※※
『ご要件』を知っている教員の元に辿り着くまでに5人の教師を捕まえることになり、延べ30分近く時間がかかった。
ここまでになると、そもそも相手はまだ自分達を待っていてくれるのかという点からして心配になってきた
「思ったより時間かかったね〜!」
「……いや、さすがに俺も予想外だったわ」
『そもそもアンナが誰からの呼び出しだったか忘れなければ、こんなことにはならなかったんだけどな!』というヤボなツッコミを心の奥に押し込めて、雷斗は目の前にした扉を見上げた。
ビターな板チョコを思わせる、暗い色目の重厚な木製のドア。学校という場所にあるよりもどこぞのお屋敷にでもあった方が違和感がないこのドアは、この学校の中でここだけにしかはめられていない。ちなみに破壊すると目が飛び出るような値段の請求書が飛んでくるという噂だ。
「まさか俺達を探してたのが、先生は先生でも校長先生だったとは」
普段呼び出しを喰らっても、せいぜい学年主任か教務主任、あるいは
思わず不安にかられた雷斗は、隣で呑気に校長室のドアを見上げている
「アンナ、中に入る前に確認しときたいんだけど、本当に仕事の話なんだよな? お説教とかの間違いじゃなくて」
「ん? イトくん、何か怒られそうな心当たりでもあるの?」
「いや、俺にはないけども……」
何と答えるべきなのか迷った雷斗は、言葉を濁すと杏奈に視線を落とす。対する杏奈は雷斗が意図する所を察知できていないのか、相変わらずぱやぱやした空気のまま雷斗を見上げていた。
『史上最強の劣等生』
錬力使い達を教育するために存在しているこの
雷斗は『特待生』という名の『冴仲杏奈監督役』として、この
もしも雷斗の目が届かない所で杏奈が何かをしでかした場合、杏奈ではなく雷斗が『監督不行届』という名目で罰される可能性がある。この場合、責任の所在が明確に杏奈にあろうとも、罰則を課されるのは雷斗だ。
その制度は雷斗にしっかり杏奈を監督させるためにある……わけではなく、杏奈に勝手な行動をされないようにあらかじめ杏奈を牽制しておくために作られたものだ。
一人で放置しておくと何をしでかすか予測できず、かと言って学園側から強制された行動制限を素直に受け入れるとも思えない杏奈に対して、学園側が『お前が何かをしでかせば稲妻雷斗の未来はない』と分かりやすく人質を取ったのがこの形だ。雷斗としてはそんな風に自分が杏奈の枷になる事態は避けたかったのだが、雷斗に話が回ってきた時にはもはや断れない所まで根回しが済んでいたのだから仕方がない。
この学園にとって……いや、この国にとって『冴仲杏奈』という存在は、それくらい警戒対象であり、かつこの学校に押し込めておきたい存在なのだ。
──ま、こんなぽよっぽよしてる普段の姿からは想像もできないけども。
雷斗にとって杏奈は、幼馴染にして相方でもある大切な存在だ。どんな才能を持っていようとも、国がどれだけ警戒していようとも、杏奈が杏奈であることに変わりはない。
ただ、杏奈の性格を熟知しているからこそ、国の警戒が正しいことも理解できる。その上でなされた施策には決して賛同はできないけども。
──別に俺のクビでアンナを守れるなら、矢面に立たされること自体はやぶさかでもないんだけども。
その結果、杏奈を独り学校に残したまま退学させられるのは困る。
そうなってしまったら雷斗は、杏奈と交わした大切な約束を守れない。
「大丈夫だよぉ、イトくん」
不意に、ぽやっとした声が雷斗を呼んだ。制服の袖に半ば隠された杏奈の手が、つみっと雷斗の制服の袖をつまむ。
「大丈夫ったら、だいじょーぶ!」
まったく説明になっていない言葉を口にしながら、雷斗を真っ直ぐに見上げた杏奈は『にへへっ』と笑っていた。そんな杏奈は雷斗の心配をよそに実に幸せそうな顔をしている。……相変わらず、顔はメガネと前髪で隠されてほぼ見えていないわけだが。
「私、イトくんと一緒にいられて幸せだもん。イトくんとずっと一緒にいられるように、私、頑張るよ!」
「アンナ……」
「たとえここが、私にとっては歓迎できない巨大な檻であったとしても」
ふと、杏奈の声のトーンが変わる。
その他に何が変わったというわけでもない。雷斗以外の第三者が聞いていたらきっと、声のトーンが変わったことにさえ気付かなかっただろう。
