おぼえてないのは彼女だけ③
僕の名前は村上康介。
あいもかわらず、記憶喪失だ。
本日は週末、デート当日である。
「いやぁ。結構内装変わったねぇ。全然違う!」
僕らはリニューアルされた例の水族館に来ていた。見上げれば首が痛くなるような大きな水槽に、色とりどりの海の生き物が泳いでいる光景は壮観である。
提案者はあおいである。僕の事故以前に二人で来たことがあるらしい。過去の思い出がある場所に行くのはリスキーなのだが、変に拒否するのも怪しまれる。
「どうしたのコースケ。顔こわばってない?」
あおいがじーっと僕の顔を見つめる。
襟付きの花柄ワンピースという破壊力抜群の私服に身を包んでいる。暗めの色調が彼女の白い肌を際立たせており、ほんのり施された化粧のためかいつもより顔立ちがはっきりして見える。もう本当に芸術品のようだ。
「そ、そうか?」
「もしかして、デートで緊張してんの?」
意地悪な笑みを浮かべている。くそ、かわいい。
「いやいや。今更あおいで緊張なんかしないだろ」
「ふーん。そうなんだ。じゃあ……」
あおいの左手が、僕の右手にすっと結ばれた。
「こうしても大丈夫だね?」
手つなぎ!!!
触れているのが僕の手なのか彼女の手なのか分からなくなる気恥ずかしさ! 手汗がバレないか緊張してさらに手汗が溢れる無限ループ!! プラトニックデートの王道にして覇道である!! !
「あ、あっちにトンネル水槽あるよ! 行こう!!」
「え、あ、おう」
あおいに手をひかれながら、僕は再度気を引き締める。
絶対に、ボロを出したりしない。彼女を失わないために!!
「いやぁ〜満足満足!!」
「そりゃよかった……」
言葉通り満足そうな顔で、あおいはオレンジジュースをすすっている。
水族館の出口付近にある喫茶店で、僕らは休憩していた。日も暮れて、そろそろ家路につこうかという時間帯である。
デートはつつがなく進行した。懸念していた思い出話なども特にせず、僕らは水族館を満喫できた。
「……でも、クラゲの水槽に二時間張り付いてたのはさすがに驚いたぞ」
「ごめんごめん。あんまりに綺麗で」
あおいはすさまじい凝り性だった。好きなモノにはとことん傾注するタイプらしい。どうやら水中を浮遊するクラゲの姿が気に入ったらしく、一歩も動かずに二時間ほど眺め続けていた。
食い入るようにクラゲを眺めるあおいの横顔は、無邪気で情熱的だった。いつまでも見ていたいとも思えるほど美しい表情ではあったが、このままではイルカショーに間に合わない。僕は引きずるようにして彼女をクラゲから遠ざけなければならなかった。
「さて……そろそろ帰りますか!!」
「あ、あおい。ちょっと待って」
「ん?」
「ほら、これ」
カバンからラッピングされた箱を取り出し、そっとテーブルに置く。
「今日、誕生日だろ。おめでとう」
目の前のプレゼントに、あおいはキョトンとしている。
過去に誕生日を教わっていた可能性もあったので、本人の口からきいたわけではない。下山恭子をはじめ、彼女の友人からの情報提供である。
「これ、開けていい?」
「もちろん」
丁寧な手つきで包装紙を開いていく。
「水彩筆……私が使ってるやつ……」
「その、筆は消耗品って聞くし、何本あっても困らないかなって」
あおいの口角がだんだんと持ち上がる。
花が咲くようにゆっくりと広がる笑顔。
僕の一番好きな笑顔だ。
「……あ」
なのに、あおいの表情は一瞬で崩れた。
何かに気づいたように口が半開きになる。
「……そっか、そうだよね」
じわじわと、あおいの瞳からは涙あふれはじめた。
喜びとか感謝とは別の、悲しさや申し訳なさを含んだ涙だった。
「いや、その、気にするなよ? そんなに高いモノじゃなかったし……」
しどろもどろになる僕に、あおいは「違うの、違うの……」とだけ繰り返す。
「いったい、何が……」
「……本当にごめんなさい」
突然立ち上がり、彼女は走って店内から出ていった。
僕はただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
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