※※

「……何の用ですか? 清白すずしろ先輩」


 雷斗ライト杏奈アンナと繋がっていた手をほどくと、杏奈をかばう形で前へ出た。逆に杏奈は一歩後ろに下がり、少しだけメガネをずり下げて雷斗の影から清白姫妃ヒメキをひたと見据える。


「疑似実地パフォームが開幕になるのは3日後で、それまで錬力使い同士のケンカは御法度。……生徒会副会長の清白先輩は、よぉーくそのことを知ってるはずっすよね?」

「あらやだ。わたくしが殴り合いでもしに来たと思っていて? これだから野蛮な人間は嫌いですの」


 周囲の空気は人の気配でざわついているが、この廊下の一角に人影はなかった。まるで世界から切り取られてしまったかのように、雷斗と杏奈、姫妃だけが立っている。


「わたくしはただ、事情聴取に来ただけですわ」

「事情聴取?」


『されなきゃなんねぇのは生徒会そっちだろ』というセリフが喉まで出かかったが、雷斗はかろうじてその言葉を飲み込んだ。立場は違えども、万が一この話を他の人間に聞かれたら困るのは雷斗達だって同じだ。


 ──困ると言えばこいつら、完全に部外秘であるアンナの本性について知っちまってるんだよな。


『知られてしまったら最後、杏奈本人も知ってしまった人間もただでは済まされない』という話だが、杏奈は一体どうされてしまうのか。


 一瞬だけ脳裏をぎった不安に、雷斗はキリッと拳を握りしめる。


 まるでそんな雷斗に呼応するかのように、扇子を握る姫妃の手にも力がこもった。


「単刀直入に訊きますわ」


『憎しみ』とも言える感情を、姫妃は隠すことなく瞳に込めた。ひたと雷斗を見据えた表情は、引き絞られた矢のような殺意を雷斗に叩き付けている。


「お前、詩都璃シヅリに危害を加えたでしょう?」


 その言葉に、雷斗は無言のまま身構えた。それをどう受け取ったのか、姫妃が纏う空気が一気に湿度を増す。


「しばらく前の夜、詩都璃はわたくしに無断で外泊をした。しばらくして帰ってきたかと思えば、全身ボロボロでしたわ。本人は隠したがっていたけれど、見る者が見れば分かります。あれは雷撃による攻撃痕ですわ」


 ──……? 何だ? この違和感……


 姫妃の殺意に姫妃の錬力が勝手に反応して空気中から水が引き出されていく。姫妃の周囲を漂いだした水滴は、姫妃が激しい攻撃の意志を雷斗に向けている証拠だ。


 くうから形を得始めた敵意に対して身構えながらも、雷斗は姫妃の言葉に内心で首を傾げていた。


 生徒会室で生徒会メンバーと相対した時も覚えた違和感。あの時と同じ違和感が雷斗に『待て』とささやきかける。


「あの子が最近、わたくしに無断で遅い時間に出歩いていることは知っておりましたわ。またぞろわたくしの身を狙う虫でも湧いて駆除に出ているのだと思っていたけれど……。お前でしたのね、『ライトニング・インサイト』」

「は?」


 その原因に、雷斗はようやく気付いた。


「ばっ……何言って……!」

「詩都璃はお前を見て怯えていましたわっ!! お前が詩都璃をいたぶったっ!! そうなのでしょうっ!?」


 バシャリと廊下に水があふれる。空気中から生まれ、姫妃の足元を覆うように渦巻いた水は、舞踏家が操る領巾ひれのように姫妃の体に寄り添う。


「詩都璃はわたくしの従者っ!! 詩都璃のかたきはわたくしの仇っ!!」


 鬼女のごとき形相で、姫妃は扇子を握った右腕を振り抜いた。水の領巾がその動きに従い牙を剝く。


「詩都璃をいたぶった報いを受けなさいっ!!」


 ──事情聴取に来ただけじゃなかったのかよっ!?


