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※
「それにしても急だったよな。放課後に依頼が飛んで今晩出動、なんて」
「情報を掴めたのが今日の昼2時。それから3時半に学校に来てて、4時半に私達が合流したんだよぉ? そう考えれば早い方じゃない?」
丸椅子を部屋の中央まで引っ張っり出してきて陣取った杏奈は上機嫌で答えた。部屋の片隅に置かれていた丸椅子は、恐らく開館中は展示監督員が使っている物なのだろう。十分床に足がつく高さであるはずなのにわざと膝を浮かせてブラブラと足先を遊ばせているのは、杏奈のテンションが高い証だ。
そんな杏奈の後ろに立った雷斗は、せっせと杏奈の髪を半月型のつげ櫛で
別にこれは雷斗の趣味ではない。杏奈のご要望によって行われる、仕事前の儀式のようなものだ。
「
「そりゃあそうだろ。白浜のおっちゃんは大事な相方を病院送りにされてんだから」
校長室で捜査指令を受けた時点で、時計の針は4時半を回っていた。
というわけで、雷斗と杏奈は現場に急行する白浜達の車に同乗して学校からそのまま一緒に深見台美術館へ移動していた。その移動の間に今回の事件に関する話は白浜からひと通り聞いている。
「おっちゃんとクロさん、幼馴染の同級生で、学生時代からずっとタッグ組んでやってきたわけじゃん? そんな大事な相方を自分が不在にしてたスキを衝かれてボロカスやられてみろよ。そりゃあブチギレかますだろ」
どこまでものほほんと言葉を紡ぐ杏奈に対し、雷斗は自分の顔が少し強張っているのを自覚していた。
話を聞いたところによると、白浜と黒浜のタッグ『仁王』は、前回の現場で今まで姿かたちすら不明だった犯人グループと初めて接触に成功したらしい。
錬力属性的にも武力的にも『仁王』に接触してしまえばほぼ詰みだ。黒浜の視界に犯人が写り込み、白浜が刀を抜いた時点でこの事件は解決したものだと誰もが思った。
だがその油断が良くなかった。
現場の包囲網のわずかな間隙を衝いて犯人は逃亡。その後を白浜が追い、黒浜は犯人が狙った貴金属を警備するために現場に残った。その現場に配備されていた人間の中で一番武力的に優れていたのが白浜で、現場には他にも錬対の捜査官が配備されていたという。犯人が去った現場ならば多少戦力に欠けても問題はないだろうと、黒浜が判断して采配したらしい。
それが敵の狙いだと気付かないまま。
「……俺だったらきっと、自分が許せなくて、発狂してる」
追っていた犯人に撹乱されるだけ撹乱された白浜が追跡を諦めて現場に戻ってきた時、残されていた錬対の捜査官達は全員意識を刈り取られて転がされていた。重傷を負わされた人間も少なからずいたらしい。特に黒浜は重点的に叩かれたらしく、かろうじて命は取り留めたものの、今なお死地を彷徨っているという。
比較的軽傷だった捜査官の証言によると、白浜が逃走する犯人を追って飛び出した後、犯人グループが再度強襲をかけてきたらしい。恐らく最初からグループ内の誰かが囮となって白浜を引き付け、現場が手薄になった所を再強襲する
「俺にとってのアンナが、白浜のおっちゃんにとってはクロさんなんだから」
声に出した瞬間、自分の手に余計な力がこもって指が震えたのが分かった。
白浜と黒浜は物心ついた頃からの幼馴染で、互いに錬力が使えるということが分かる前からつるんでいた仲らしい。二人が錬力使いであると発覚したのは幼稚園の検診でのことだったそうで、さらに黒浜が『特殊錬力』に分類される稀少な錬力属性を持っていることが発覚してからは、ずっと白浜が護衛兼相方を務めてきた。
黒浜はその特殊錬力のせいで幼い頃から錬力犯罪対策室の捜査官になることを義務付けられていたらしい。白浜がその人生に便乗する形で今に至っているという。様々な事情があって学生時代から今までずっと寮で相部屋暮らしをしてきたそうで、当人達曰く『実の家族よりもコイツと顔突き合わせてる時間の方がもう長ェな』とのことだ。
二人の関係を思う時、雷斗はその関係性を自分達と重ね合わせずにはいられない。
特殊な力を持つ者は、国にその才を把握されてしまった時点で国に囲われる。人生に強固なレールを敷かれて、その上を走ることを強要される。
