玖
日没とともに夜課は始まり、夜課が終われば
今宵、大塔へ身を移したのは
いつもの夜が、始まろうとしていた。
この夜がいつもの夜とは違うものになると、果たして
「……────」
脱いだ衣を肩に羽織り、いつでも飛び出していけるように準備を整えた緋蓮は、時を計るために置かれた蝋燭をじっと見つめていた。今宵は風もなく空気が静かなのか、いつもはあれだけ
──
夜課の間は隣に
──そもそもこの
カマをかけた感じ、少なくとも貫首の万慶は一連の裏事情を知っているようだった。
──ならば、玲月は……
そこまで考えた瞬間、またツキリと胸が痛んだ。肉体が直接痛みを受けた時とはまた違う痛みに、緋蓮は思わず衣の襟を握りしめる。
──玲月は、どうしてこの企てに協力することにしたんだろう。
巌源寺から飛天楼へ戻る輿の中でも、夜課で顔を合わせた時も、玲月はいつもの玲月であるように思えた。緋蓮は考えていることを玲月に聴かれないようにひたすら内心で聞きかじりの念仏を唱えていたのだが、それを不審がる様子さえ見せなかった。
緋蓮がまた変なことを考えているとでも思ったのか、それとも緋蓮の挙動不審の理由を薄々察しているのか、一体どちらなのだろうか。
「……玲月」
灯火の先を仰ぎ見れば、今日も御仏の座像は穏やかな笑みを緋蓮に向けていた。一心に見つめてみても、やはり御仏の声は聞こえない。
緋蓮は少し、玲月になった気分で想像を巡らせてみた。
肆華衆という立場にある自分。後見にある寺は自分を権力の道具としてしか扱わず、心を許せる先はない。
そんな中、自分の後見の寺が妖と契約を結ぼうと企てていたら……
「……ダメだ。全然分からない」
もしかしたら玲月は深すぎる絶望の中にあったのかもしれない、という所までは想像ができた。
だがそこでどうして巌源寺に協力しようという流れになるのかが分からない。
そもそもこれは推論でしかない。言ってしまえば証拠も何もない妄想だ。すべてがあやふやすぎてまともに思考が回らない。
「私が、もっと玲月みたいに頭が良かったら、理解できた?」
緋蓮は肩にかけた袿の襟を強く握った。着込んだ袿の中に女官達に気付かれないように一枚暗色の衣を仕込んできたのは、我ながら妙案だったと思う。
「……分からないからこそ、私は」
──真っ直ぐに玲月に
緋蓮が決意とともに呟いた瞬間、静かだった燈明が一斉に揺らいだ。揺らぎの向こうにある凝った闇の中から、暗色の衣を被いた影がにじみ出てくる。
「
大塔の中に緋蓮以外の気配がないことを確認した
「一乗院のみんなに、それとなく最近巌源寺に変わった動きがなかったか探りを入れてみた」
緋蓮が片手を上げて合図を出すと、吏善は密やかな声で続けながら体を起こした。
そんな吏善へ緋蓮は鋭い声で問いを向ける。
「どうだった?」
「大した情報は集まらなかったが、最近玲月様の巌源寺への出向の頻度が高いという話を小耳に挟んだ。ひと月ほど前から供を付けることもなく、送迎の輿だけ頼んで巌源寺を訪れているそうだ」
「今回の一件と関係していると思う?」
「無関係だとは思えないな」
吏善と言葉を交わしながら、緋蓮は肩にかけていた袿を滑り落し、隠し持っていた暗色の衣を引き抜いた。
「証拠がどこにあるかは想像ついた?」
早口に問いながら緋蓮は髪飾りを外す。紅玉が光る飾りを手に握りしめて力を込めれば、ぽぅっと紅玉に熱が宿った。迦楼羅の力を吸った髪飾りをここにおいておけば、しばらくは緋蓮の不在をごまかすことができるだろう。
「確信はない。召喚陣を描いて契約をしたのならば、人目に付かないそこそこに広い場所、書物を使ったなら書庫のどこかだ」
「書庫……」
その言葉に日中に垣間見た玲月の姿が脳裏をよぎった。
玲月が積み上げていた書物の中に関係した書物もあったなら……
「……書物を押さえたところで証拠にはならないわ」
一瞬考え込んだ後、緋蓮は緩く首を横へ振った。
「月天の寺はみんな、長い歴史の中で多かれ少なかれ妖退治の任を担ってきた。関係する書物はどこも持っていて当り前よ。たとえ召喚や契約に関する書物が見つかろうとも、しらばっくれることができる」