だが些細な変化を敏感に感じ取った雷斗は、自身の背筋がチリリッと総毛立つのを感じた。
「イトくんと一緒にいられるなら、私はこの檻からは出ていかないよ」
「……そうか」
その緊張を雷斗はフーッと深く息を吐くことで落ち着かせる。今度は雷斗の内心が分かっているのか、そんな雷斗を見上げて杏奈は先程までとは雰囲気が違う笑みを浮かべたようだった。
小花やヒヨコが飛んでいそうな空気からは程遠い、抜き身の刃物のような鋭さ。あるいは大型ネコ科動物の爪を思わせる何か。
そんな片鱗を一瞬だけ覗かせて、杏奈はまたほよっとした空気を醸し出す。
「まぁまぁ、ここでとやかく言ってても始まらないから!」
さらに杏奈は雷斗が我に返るよりも早くドアノブに手をかけた。天然ドジっ子モードだからこそできる、一切力みがない自然体で前へ踏み込んだ杏奈に雷斗はとっさに反応することができない。
「せんせぇ〜! イトくん連れてきました〜!」
結果、杏奈は雷斗が止めるよりも早く、実にフランクな態度で校長室へ突入していた。ノックもなく、長時間待たせた罪悪感も感じさせずに登場した杏奈に校長室の中からは突き刺すよう視線が飛ぶが、杏奈はそれを一切気にすることなくポテポテと部屋の中へ進んでいく。
「ちょっ……! アンナ!」
慌てて雷斗が後に続くと背後でパタリとドアが閉まった。
その瞬間、窒息させられそうな重苦しい空気が校長室に充満していたことに気付いた雷斗は、一瞬体を強張らせてからソロリと視線を部屋の中に巡らせる。
校外からの来賓を迎える時にも使われる校長室は、廊下側から想像していたよりも広い空間だった。窓を背後に負う形で突き当りに大きな執務机が置かれており、その前には黒革張りのソファーとガラスのテーブルの応接セットが鎮座している。
「随分と遅かったですねぇ、冴仲さん、稲妻君」
そこに今、三人の人物が腰掛けていた。
一人は校長。声からの想像を違えない穏やかそのものな顔つきの壮年男性教諭は、一人がけソファーに深く腰掛けてニコニコと雷斗達に微笑みかけている。校長の周囲だけ空気が朗らかで、逆に校長の姿が浮いて見えるような気がした。
「おー、重役出勤じゃねぇか、アンナぁ、ライトぉ」
その対面に、揃いの制服に身を包んだ男が二人座っている。
その片割れ、奥側に崩れ落ちるように座っていた男が、実に気だるそうに片手を挙げた。姿勢どころか声から制服まで実に見事に崩されていて、存在自体で『気だるい』という言葉を表現しているかのような男だが、濃いクマを侍らせたタレ目は存外親しみを込めた笑みとともに雷斗達に向けられている。
「この俺様をこぉ〜んなに待たせるなんて、お前らも随分出世したもんだなぁ」
「
「おっちゃん、ウィッス」
「おっちゃん言うなや。まだ俺ぁ華の30代だぞ」
顔馴染みの登場に杏奈の纏う空気がパァッと華やぐ。雷斗も雷斗で気安く挨拶を返すと、男……白浜はニヤリと笑みを深めた。現場で顔を合わせる時はその口元に煙草が挟み込まれているのだが、学校かつ室内ということで今は遠慮しているのだろう。トレードマークであるくわえタバコの姿はなかった。
「なーんだ! 校長先生が仰々しく呼び出すから何事かと思ったのに、いつも通り
ポテポテポテ、と一行に走り寄った杏奈は、断ることもなく空いていた最後の椅子……校長の隣に置かれた一人がけソファーにポスンッと軽やかに収まった。規定通り膝丈まで伸ばされた渋い赤紫色のスカートがフワリとめくれ上がったことよりも、杏奈がこの短い距離を行く間にすっ転ばないかということに注意が行っていた雷斗は、ひとまず杏奈が転ぶことのない姿勢に落ち着いたのを見て安堵の溜め息をこぼす。
「で? 何なに? 白浜のおいちゃんがわざわざ来るってことは……」
「ちょっと、君」
おかげで、この部屋の重力場を一人で変えていた人物の存在をうっかり失念していた。
「1時間近く僕達を待たせたあげく、白浜先輩……ってか大人に対してその態度は何なんだいっ!? 礼儀ってものを親御さんに習ってこなかったのかねっ!?」
いきなりバンッとガラステーブルを両手で叩いて怒声を上げたのは、白浜の隣、つまりは杏奈の正面に座っていた年若い男だった。この場にいる人間の中で、雷斗はこの男にだけ見覚えがない。
