※※※
「イト、お客様だ」
その揺れと杏奈の声を認識した瞬間、体は前へ飛び出していた。パシッというスパーク音とともに人力を超えた加速で前へ出た雷斗は、その勢いを全て載せて右の拳を人影に向かって叩きつける。
──外した。いや、すり抜けたか!
走行する車同士がぶつかったかのような衝突音と振動が建物を揺らすが、拳が人影を捉えた感触はなかった。それを瞬時に判断した雷斗は低く構えて次の攻撃に備える。
『イト、7時の方向。己の存在を物理的に透過できる錬力の使い手だ』
ならば物理攻撃はかますだけ無駄かと判断しながらも、雷斗は左足で後ろ回し蹴りを背後に放つ。雷斗の足から発生した雷撃が鞭のように空間を裂くが、やはり手応えはなかった。だが淡く背後にあった気配は慌てて雷斗から距離を取る。
『イト、そいつは恐らく戦闘要員ではない。引込役および鍵師だ』
インカムから聞こえる杏奈の声は相変わらずキレが鋭いまま落ち着いていた。杏奈の声に耳を澄ましながらも、雷斗はいまだに姿がはっきりと視認できない敵を見据える。
煙か
──こいつは『てるてる坊主』って呼ぶか。
『そのてるてる坊主を護衛するために、もう一人近くにいる。戦闘要員だ。真に警戒すべきはそいつだ』
今回もあだ名が一致したことを面白がる
ゾクッと背筋に走った寒気を頼みに雷斗はその場から横っ飛びに逃げる。空いた空間を鉄パイプが裂いていったのはその直後のことだった。先程の位置のままだったら今の一撃で確実に頭を割られている。
雷斗はそのまま大きく距離を取ると改めて増えた敵を見据えた。
今度現れた人影は、体に対してサイズが大きすぎるモッズコートを纏っていた。フードを深く被った下の顔にはフルフェイスのガスマスクが装着されていて容貌はまったく分からない。だがフードを縁取るたてがみのようなファーの体積を差し引いても雷斗と同じくらいありそうな身長と、鉄パイプを軽々扱う腕力から判断して、この人影の中身は男と判断してもいいだろう。
──鉄パイプか。相性いいな。
『イト、そいつが手にしている物は確かに鉄パイプだが、残念ながら電気は通らない』
不意に雷斗の思考を読んだかのように杏奈の声が飛んだ。
その声に思わず雷斗からは裏返った声が漏れる。
「はぁ?」
『恐らくアルマイト加工がされた品だ。金属ではあるが、電気は通らない。グローブも絶縁仕様だろう。コートの下に絶縁素材の防弾チョッキも仕込んでいると見た』
「なんっでそんなバッチリ対策されてんだよっ!?」
まるで雷斗がここに配備されていることを知っていたかのような仕込みようだ。美術館が錬力使いを警備として置いていると考えて対策をしてきたと考えるにしても、あまりに装備がピンポイントすぎる。
だがそのことに雷斗が心を騒がせたのは一瞬だった。
──考えるのは、俺の仕事じゃない。
意識を切り替え、一度深く息をつく。呼吸を整え、全身の余分な力を抜いて構えた瞬間、先程までの焦燥は綺麗に消えていた。
そんな雷斗の耳に、変わることなく鋭い声が響く。
『火線上に私を置くな。敵の狙いは私の後ろだ』
「オーライ」
『あの鉄パイプは絶縁仕様だろうが、鉄パイプであることに変わりはない。破壊してしまえ。なるべく細かくしてもらった方が助かる』
「あいよっ!!」
気合とともに、パリッと足元に紫雷が走る。
その勢いのまま、雷斗はガスマスクに向かって突っ込んだ。雷斗の視界には周囲の景色が通常と変わらない速度で映っているが、相手には雷斗の姿が瞬間移動でもしてきたかのように見えたのだろう。
目の前で拳を振りかぶった雷斗に一瞬敵が動揺する。だが敵は即座に精神を立て直したのか、
「ッ、ラァッ!!」