 雷斗は素早く後ろに跳ぶと杏奈を肩に担ぎ上げるように抱え上げた。そのまま軽やかに床を蹴り、ステップだけで姫妃の攻撃を避ける。


 まるで日本舞踊を舞っているかのように姫妃の扇子は翻り続けていた。その優美な舞に合わせて水領巾は雷斗の足跡を追い、食らいつかんとばかりに雷斗へ迫る。


「アンナ!」

「あぁ、イトが思っている通りだ」


 水しぶきが飛ぶ中、両手でメガネのツルを支え、隙間から姫妃を観察し続ける杏奈が短く雷斗に同意を示す。


。完全に白だ」

「そんなことあるのか? あいつは生徒会副会長で、『ウェルテクス』のメンバーでもあるんだぞっ!?」

「だがそうでなければこの矛盾した状況に説明がつかない。逆に清白姫妃が白でも、犯行は成立する」


 違和感の素は、姫妃の言動にあった。


はしばみ先輩、ハッキリ言ってやってはいかが? 「史上最強の劣等生」なんかが、遊びで出れるような代物ではないのだと』


 生徒会メンバーは、すでに杏奈の本性も、雷斗の実力も知っている。そのことを榊原さかきばらハヤテも、榛大地ダイチも、稲荷いなりナツメも、雨宮あまみや詩都璃も隠そうとしていなかった。


 そんな中で姫妃だけが、そんな素振りを見せなかった。真っ直ぐに杏奈に蔑みの視線を向け、雷斗に向かって『ライトニング・インサイト』と呼びかけた。


 そう、清白姫妃だけが、あの現場を知らないかのように、ごく一般の生徒が雷斗達に向けてくるものと同質の感情を向けていたのだ。


 清白姫妃にだけは、錬対内通者から漏れているはずである『ライトニング・インサイト』の情報が共有されていない。


「荒事担当の榊原颯と榛大地、鍵師の雨宮詩都璃、電脳担当の稲荷棗。これに錬対の内通者である内村うちむら潤平ジュンペイを合わせた5人で犯行は行われていたんだ。鑑定士だと考えられていた清白姫妃は、この件には一切関与していない」

「何でそんな状況にっ!?」

「そこまでは現状、私にも分からないが」


 雷斗の肩にへばりつくように収まった杏奈は、そう答えながらも何かしらの答えを得ているようだった。


 呼吸ひとつ分だけ言葉を切った杏奈は、ふむ、と小さく呟く。


「そうであるならば、思っていた以上に道があるかもしれない」


 杏奈が何を指してそう呟いているのかは、雷斗には分からない。分かるのは杏奈には何か策があるということだけだ。


 そしてその一点だけが分かっていれば、雷斗には十分だ。


 だって『ライトニング・インサイト』は、杏奈が考えて雷斗が動くコンビであるのだから。


「アンナ! ひとまず今はどうするっ!?」


 とりあえず今は迫りくる水の鞭に対して逃げを打っているわけだが、逃げ続けるにも限界がある。その分かりやすい理由として雷斗の視線の先には廊下の突き当りが迫ってきていた。迎撃するにしろ何にしろ、そろそろ方針を決めなければ身動きが取れなくなる。


 ──清白姫妃は強力な錬力使いだけど、あっちは『水』でこっちは『雷』。相性的にはこっちが有利だ。


 だが雷斗は一般人である杏奈を抱えている。周囲を水に囲まれた状態で雷撃を使った肉弾戦に持ち込むと杏奈を巻き込みかねない。『学内私闘厳禁』という方針もある。なるべく直接の戦いには持ち込みたくないというのが雷斗の意見だ。


「私が考えていることが正しいならば、この場で清白姫妃に危害を加えることは得策ではない。得られるはずの協力が得られなくなる可能性がある」


 答えた杏奈はキュッとメガネを元の位置に戻した。そのまま片手でメガネのブリッジを押さえた杏奈は短く雷斗に指示を出す。


「飛んでくれ」


 どこから、という言葉は聞かなくても分かった。何せ突き当りの壁にはおあつらえ向きに窓があって、逃げ場はそこ以外にどこにもないのだから。


「あいよっ!」


 杏奈の左腕がギュッと雷斗の首に回る。その感触を確かめながら、雷斗は両足から紫雷を放出した。パリッという不穏なスパーク音とともに、雷斗の体はさらに加速する。


 一瞬スローモーションになった視界の中で、雷斗は手探りで襟の学年章をむしり取ると空いている右手の指で前へ弾き飛ばした。雷撃を纏った学年章は高速で移動する雷斗よりも先に窓ガラスへ到達し、スパークとともに窓ガラスを粉々に打ち砕く。


 窓枠だけになった窓に、雷斗は頭から突っ込んだ。前へ突き出した右肩から胸、右腕で飛び散るガラス片から杏奈を庇いながら校舎の外へ身を投げる。


 雷斗の加速についていけなかった水が壁に阻まれて大きく跳ね返る音が背後で聞こえた。姫妃が何事かを叫んでいるのか、言語化できない金切り声が飛び出してきた窓の向こうから聞こえてくる。