緋蓮の言葉に、吏善はスッと瞳を
「ではどうする」
「玲月に直接訊く」
脱ぎ捨てた衣の中に髪飾りを埋めた緋蓮はスクッと立ち上がると吏善を見つめた。そんな緋蓮の真意を見定めるかのように、吏善は真っ直ぐ緋蓮を見つめる。
「私、玲月が何を思って巌源寺の
その視線に怯むことなく、緋蓮は真っ直ぐに吏善を見据えたまま言葉を紡いだ。
「分からないことは、直接玲月に質した方が早い。他の巌源寺の人間を吊し上げても喋るとは思えないもの」
「なるほどな。確かに関係者の中で友好的に話をしてくれそうなのは、玲月様だけかもしれない」
しばらく緋蓮の言葉を吟味していた吏善は、難しい表情のまま肯定すると膝を上げた。
「飛天楼か」
「そうだと思う。響術で移動するの?」
「ああ、手を」
吏善は左手を緋蓮に差し出しながら懐を漁った。引き抜かれた手の中には持ち手の付いた小ぶりな金鈴が握られている。
「俺の術具で『神鈴』と呼ばれる物だ。簡単な術式ならこの鈴を鳴らすだけで発動できるし、言霊の響きと合わせて効果を増幅させることもできる」
緋蓮の視線に気付いたのか、吏善は簡単に金鈴について説明をしてくれた。
「あんたは玲月様のことを強く思え。その思いで行き先を定める」
「人払いの結界が破れた時に聞こえていたのはこの鈴の音だったのね。そんなに派手な音が鳴りそうな代物を使って大丈夫? 外の見張りにバレるんじゃないの?」
「ここに侵入するのにも使っているが、今まで誰も気付いてないから大丈夫だろ。大丈夫じゃなかったら、その時はあんたが何とかしてくれ」
「横暴ね……!」
今吏善の言葉から発されている揺らぎは、緋蓮が吏善の佩玉に込めた迦楼羅の力によって相殺されている。
あの場のとっさの判断でやったことだから意図がきちんと伝わるかもうまくいくかも賭けのようなものだったのだが、吏善は完璧に響術の揺らぎを相殺できているようだった。
「時間がない。早くしろ」
「分かったわよっ!」
緋蓮は片手に炎を灯すと、反対側の手を差し伸べられた吏善の手に重ねた。瞳を閉じ、瞼の裏に玲月の姿を思い浮かべる。
──ねぇ、玲月。私、玲月を救いたい。
もしかしたらこの思いは玲月にとっては余計なお世話で、緋蓮の驕った考えなのかもしれない。自分だって解放という死を望んでいるくらいなのに、他人の身を救おうなんて過ぎた思いなのかもしれない。
だけど、それでも。
──玲月の心が、知りたいんだ。
リンッリリンッと耳元で金鈴が鳴り響く。それに合わせて緋蓮が炎を繰るのと、周囲の景色が歪むのはほぼ同時だった。周囲を取り巻く空気が変わったことを感じた緋蓮が目を開くと、周囲は闇と夜気に支配されている。
「ここは……?」
明らかに飛天楼の中ではない。圧倒的な森の息吹と荒々しい闇は、確かにここが建物の外であることを示している。
「術に失敗した?」
「……いや、違う」
神鈴を懐にしまい込んだ吏善は緋蓮の手を離すと周囲を見回した。ここまでの闇ならば衣を被く意味もないと思い直した緋蓮は、頭にかけていた衣を肩まで落として袖を通す。
「玲月様が、この近くにいるんだ」
「え?」
ここがどこの森の中なのかは分からないが、月天の中心地近くにある飛天楼から森に入ろうと思ったら、場所がどこであれ相当な距離を移動しなければならない。
そもそも肆華衆は日中でさえ単独行動を許されない存在だ。夜に外を出歩くことを周囲が許すとも思えない。
ましてや玲月は
「灯りを
「だが点けなければ自分達の足元だって危ない状況だな」
吏善の言葉にひとつ頷いた緋蓮は、そっと指を掲げるとその先にポッと炎を灯す。
人差し指の先に灯る程度の小さな灯りだったが、それでも炎は周囲の闇を払って視界を切り開いてくれる。
「───────っ!!」
だがその灯りは、決して二人に希望を与えるものではなかった。
「な……っ、何なの、これ……っ!?」
赤い。
大地も、木々も、飛び散った飛沫に染め上げられて、赤い。
赤の次に目に付くのは黒。赤の素が酸化して黒くなったのだとすぐに分かるどす黒さだった。大地が吸いきれなかった赤が、ジワリと緋蓮の足元にも押し寄せようとしている。