その点で杏奈と黒浜は似ている。そしてその人生に便乗すると腹を括ってしまった幼馴染という点で、雷斗と白浜は似ていた。
「んー、でもさ。そこは私も否定しないんだけどさぁ〜」
そんな関係性があるせいでいつになく心に重いものを感じる雷斗を
「だからこそ、あるよね、違和感」
「え?」
雷斗は思わず上から杏奈の顔を覗き込んだ。そんな雷斗と向き合うかのように杏奈も顔を
「そんなにガチギレしてて、一生懸命『私』を使う手配までしたのにさ。何でおいちゃん、校長室でノンビリ私達を待ってたんだろうね?」
「は?」
「白浜のおいちゃんは、錬対の中で誰よりも私のことをよく知ってるわけじゃない? あんなに不確実な呼び出し方をすればあれくらいは待たされるって、おいちゃんには分かってたはずなんだよ」
雷斗が丁寧に
顔に対して大きすぎるメガネは、レンズが分厚いだけではなく、
「本当に一分一秒を争っていたならば、おいちゃんはイトくんの端末に直接連絡してきたと思うんだ。『私』を使える許可がもぎ取れたタイミングでさ」
「あ……!」
隠した『牙』の鋭さを垣間見せながら笑った杏奈の言葉に雷斗は目を丸くする。対する杏奈は肉食獣が獲物を前にしているかのように瞳を細めて笑みを深めた。
「でもおいちゃんはそれをしてこなかった。おいちゃんが黒浜のおいちゃんに向けてる気持ちに疑いようがなく、おいちゃんが私の性質を見誤っているという可能性もない。であるならば」
「……白浜のおっちゃんには、何か思惑があった?」
「そーゆーこと」
杏奈はニンマリと笑うと顔を前に戻した。さらに手振りで『髪の続きを』と示された雷斗は、杏奈の髪をいじっていた自分の手が止まってしまっていたことに今更気付く。
「今日の髪型はどーするよ」
「ポニテ!」
「あいよ。……で、お前にはどこまで何が見えてんの?」
前髪を残して、両サイドから後ろにかけての髪を後頭部の高い場所でひとつに纏める。雷斗の手首にいつもかけられているヘアゴムでひとつにくくり、残された前髪はセンターから左右に振り分けて耳にかけてから肩に流す。杏奈から差し出された飾りピンとアメピンで滑り落ちないように固定してやれば雷斗の任務はほぼ完了だ。
「んー。何となく、今日の行き先くらいまでは?」
そして最後の仕上げに己の首からネクタイを抜いた雷斗は、ポニーテールの根本にネクタイを巻きつけると大きくちょうちょ結びを作る。
「そりゃいいことで。……ほい、完了!」
「ありがとー! 今日も上手!」
鏡を確認しないくせに『上手』と断定した杏奈は、表情を確認しなくても嬉しそうだと分かる空気を纏っていた。いつになくぽわぽわと大量に小花が飛んでいそうな雰囲気は、とてもじゃないがこれから荒事を伴う任務に臨もうとしている人間が放出しているものだとは思えない。
「で? 確認なんだが」
椅子から跳ねるように立ち上がった杏奈に半月形の櫛を差し出しながら、雷斗は改めて口を開く。
「意識不明状態のクロさんから吸い出した記憶の中に、
「うん。添付写真にあったけど、あれは確実にうちの制服だねぇ〜」
黒浜の錬力は『己の記憶を外部に出力することができる』というものだ。あわせて黒浜は
つまり黒浜が現場で犯人の顔を一瞬でも目撃できさえすれば、錬対はそれを証拠として該当者を逮捕することができるということだ。
錬対きっての武闘派である白浜と『歩く物的証拠』と呼ばれる黒浜は、各々の能力に物を言わせて片っ端から錬力犯罪を解決してきた実績を持つ。今回の現場に二人が投入されたのも、黒浜が犯人を特定することに期待してのことだったらしい。
結果、黒浜は瀕死の重体にまで追い込まれたが、特殊機材を使って黒浜から吸い出された記憶には、犯人に繋がる情報が多数見つかった。執念でそれを分析したのが白浜を筆頭とした残された錬対メンバーだ。
「でもそれどうなんだ? うちの制服なんてバカみたいに目立つだろ? 元々目立つようにデザインされてんだから」
だが雷斗は白浜から説明を受けた時からその証拠に懐疑的だった。白浜の前で素直にそれを口にできなかったのは、白浜がその分析結果に行き着くまでどれだけ身を削ったか想像できたからだ。
「本当にうちの生徒が犯人なら、そんなバカなマネするか?」