雷斗はその右手を一切躊躇うことなく鉄パイプに向かって振り下ろした。雷斗が操る錬力によって人の身を超えた速度と強度を得た手刀はパキンッという軽やかな音とともに鉄パイプをふたつに断ち切る。
「!?」
目の前で起こったことに敵が一瞬たじろぐ。その隙を見逃さず、雷斗は雷撃を纏わせた右足の踵をガスマスクの鳩尾に叩き込んだ。足場が不安定になっていたことと一瞬の隙を突かれたことが相まって、ガスマスクの体は勢いよく後ろに吹っ飛び壁に叩きつけられる。
「よっしゃ! まずは一撃っ!!」
雷斗が得意とする錬力は『雷』。その使い道は何も直接雷撃を叩き込むだけではない。
動物の体は脳から発される電気信号を元に動いている。体を動かす司令は生体電流、つまり電気によって伝えられているのだ。
雷斗はその生体電流を操ることも得意だ。生体電流を調整し、身体機能の向上や強化を行うことができる。雷斗が生身で鉄パイプを割ったり、自分と同じ体格の敵を軽々吹き飛ばせたりできるのも、雷斗が『雷』の錬力で身体強化を行っているからに他ならない。
『気を抜くな、イト』
ひとまず目の前の脅威に有効打を入れられたことを喜ぶ雷斗に対し、杏奈はどこまでも冷静なままだった。
『私の周囲に防護結界を展開してくれ』
「ん」
杏奈の指示に雷斗は考えるよりも早く右手の指を鳴らしていた。パチンッという指の音とともにパシッと火花が散る音を聞いてからようやく、雷斗は『なぜ今防護結界が必要?』と疑問を抱く。
「─────っ!!」
だがその理由は、背後で激しく響いたスパーク音とともに声にならない絶叫が聞こえたことで判明した。
「アンナっ!?」
雷斗は思わず杏奈を振り返る。だが雷斗の視界に飛び込んできた杏奈は平然とスパークの嵐の中に起立していた。
──そりゃそうだわな。あの結界は杏奈を守るための最終防壁なんだから。
杏奈の髪に結わえ付けられた雷斗のネクタイを起点にして展開される雷の結界は、杏奈をあらゆる脅威から守り抜くためにあらかじめ雷斗が仕込んでいた物だ。どれだけ激しくスパークが飛ぼうとも、雷斗の雷が杏奈に牙を剝くことはない。
『じゃあ一体何が』と思った瞬間、スパークの嵐の中から何かが吐き出された。ボロキレのように崩れ落ちた影は、てるてる坊主のようなシルエットをしている。
『ガスマスクが派手に戦闘をして人目を引いている間に、てるてる坊主が透過能力を使ってガラスケースの中から
杏奈の言葉に聞き入るかのようにスパークが消える。
雷斗が杏奈の周囲に展開している防護結界は、雷斗が意図して作動させた時か、杏奈に接近する物体がある時でなければ作動はしない。雷斗が解除する前に結界が解けたということは、結界に引っかかっていた物体がなくなったということだ。恐らくてるてる坊主は今の雷撃で気を失ってしまったのだろう。
──命までは失ってないはずだけども。
『だからアンナは最初からあの場所に陣取って動こうとしなかったのか』と雷斗は内心だけで舌を巻く。『さすが』とも『エゲツな』ともいうのが雷斗の正直な感想だ。
『各所通用口を固めている人員と非常用電源周りに配備されている人員が粘っていれば、敵はそろそろ計画失敗と判断して撤退に移行し始めるはずだ。追尾をかわすために敵はバラける。相手によっては深追いは危険だ。追尾するならばこちらの人員をバラけさせないように。一人身柄は確保している。無理に追う必要性はない』
杏奈の冷静な声は錬対への指示を出していた。その声を聞きながら、雷斗は改めて吹き飛ばされたガスマスクの方へ視線を投げる。
その瞬間、雷斗に向かって何かが剛速球で飛んできた。
「っ!?」
普段ならば避ける所なのだか、避けた場合角度的に飛来物は杏奈がいる場所に向かう。
──『火線上に私を置くな』って、こういうことだったのかよっ!!