まだ学生と言われても通用しそうな童顔の持ち主だ。その顔には分かりやすく憤怒の表情が浮いている。落ち着きのなさとその外見からは信じられないが、白浜と同じく軍服にも似た漆黒の制服を着込んでいる所を見るに、警察の錬力犯罪対策室……対錬力犯罪のエキスパート部隊に所属している人間、なのだろう。
──あだ名は『坊っちゃん』か『チワワ』だな。
フワフワと揺れる明るい茶色の髪といい、キャンキャン喚く声といい、世間知らずのお坊ちゃんかチワワかといった雰囲気だ。
「おいちゃん、この坊っちゃん、だぁれ?」
『これは後であだ名について杏奈と相談だな』とひっそりと内心で思っていたら、杏奈が無邪気に地雷原に突っ込んでいった。言葉を丸無視された上に『坊っちゃん』呼ばわりされた男の額に青筋が浮く。
──そっか、アンナ的には『坊っちゃん』なのな。
「ぼっ!? 坊っちゃん!?」
そんな中、『坊っちゃん』は一人で怒りのボルテージを上げていた。
「きっ、君なぁ……っ!! 白浜先輩っ!! こんなやつらに僕達が頭を下げる意味なんてあるんですかっ!? 事前情報から推察するに、こいつがあの『ライトニング・インサイト』ですよねっ!? こんなに待たされたあげくコケにされて……っ!! こいつらが僕達に頭を下げてくるならまだしも、我ら錬対がこんなガキ相手に頭を下げる意味が分かりませんっ!!」
キャンキャンと喚く男の声をきちんと聞いていた雷斗は『おや?』と片眉を跳ね上げた。
──今こいつ、アンナを指して『ライトニング・インサイト』って言ったか?
一般的に認知されている『ライトニング・インサイト』は、稲妻雷斗と冴仲杏奈のコンビとしての名前だ。さらに言えば前線に立つのは雷斗だけで、コンビであっても錬力を振るえるのも雷斗だけなので、どちらかと言えば雷斗の方を指して『ライトニング・インサイト』と言われることの方が多い。雷斗の錬力属性が雷であることも相まって、コンビ名もそこから付けられたのだろうと世間様には思われている。
だが実際の所はそうではない。どちらかと言えば雷斗の方が添え物で、コンビの主体も、『ライトニング・インサイト』という呼び名の由来も、全て杏奈側にある。
そしてその『真実』を知っている人間は、世界にほんのひと握りしかいない。
──つまり、それを知っているって時点で、顔に似合わずそこそこの地位にはいるってことか。
「
雷斗がソロリと杏奈の後ろに到着するのと、白浜が青年……内村を
軽く、だが圧を込めて内村をいなした白浜は、杏奈へ顔を向け直して口を開く。
「わりぃな、アンナ。内村はまだまだピヨッこで、ついさっきお前の存在を知ったばっかでよ。後でよっく言って聞かせとくから、あんまイジメないでやってくれると嬉しい」
「先輩っ!?」
白浜の発言に内村は愕然とした声を上げる。どうやら自分の方が嗜められるとは思ってもいなかったらしい。
そんな二人のやり取りを聞いているのかいないのか、杏奈はぱやっとした雰囲気のままコテリと首を横に倒した。
「いつも一緒の
「君っ!! だから……っ!!」
「クロはちょっと戦線離脱中」
常と変わらない杏奈の様子に、外見から受ける印象よりもずっと柔らかい苦笑を浮かべた白浜は、拳から緩く伸ばした親指で内村を示しながら改めて新顔の紹介を口にした。
「コイツはクロが離脱してる間、俺の相方に抜擢された後輩。名前は内村
「ふーん?」
白浜の説明をきちんと聞いているのかいないのか、杏奈は気が抜けた声で答えると首を元の位置に戻した。対して紹介された側である内村は『初めまして』と口にすることもなくギリギリと歯を噛み締めて黙り込んでいる。
──『大人に対してその態度は何なんだいっ!?』とか言うなら、まず自分が大人らしい態度を見せてくれりゃいいのにな。
杏奈を射殺しそうな目で睨み付けている内村を眺めながら、雷斗は内心だけで溜め息をつく。
とはいえ、内村の怒りも分からなくはない。何せ内村の発言を信じていいならば、自分達は内村達を1時間近く待たせた上でのこの態度である。気の毒だし、同情もするし、こちらに一部非があることも認めてはいるが。
──でもこれからアンナと接してこうってなら、慣れてかないとストレスでハゲると思うんだけどなぁ?