五華学園では、赤ワインを連想させる渋みが強い赤紫色をベースにしたブレザータイプの制服が採用されている。黒詰襟の軍服に似た制服を採用している錬対の人間と
唯一平凡なのは中のシャツが白という点だけで、男子が締める喪服のような漆黒のネクタイも、女子が飾る目が覚めるような赤色の紐タイも、他校で似たタイプの小物は使用されていないとのことだ。これは五華学園の生徒を語る偽学生を作り出さないためであるらしい。それだけ巷で『五華学園』というものはネームバリューがある存在なのだろう。
というわけで、五華学園の制服は良くも悪くも非常に目立つ。犯行現場に着ていく服装にマナーもヘッタクレもないのだろうが、真っ先に避けるべき服装のひとつではあると雷斗は思う。
「あっははー! 疑いの目を向けるためのヤラセを疑っちゃうよねぇ〜!」
窃盗団は皆、帽子やフードといった被り物で頭部を覆い、ゴーグルやサングラス、マスクなどで顔を隠していたという。服装も体に対してサイズが大きすぎるツナギやコート、マントなどを着込んでいたそうで、体型や容姿、身元が判断できるような物を人目にさらすバカはいなかったという話だ。現場の照明設備が落とされていたこともあり、さすがの黒浜でも個人が特定できるような映像は収めていなかったらしい。
だから
犯人の不意をついた白浜が抜刀と同時に己の錬力である炎を振るった瞬間、巻き起こった風に最後方にいた人物のマントが大きく翻った。その中から見えた服装が、五華学園の女子制服だったという話だ。その分析結果を裏付けるかのように、現場を調査していた別班が五華学園の二年生が身に付ける学年章を現場から見つけてきたという。
「学年章を落とすなんて致命的だもんね。二年生全員を黒浜のおいちゃんの記憶と照合して犯人を割り出せたとして、万が一その人間が学年章を持ってなかったら、ほぼ100%で
同じことを杏奈も思っていたらしい。クルリと雷斗を振り返り、差し出されていた櫛を受け取った杏奈は、相変わらず機嫌が良さそうに雷斗に答えた。
「まぁ、身分を詐称したい偽物なのか、それとも本当にうちの生徒なのかは、私が見れば自ずと分かるよ」
一度櫛を胸ポケットに戻した杏奈は、自分の襟元からスルリと真っ赤な紐タイを引き抜く。その仕草を見た雷斗は、引っ込めようとしていた右手をそのまま杏奈の方へ差し出した。
「っていうか、見てみないとまだ何とも言えないってのが実情かな。道は見えてるし、捜査資料も読み込んどいたけど、現時点で何かを断言してしまうのは良くないよ。打てる手は一応打ってあるし、後は彼らに訊いてみるさ」
「一応、今、アンナに見えてて伝えてもいいと思う範囲の推測、聞かせてもらえねぇか?」
杏奈が纏う空気が、いつの間にかしんと冷えている。この展示室を満たす空気のように静謐な雰囲気は、先程まで無邪気にはしゃいでいた少女と同じ人物が醸しているとは思えないほど凛と張り詰めていた。
「相手は、少なくとも四人以上のグループだな」
その変化に怖気付くことなく自然体で立つ雷斗に杏奈は静かに微笑みかけた。解いた紐タイを持つ杏奈の手が差し出された雷斗の腕にスルリと伸びる。
「一人目は雷系統の錬力使いか、電脳系に強い錬力の使い手だ。この一人目が対象の監視カメラや電子セキュリティを無効化し、一行が建物の中に侵入する隙を作り出している」
杏奈は左手で雷斗の手を取ると、右手で雷斗の手首に紐タイを巻きつける。その間も説明のために動かされる唇は止まらないし、ヒヤリとした笑みも消えてはない。
「二人目は、鍵開けのスペシャリスト。鍵師のような物理的スペシャリストかもしれないし、壁抜けができる系統の錬力の使い手かもしれない。金庫の物理的な鍵を開けたり、ドア等の物理的な障害をこの二人目が排除している」
雷斗の手首に対して少し余裕を持って巻かれた紐タイは、最後に端を絡めてバラけないように固定されるとキュッと端と端が結ばれた。片結びや蝶結びではなく、花の形のような不思議な結び目に仕上げるのが杏奈らしいなと雷斗は思う。
「三人目と四人目は戦闘担当。捜査資料の中では特殊警棒や鉄パイプといった非刃、非火器の物理戦闘をこなす人間が少なくとも二人目撃されたという記載があった。警備員等を排除するために配備されている荒事担当者だ。錬対がのされたという事実を踏まえて考えるならば、何らかの錬力使いであると考えた方がいい」