 ──さてと。3階なんだよな、ここ。


 いまだにスローモーションになっている視界で状況を確かめながら、雷斗は今更考えを巡らせる。


 腕の中を見ると、飛び散るガラス片から身を守るために杏奈はギュッと雷斗の首にしがみついたまま、雷斗の胸に顔を埋めるようにして必死に縮こまっていた。杏奈の中では『この程度の高さ、イトには問題ない』という判定だったのだろう。完全に『着地はお任せ』の状態だ。


 ──いや、俺だけならどうなろうが大丈夫なんだけども。アンナが一緒ってなると、気ぃ使うじゃん?


 幸いなことに、雷斗達が飛び出してきた窓はグランド側からは見えない場所に位置している。多少派手に暴れても目にはつかないが、やりすぎればお咎めが来るはずだ。


 ──できればこのまま逃げ切りたいってのと合わせると……


 そこまで雷斗が考えを巡らせた時点で、二人の体は1階天井部分まで落下している。傾き始めた陽の光にきらめくガラス片が季節外れの粉雪のように淡く輝いていた。目の前には木立の群れの枝葉が迫っている。


 雷斗はグッと杏奈の頭を右腕で抱え込むと、張り出した枝の幹に足を降ろした。膝で着地の衝撃を殺しつつ、殺しきれない衝撃はそのまま体を横へ押し流すことで受け流す。


 態勢を崩して落ちきる前に、今度は足を降ろした幹を蹴って飛翔方向を真横へ変更。さらに隣の木立の幹へ着地。何回か水平方向へ進路を切り替えつつ高度を下げ、ガラス片の落下範囲から脱出しつつ、徐々に地面へ近付いていく。


「っ、と!」


 ズザザザッ、と雷斗の足が地面を滑りながら止まる。頭上を振り仰ぐと、日の光を遮るように立つ校舎の背面が見えた。校舎を迂回する形で、飛び出してきた窓からさらに目立たない校舎の裏へ回り込んだ形だ。


 飛び出してきた窓から見渡せる範囲からは完全に外れているから、ここまで来れば姫妃も追撃は諦めるだろう。生徒会副会長という役職にある以上、あれ以上に派手なことは姫妃だって避けたいはずだ。


 ──逆に言えば清白姫妃は、そのギリギリを突いて俺にケンカを吹っかけてきたってことだよな。


 それだけ姫妃にとって、詩都璃の存在は重いのだろう。


 だからこそ、雷斗には分からない。


 なぜ詩都璃が黒で、姫妃は白なのか。何が二人の道を隔ててしまっているのか。


「ありがとう、イト。おかげで助かった」


 腕に抱え上げたままになっていた杏奈がモゾモゾと動き出す。その声に雷斗はハッと我に返った。


「アンナ、大丈夫か? 細かいガラスの破片がついてるかもしれないし、できれば学校でシャワー借りて……」

「イト、済まない、お願いがある」


 雷斗の腕が緩むと、杏奈は自主的にピョンッと地面に降り立った。


 己の両足で地面を踏みしめた杏奈は、雷斗の言葉を遮ると真っ直ぐに顔を上げる。


「割とムチャを言うことになると最初から分かっているのだが、聞き入れてくれないだろうか?」


 その言葉に、雷斗は思わず眉間にシワを寄せた。


 ──お願い、ねぇ……


 杏奈は、いつだってこうだ。


 我を通したい時ほど、真っすぐに雷斗を見上げる。我を通したい時ほど、真っ直ぐに言葉をぶつけてくる。


 計略を巡らせることも、相手の裏をかくことも簡単にできるはずなのに、雷斗に『お願い事』をする時、杏奈は必ず真正面からの正攻法しか使わない。


 だからこそ、雷斗は杏奈の『お願い事』に弱い。


「……とりあえず、聞くだけは聞いてみる」


 こうなってしまったら、自分に勝ち目はない。


 だが今回ばかりは、杏奈のお願い事に素直に頷くわけにはいかなかった。


五華祭いつはなさいが始まるまでの間に、10分間だけでいい。私の護衛を、外れてくれないだろうか?」


 思わず、言葉を失った。


 そんな雷斗を真っ直ぐに見上げたまま、杏奈は言葉を続ける。


「私だけで会いに行きたい人がいるんだ」

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