「ッ、ラァッ!!」
雷斗はとっさに拳に雷を纏わせると裏拳で飛来物を叩き落とした。鈍い音とともに飛来物は床に突き刺さり、投擲主であるガスマスクからは低く舌打ちが飛ぶ。一瞬だけ視線を投げて確認すると、投げつけられていたのは雷斗が叩き折った鉄パイプだった。
──なるほど。最終的に『透過させられないなら物理的に割ってでも持ち去ろう』って考えてくるって、アンナには読めてたのか。
だから杏奈は『万が一相手が投擲に鉄パイプを使ってきてもダメージを軽減できるように、なるべく鉄パイプの体積を小さくしておけ』という意味で『なるべく細かくしてもらった方が助かる』と言っていたのだろう。
──半分と言わず粉々に破壊しとくべきだったか。
さすがにジンと痺れる右手を相手に覚られないように引き戻しながら、雷斗はガスマスクに向かってもう一度構える。
だがガスマスクが再び雷斗に向かってくることはなかった。投擲が意味を成さなかったと判断したガスマスクは姿勢を低く保ったまま廊下に飛び出す。
「っ!? おいっ!!」
とっさに雷斗も後を追って廊下に飛び出す。
そんな雷斗の視線の先でガスマスクは手元に残されていた残りの鉄パイプを窓に向かって叩きつけていた。防犯対策として硬く分厚い造りをしているはずである窓を軽々割ったガスマスクは、身軽に窓枠に飛び乗ると一瞬だけ雷斗に視線を寄越す。目元のゴーグルが割れて一部顔が露出しているのか、さっきまでは見えなかった目元がチラリと微かに見えたような気がした。
──瞳の色が、黒じゃない?
廊下の暗がり、かつ一瞬だったから定かではなかった。だが錬力によって活性化された雷斗の視界はその目に違和感を覚える。
しかしガスマスクはその違和感を判別する時間を雷斗に与えてはくれなかった。
2階といえども1階の天井が高いせいで実質3階分の高さがあることをものともせず、ガスマスクはヒラリと軽い身のこなしで外へ飛び出した。窓枠に追いすがって外へ顔を出せば、美術館の前庭を疾走していくガスマスクの背中が見える。
「……っ」
深追いはできない。杏奈を一人残していくわけにはいかないし、敵の全体勢力だって分からない。杏奈も先程『深追いする必要はない』と断言している。
だが目の前で敵に撤退を許してしまったのは、単純に悔しい。
『イト、まだ仕事が残っている』
そんな雷斗の気持ちにケリをつけさせたのは、やはり杏奈の声だった。
インカムから響く呼び出しの声にギュッと拳を握りしめた雷斗は、闇の中に消えていく背中をひと睨みしてから身を翻す。
展示室の外に出たと言っても、ほんの数メートルだ。走り出せば数秒も経たないうちに雷斗は杏奈の元に舞い戻っている。
「アンナ、悪い。仕留められなかった」
「問題ない。下のやつらも追い払うだけ追い払って深追いはしなかったらしい」
杏奈の元まで駆け寄ると、杏奈はマイクを通さず雷斗に声を投げた。相変わらず床に直接起立した杏奈は、雷斗の無事を確認すると今度は己の傍らに転がった人影に視線を投げる。
「それに、予定通り鍵師の身柄は確保できたからな」
杏奈の中では恐らく、今の流れのほぼ全てが予想できていたのだろう。そして杏奈にしてみれば、彼らの犯行現場を『見る』ことさえできれば、ほぼ今回の仕事は終わったようなものだ。
「鍵師がこちらの手に落ちれば、彼らの犯行手段を大幅に削れる。スマートなやり方ができなくなった分、暴に訴えるしか手段がなくなるからな。そもそも仲間の一人が捕らえられたんだ。次の事件を起こすどころではないだろう」
『錬力学殺しの天才』
政府から与えられた
杏奈は体質的に見れば錬力の『れ』の字も使えない、正真正銘ただの一般人だ。
杏奈の真価はその頭脳。
並の人間よりもはるかに多くの情報が拾える五感と、拾った情報を瞬時に解析できる高い情報処理能力。そしてその能力を考察に繋げることができるずば抜けた推理力が、杏奈の異端能力の全てだ。
