなさい。

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