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※
いくら
そして学生の本分は勉学で、学校には定期考査というできれば遭遇したくないイベントが発生する。その宿命から逃げ出すことは、国家を揺るがす天才とその相方であろうとも不可能だ。
「え? 別に私は逃げ出したいわけじゃないよぉ?」
「そうだよな! お前にとっちゃそうだよな、チクショウ……!!」
というわけで、定期考査を数日後に控えた雷斗と杏奈は、錬力学研究所の中にある杏奈の私室でテスト勉強に励んでいた。
いや、正確に言うならば、テスト勉強に励んでいるのは雷斗だけだ。杏奈はウンウンと頭を悩ませている雷斗の正面に陣取って、ニコニコと実に楽しそうに雷斗を眺めている。
そんな杏奈を雷斗は恨めしく見つめた。
「お前の方のテストはどーだったよ?」
「え? 楽しかったよ?」
「っ……テストってのは、楽しいとか楽しくないとかいう感情で語るもんじゃねぇ……っ!!」
「だぁいじょーぶだよぉ、イトくんの前でしか言わないから!」
「そういう問題でもねぇ……っ!!」
その天才的な頭脳を日頃錬力犯罪の解決に役立てている杏奈だが、何も杏奈の頭脳はそれ専用というわけではない。
杏奈は今雷斗が頭を悩ませているレベルの学習を、小学校低学年の頃に片手間で終わらせてしまっているらしい。そんな杏奈に普通の試験を課しても意味がないと分かっている
どんな問題が出題されているのか雷斗は知らないし、恐らく聞いても理解はできないのだろうが、杏奈にとって『楽しい問題』であったならば、恐らく本来は大学院生か、あるいは研究者やら国家官僚やらが考えるべき問題が出題されているのだろうということだけは分かる。
──杏奈にとって俺達と一緒に受ける試験は『いかに本性を隠し通し、一般人として振る舞うことができるか』っていう部分をテストするための、いわば実技試験なんだよな、確か。
『全問外しても何か変だって思われるし、どこなら正解していても不自然じゃないかって考えながら適度に手を抜くのって、中々に難しくてさぁ〜』と杏奈はいつも本当に難しそうな顔で言うから、天才がバカを演じるのも大変なんだなと雷斗は時折思う。杏奈曰く『満点取る方がよっぽど楽』らしい。
──でも、あの天然ドジっ娘ムーブは、計算してやってるものだとも思えねぇんだけども。
『メガネひとつで本当にこの落差をスイッチできるもんなのか?』と内心だけで首を傾げつつ、雷斗は手にしたシャーペンの先を音を立てないように静かにノートの上に落とした。
「で? イトくんはどの問題が分からないの? アンナ先生が教えてしんぜよう!」
「アンナせんせぇ〜、メガネしたままそんなことできるんですかぁ〜?」
「これくらいならメガネしたままでも余裕ですぅー! でもそんな意地悪言うなら教えてあげませーん!」
──こんな軽口叩き合ってると、アンナもほんっとただのフッツーの女の子なのにな。
そんなことを思いながら、雷斗は部屋の中へチラリと視線を走らせる。
毎度お馴染みの杏奈の私室は、同年代の女子の部屋でありながらひどく殺風景だ。まるで病室のようだと雷斗は思う。
ゴチャつけばゴチャつくだけ杏奈の鋭すぎる五感を刺激してしまうから、物も配色も意図的に抑えられているのだということは分かっているが、白基調のモノトーンの部屋に必要最低限の家具だけが置かれた部屋はまるで牢獄のようだった。またこれが杏奈にとっての『快適な部屋』であるということが、雷斗にとっては少し寂しい。
──アンナにだって、必要最低限以上に必要な物も、手元に置いときたい物もあるだろうに。