そんなことを内心で思いながらも、雷斗は白浜に真面目な問いを向けていた。
「クロさんが戦線離脱って、何があったんだ?」
白浜と雷斗達は、この学校に入学するよりも前からの知り合いだ。錬対における杏奈の身元引受人が白浜であるらしく、錬対が『ライトニング・インサイト』に仕事を持ってくる時は仲介役として必ず白浜が出張ってくる。その結果、雷斗達は白浜と常に行動をともにする『相棒』とも顔馴染だった。
その見慣れた人物の姿が、今ここにない。
「『錬対の仁王』が別行動なんて、よっぽどなんだろ?」
──って言うよか、白浜のおっちゃんの隣にクロさん以外がいる所なんて、初めて見たんじゃねぇかな?
白浜と黒浜は雷斗達が出会った時からすでに相方関係だった。チラッと当人達から聞いた話によると、幼馴染の腐れ縁で、それこそ五華学園に在籍していた頃からの相方だという。白浜がいる場所には当たり前に黒浜がいるし、黒浜がいる場所には当たり前に白浜がいる。長年そういう距離感でやってきたらしい。
「……おーよ。今回の『仕事』も、それ絡みなんだわ」
黒浜のことを問われた瞬間、白浜が纏う空気がピリッと緊張した。白浜のその変化に隣に座っている内村が思わず姿勢を正すくらいの緊張感が場に走る。
二人の変化だけで事件の深刻さを覚った雷斗は、杏奈の後ろに控えたままそっと気を引き締めた。唯一杏奈だけが、何も気付いていないかのようにぽやぱやした空気を纏い続けている。
「最近、
そんな空気の中に硬い声を落とした白浜は、どこからともなくA4サイズの茶封筒を取り出すと杏奈に向かって差し出した。
「美術館や資産家宅から絵画、宝飾品、古美術、現金、見境なくさらっていきやがる。どうにも犯人は複数人の錬力使いが集まったグループであるらしい」
その封筒を、杏奈は受け取らない。
ただ、いつもと変わらない空気のまま、問いが飛んだ。
「私にどうしてほしいの?」
「犯人グループの中に、この学校の生徒がいる。それを突き止めた現場で、クロは重傷を負わされ戦線を外れた」
「えっ!?」
思わぬ言葉に、雷斗の口から驚きの声が漏れていた。
──クロさんが重傷ってのもだけど……。それをやった犯人が、うちの学校の生徒……!?
この五華学園は、錬力使い達を育てるための
この学校に所属している生徒は『人のため、国のためにあれ』と教育され、またそうあるように監視もされている。つまり、白浜が言うような状況を生み出さないために機能している、という側面があるのだ。
白浜が言っていることが事実で、そのことが世間に明らかにされれば、この学校の存続が危ぶまれる可能性もある。
──なるほど。だから校長先生がこの場にいるってわけか。
雷斗はチラリと校長へ視線を向ける。白浜の言葉に何を思っているのか、校長は変わることなく穏やかな表情で白浜の話を聞いていた。
「犯人一味の殲滅、および、加担していた生徒の検挙。それらを秘密裏に執行せよ。それが今回の『仕事』だ。『ライトニング・インサイト』」
衝撃的な言葉にも、杏奈が纏う空気は揺れなかった。
ただ両手がスッとメガネに添えられ、スルリとメガネが外される。
「場は、用意してあるんだろうな?」
杏奈の喉から滑り落ちる声のトーンがガラリと変わった。その声によって紡がれた言葉により、場にかかる圧が一瞬で重みを増す。
この場の支配者が、すり替わる。
「『
まるで抜き身の日本刀を眼前に突き付けられているかのような。
あるいは優美で凶暴な大型ネコ科動物の檻の中に生身で放り込まれたかのような。
美しいとさえ言える、殺意にも似たプレッシャー。
まるで人がすり替わったかのように圧倒的な存在感を纏った杏奈に内村が息を呑んだのが分かった。さらに杏奈に視線を向け直した内村は、何かに気付いたかのようにビクリと体を震わせる。
「手配はすでに済んでいる」
そんな内村に構わず、白浜は茶封筒を差し出す姿勢を崩さないまま杏奈に答えた。
「急ではあるが今晩、場所は
「……分かった」
静かに答えた杏奈は、背後を振り返ると長い前髪の隙間から一度チラリと雷斗に視線を投げてよこした。一瞬だけ姿を見せた鋭すぎる瞳に、雷斗は軽く頷いて答える。
それをきちんと確かめてから、杏奈はようやく白浜が差し出す茶封筒に手を伸ばした。
「この一件、我ら『ライトニング・インサイト』が引き受けよう」
茶封筒は杏奈の手に移った瞬間、カサリと揺れる。
静かでありながら心をざわめかせるその音に、雷斗は一人瞳をすがめた。
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