「鍵師の身の上が割れればグループは芋づる式に捕まえられるだろうし、鍵師が情報を吐けば捜査はスムーズに進む。鍵師から犯行に関する自白が得られれば、それで詰みだ。すなわち後は錬対の仕事だな」
杏奈には、雷斗達が見ているよりも、ずっと鮮明な世界が見えている。
単純に視力や聴力が並より良いというわけではない。
たとえば雷斗達が『机の上にリンゴが置かれている』という状況に遭遇した時、同じ光景を見た杏奈は『ウォルナット材の一辺80センチ四方の食卓テーブルの上にリンゴがひとつ。芳香と色彩、形状から品種はサンつがると判定。現在の時期と市場流通状況から産地は青森県。同じく事前情報より糖度は12%前後。食べ頃であることと貯蔵が効かない品種であること、また冷蔵庫ではなく食卓テーブルに置かれていることから、誰かが今から食べるために置いたのだろう』ということまで瞬時に理解できる。錬力学研究所のやつらに言わせると、杏奈は『人の形をしたスパコン』であるという話だ。
杏奈はその高い情報処理能力を国に見抜かれた瞬間から、その才能を対錬力犯罪に特化するべく訓練されてきた。
その結果、杏奈が会得した能力が『雷撃の直観』。
杏奈は目の前で起きている事象を見ただけで解析できる。錬力によって何が引き起こされているのかを解析し、的確にその対処法を導き出すことができる。
無能力者でありながら、冴仲杏奈は相手の錬力の本質を解体し、その真髄を奥の奥まで見透かすことができる。
錬力学が
彼女はその錬力学を、見ただけで殺せる。
だからこそ、杏奈の能力は脅威だ。使い方次第で世界を守ることも、世界を壊すこともできる。
国はそれを知っていたから、杏奈を幼少の頃から錬力学研究所に軟禁し、分別がつく歳まで成長してからはお目付け役付きで『学校』という檻に押し込めてきた。軟禁を続けなかったのは、杏奈をより有用な『武器』にするべく社会の中で鍛えるべきだ、と上が判断したからだと雷斗は聞いている。
国は、冴仲杏奈という存在の有用性を認めながらも、ずっとその才能を恐れてきた。
その事実への畏怖を込めて、冴仲杏奈の本質を知る人間は彼女のことをこう呼ぶ。
『錬力学殺しの天才』と。
──まぁ、反動を考えると、本人的にはそこまで便利な能力でもないんだろうけども。
「アンナ、仕事が終わったならメガネしろよ。使いすぎには気をつけねぇと」
杏奈の説明を一通り聞き終えた雷斗は、杏奈との距離を詰めながら口を開く。だが杏奈は雷斗に答えないままスルリと人影の傍らにしゃがみ込んだ。
「アンナ」
「こいつの顔を拝んでからにする。それで最後だ」
雷斗は声に苦味を込めるが、『ひっくり返してくれ』と仕草で訴える杏奈は聞いちゃいない。
普段はぽやぱやした雰囲気でごまかされがちだが、杏奈はこれで結構ガンコだ。ああしたい、こうしたい、という主張を、杏奈は対雷斗の時にだけ中々曲げてくれない。
──今は仕事も絡んでるし、下手に無理強いできないのもなぁ……
「……分かった。検分終わったら即メガネな」
「はーい」
軽く返事をしながらも、杏奈の視線は一心にてるてる坊主にのみ注がれている。そんな杏奈に小さく溜め息をついてから、雷斗はうつ伏せになっていたてるてる坊主をヒョイッと
その瞬間、マントの合わせ目とフードがハラリと開き、てるてる坊主の容貌と中に着ていた服が露わになる。
「……おいおい、マジかよ」
小柄だとは思っていたが、てるてる坊主の中身は雷斗達と同年代の少女だった。地毛なのか、あどけない顔立ちを彩る髪は白銀のような色をしている。
そんな少女が纏っているのは、間違いなく
「二年C組、
杏奈の冷静な声が、彼女の名前を告げた。全校生徒の情報を記憶させられている杏奈が言うならば、間違えはまずない。
「まったく……。厄介なことになりそうだ」
戦闘が終わり、静けさが戻った夜の美術館の中にポツリと杏奈の声が落ちる。
そんな静寂に嵐が迫っていることを暗示するかのように、部屋の外からはバタバタと錬対メンバーの
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