そんな感傷が一瞬胸を
「ん?」
不意に杏奈が疑問の声を上げながら顔を上げた。何事かと杏奈を見遣れば、杏奈の顔は壁際に設置されたデスクの方へ向けられている。雷斗も杏奈の視線を追ってデスクへ視線を投げるが、デスクの上にはボディが黒い固定電話が置かれているだけで、特に目を引く物もなければ、特筆すべき変化もない。
「アンナ?」
「電話鳴ってる」
「は?」
だが杏奈は小さく呟くとスクッと席を立った。『いや、何も聞こえねぇけど?』と首を傾げる雷斗の視線の先で電話に駆け寄った杏奈は、迷うことなく受話器を上げると耳から少し離した位置で構える。
「はい……うん……え? よく分かったね。監視カメラ? ……そう? ……そっか」
受話器ごしに怒鳴り声を聞いているかのような距離感なのに、相変わらず雷斗の耳には杏奈の声以外の音は聞こえてこない。だが杏奈がわざわざこんな芝居を打つはずがないということは雷斗にだって分かっている。
──アンナ用に、呼び出し音も受話音量も絞ってあんのか。
計らずも杏奈の五感の鋭さを再認識した雷斗だった。
「で、それが分かってるのにわざわざ電話してきたご用件は?」
『むしろ日常生活的には大丈夫なのか? 俺、喋る声もっと絞った方がいいのかな?』と今更な心配を抱く雷斗を尻目に、杏奈は比較的友好的な態度で受話器の向こうに問いかける。
──この受け答えの感じからして、話し相手は
そもそもこの部屋の電話を直接鳴らせる人間自体が少ない。その中で杏奈が親しみを込めて受け答えをする相手となった時点で、電話をしてきた人物は白浜でほぼ確定だ。だがなぜわざわざ私室の固定電話を鳴らしてきたのかが分からない。
──白浜のおっちゃんなら、アンナが持ってる通信端末鳴らせるよな? そっちの方が確実じゃね?
白浜ならば杏奈のプライベート用の端末の番号も、現場で使う
「……ちょっと待って。イトにも確認を取らないと」
そんなことを考える雷斗の視線の先で、杏奈が雷斗を振り返る。軽く受話器の話し口を手で押さえた杏奈は、メガネと前髪で隠された向こう側の顔に微かな困惑を浮かべている……ような気がした。
杏奈の視線を受けた雷斗は首を傾げたまま口を開く。
「白浜のおっちゃんからか?」
「そうなんだけど……」
言いよどむ杏奈に雷斗はさらに首を傾げた。同時に、椅子から立ち上がり、杏奈との距離を詰める。
「どした? 代わろうか?」
「ん……直接話を聞いた方が、早い、かも?」
「ん? おーよ」
歯切れが悪い杏奈に疑問を懐きつつ、雷斗はコードレスの受話器を受け取るべく片手を差し出す。その手を見た杏奈は、手早く受話器の音量を最大まで上げてから雷斗へ受話器を手渡した。『いきなりフルマックスってどんな音量だよ』と怯えながらも、雷斗は受話器を耳元に添える。
「もしもし? おっちゃん?」
『おーよ、ライトぉ、邪魔してワリぃな』
受話器の向こうから聞こえてくるのは、確かに白浜の声だった。だがその声はやたらと遠い。とっさに耳の生体電流を強化して聴力を上げた状態でやっと普通に聞き取れる程度だ。
──いや、多分遠いんじゃなくて、こっちの電話の音量がメチャクチャ小せぇんだ、これ。
『ワリぃついででさらにワリぃんだが、今から
「雨宮詩都璃? 取り調べできるくらいに回復したのか?」
『やっぱ俺の普段の声、アンナには災害レベルでうるせぇんじゃね?』と戦慄しながらも、雷斗は白浜からの言葉に意識を集中させる。