「そういや、何で錬対は向こうのターゲットが分かったんだ?」
「セキュリティシステムへの侵入痕が見つかったらしい。侵入者まで辿り着くことはできなかったらしいが、直近に同一犯と見られる痕跡が2回。その痕跡の付き方が、今までの事件と一致していたそうだ」
もしかしたら捜査資料に書かれていたのかもしれないが、生憎今回雷斗は捜査資料に目を通していない。ここへ向かう車中で杏奈に読み込んでもらうべくまるっと譲ってそれきりだ。
現場に出張るまでに時間的余裕があれば雷斗もひと通り資料に目を通すようにしているが、そうでない場合、資料の読み込みは杏奈が優先になる。最悪の場合、杏奈が情報を把握していれば、雷斗は事前情報が一切なくても動くことができる。
コンビとしての『ライトニング・インサイト』は頭を使う作業と体を使う作業を杏奈と雷斗で完全に分業している。そして雷斗の担当は体を使う実働部分だ。
「一人が何役かを兼任している可能性も考えたが、犯行のタイムスケジュールや目撃情報から推察するに、この四役はそれぞれ別の人間が担っていると考えて良いだろうというのが私の結論だ。他に控えや参謀、強奪品の売り流しを担当している人間はいるかもしれないが、グループの人数が四人を下回ることはない」
「了解」
「
「細かい所は臨機応変に」
「そう。すなわち『いつも通り』だ」
杏奈は最後に両手でギュッと雷斗の手を握りしめてから手をどける。
そして杏奈は、一度胸ポケットに片付けたつげ櫛を改めて雷斗へ差し出した。
「今日も頼む」
「毎回思うんだけど、この櫛、大事なもんなんだろ? 前衛で暴れる俺が持ってるよりも、アンナが自分で持ってた方が安全だと思うんだけども」
「だからこそ、だよ」
年季が入っていると見ただけで分かる立派なつげ櫛は、杏奈が実の親から贈られた唯一の品であるらしい。世間一般でそれは『形見』と呼ばれる大事な代物だ。
だというのに杏奈は、現場に出る時に必ずこの櫛を雷斗に預ける。前衛で肉弾戦を行う雷斗に、だ。
「だって、私の大切な品を身に着けていたら、下手に攻撃を受けられない分、イト自身だって怪我をしなくて済むじゃないか」
「へ?」
「せいぜい今回も、己が身を大事にして乗り切ってくれ」
ついいつもの癖で片手を差し出してしまった雷斗の手に、杏奈はそっとつげ櫛を載せる。
その瞬間、ポツリと杏奈の声がこぼれた。
「ただ『見る』ことしかできない私には、後ろでイトの安全を祈っていることしかできないんだから」
「……アンナ」
一瞬、杏奈の手がキュッと何かを祈るように握り込まれた。だがその手は一瞬で解かるとジャケットのポケットに滑り込む。
「そろそろ時間だ。最終確認といこう」
次に杏奈の手が外に現れた時、その指先には一対のイヤリングとふたつの指輪が握られていた。
黒い石のような素材を台座に金で稲妻の意匠が刻まれたそれらを、杏奈は両耳と両中指に装着する。そんな杏奈の姿を見た雷斗は、左耳にはめ込んだインカムの電源を入れた。雷斗が左耳から指をどけた瞬間、杏奈はジャケットの襟につけられたピンマイクの電源を入れ、律儀に一番上まで止めていたシャツのボタンをふたつ開ける。
ワインを彷彿とさせる制服の左腕には、錬力犯罪対策室の関係者であることを示す喪章を思わせる漆黒の腕章。装備するのは各自小さな通信機器のみ。
これだけで『ライトニング・インサイト』の戦支度は完了する。
「腕章、ヨシ」
「インカム電源、ヨシ」
「
「左、襟、右、全て良好」
「こちらの受信も良好だ」
お互いの声出し確認が終わると、杏奈は指輪がはめられた両手をスッとメガネのツルに添えた。わざとレンズを淡く白濁させた顔に対して大きく分厚いメガネは、スルリと抵抗なく杏奈の顔から外れる。
その下から現れたのは、キレが鋭すぎる秀麗な顔だった。その面立ちで、抜き身の日本刀のように鋭い瞳で世界を
世界を巡る
『錬力学殺しの天才』
「
杏奈がそう宣言した瞬間、バツンッという音とともに雷斗の視界は闇に閉ざされた。
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