昨日窃盗団の一味として身柄を確保された雨宮詩都璃は、雷斗によって展開されていた雷撃結界に引っ掛かり、高圧電流を体に受けた。命に別状はなかったはずだが、ひとまず治療のために錬力学研究所の治療室に入れられたという話は今朝杏奈から聞いている。今から取り調べということは、詩都璃の意識は無事に回復しており、命にも別状はないと確認が取れたということだろう。
『ああ。来てもらえるか?』
「そりゃあ、必要ならば行くけども」
『助かる。案内役に
「ん? 研究所の治療室とか、錬対の取調室なら、場所知ってるけど?」
『雨宮詩都璃は、錬力属性の関係で、今どっちにもいねぇんだわ』
『なんなら研究所と錬対の中なら、ほぼどこでも顔パスだけど?』と疑問に首を傾げた瞬間、白浜はサラリと雷斗の疑問に答えてくれた。さらにピクリと何かに反応した杏奈が廊下へ繋がるドアを振り返る。
「迎えが到着したらしい」
杏奈が囁くような声で口にした瞬間、コツコツとドアがノックされる。どうやら本当に内村が派遣されてきたらしい。
普通の官舎とは違い、この部屋は元を正せば杏奈を研究所に監禁・監視するために用意された部屋だ。通常ならばプライバシーに配慮して寝室を分けるなり、玄関前に衝立を置くなりして廊下からの視線が部屋の中まで通らないようにするものだが、この部屋は廊下に繋がるドアを開けて中を除けば部屋中が見渡せるようになっている。
──毎っ回思うけど、マジで女子高生住ませる部屋じゃねーから。
『心の準備はできた?』と視線だけで確認してくる杏奈に、雷斗は胸中の不満を押さえて浅く頷いて応える。
ついでに飲み込み損ねた言葉が白浜に向かってこぼれていた。
「おっちゃん、アンナの呼び出しにおっさん派遣してくるなら、せめてドア前に衝立くらい置いてくれ」
『……あー』
杏奈と似たような境遇にある
何とも言えない声を上げてから数秒沈黙した白浜は、電話の向こうで頷いたようだった。
『今更だが、ごもっとも?』
「てか、今だからこそ」
『いつの間にかアンナもそんなお年頃なんだなぁ』
「年頃とか性別とか関係ねぇから、こういうのは」
『つくづく正論。研究所の上のやつらに掛け合っとく』
「よろしくおなしゃす」
本筋とは関係ない打ち合わせの完了とともに電話は切れる。
傍らに視線を落とすと、杏奈はメガネと前髪ごしでも分かるキョトンとした顔で雷斗のことを見上げていた。どうやら杏奈には雷斗がなぜあんなことを口にしたのかも分かっていなければ、漏れ聞こえてくる白浜の声がなぜあんな受け答えをしたのかも理解できていないらしい。
──こういうことが分かるかどうかって、頭の良し悪しで決まるわけじゃねぇもんな。
うんうん、と頷いた雷斗は、さらに首を傾げた杏奈に向かって口を開いた。
「アンナ」
「なに?」
「新しく部屋に足すなら、何色がいい?」
「ん? ……んん?」
目を丸くしてさらに首を傾げた杏奈の頭を、雷斗はポンポンと柔らかく叩いてやる。
そんなことをしていたら、再度ドアがノックされた。いや、もはやこれは『ノック』というよりも『打撃音』と表現した方が正しい。ダダダダダッという激しい連撃音は『叩く物を和太鼓か何かと勘違いしてません?』とツッコミたくなるような勢いだ。
「私の部屋のドアは、和太鼓じゃないんだけども」
「同じこと思ってたわ」
まぁ、前回に引き続き今回も内村は待たされてるわけなので、怒りたくなる気持ちも分からなくはないのだが。
──何せ向こうはこっちが絶対にこの部屋にいるって知ってるわけだし。
雷斗はもう一度杏奈の頭をポンポンと叩いて『行くか』と視線だけで言葉を交わし合うと、ひとまず打撃音が鳴り続けているドアを開けるべく一歩を踏み出したのだった。
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