「酷い……」
だが不思議だったのは、これだけ死があふれているのに穢れや死気といったものを一切感じないことだった。目の前にはこんなに凄惨な光景が広がっているのに、周囲は寺院の敷地内にいるかのような清浄な気に満たされている。
──まるで、奥の院のさらに奥の、浄域の
「──そうよ。よく気付いたわね、緋蓮」
自分の胸に湧いた言葉にまさかと目を
反射的に声の方へ振り返った緋蓮は腕を振るって炎を呼ぶ。バッと緋蓮の周囲を走った炎は、燃やす物がない大地を走った後も軌跡を残して燃え上がる。
「ここは入らずの杜の中。選ばれた高僧達でも、ここの手前までしか入れない、浄域中の浄域。……さすがにあなたも立ち入るのは初めてなのではなくて?」
炎によって闇が祓われた先から姿を現したのは、玲月だった。
「……玲月、これは、どういうこと?」
緋蓮は体を強張らせたまま玲月の背後に目をやった。
地を覆いつくしてなお余りある赤は、玲月と緋蓮の間を埋めるように広がっていた。そして玲月よりも向こうには、違う色が広がっている。
「見ての通りよ、緋蓮」
迦楼羅の炎を以ってしてもたやすく払えない闇。
玲月の後ろに控えるようにうずくまった闇が頭をもたげれば、その先端からは新たな深紅が滴り落ちる。
「み、見ても分からない……。分からないよ、玲月……」
その鮮血が跳ねて、玲月の綺麗な白髪が赤と白のまだらに染まる。
「私、玲月を助けたい。だけど、どうしたら助けられるのか、分からない……っ!!」
「お馬鹿さんね、緋蓮」
その光景に体を震わせる緋蓮に、クスリと玲月は笑みをこぼした。頭上へ伸ばされた手が、愛おしそうに闇を撫でる。大きくめくれた袖から白い腕がのぞいて、こんな状況だというのにそれが酷く艶めかしかった。
「これは全部、私が望んだことなのよ?」
「────っ!!」
ずっと、玲月は被害者の立場なのだと思っていた。
積極的にしろ、消極的にしろ、利用された立場なのだろうと。企んだのは巌源寺の方で、玲月は器として適任であったから、便利に使われる立場だったのだろうと。
だが今の玲月を見れば分かる。
──玲月の、方が。
主犯が、玲月なのだ。
玲月が企み、巌源寺をその気にさせて、成したことなのだと。
そのことを理解した瞬間、緋蓮は衝動的に叫んでいた。
「玲月っ!!」
「心の声だけじゃなくて、実際の声までうるさいわね、緋蓮」
どうして、とも、なんで、とも思った。
だが今は議論している時場合はない。
──とにかく、この妖を祓わないと……っ!
緋蓮は腕を振るうと炎を呼んだ。地を走ったまま周囲を照らし出していた炎も、緋蓮に呼応するかのように勢いを増す。
「燃えろっ!!」
ここは
これだけ死にあふれていながら穢れを感じなかったのは、浄域に満ちた霊気と執生の力が穢れを祓っていたせいなのだろう。
緋蓮が奥の院で妖気にまかれた時のように、この浄域の空気が逆に強い妖気を押し隠してしまっていたのだ。だから誰も妖気に気付くことはなかった。恐らく玲月達は最初から、ここを使って妖達を飼っていたのだろう。
だが浄域を使った目くらましもいつまで持つか分からない。
浄域に染み込んだ血はいつか必ずこの浄域を根本から歪ませる。ここで血と死に穢された大地と妖本体をまとめて祓っておかなければ、きっと大変なことになる。
「緋蓮、本当にあなた、お馬鹿さんなのね」
緋蓮の炎が迫るのを見ても、玲月は全く動じなかった。
スッと静かに片手を上げ、緋蓮の炎を柔らかく
たったそれだけで、緋蓮が練り上げた炎は宙へ散じていった。
「っ……!?」
「私達の力の源となる肆華衆の力は、みなほぼ同等。確かに迦楼羅と執生ならば、その属性上迦楼羅の方が攻撃力は高いかもしれない。だけどそれは、あくまで肆華衆としての力だけで比べた時の話」
信じられない光景に息を引き
同時に、玲月はユルリと瞼に力を込め、隠し続けてきた瞳を露わにする。
「執生としての力にこの子達の力を上乗せすれば、私が負けるなんて道理はないわ」
開かれた玲月の瞳は、散じた炎の欠片を映してチラチラと橙の燐光を散らしていた。元の色素が薄いためか、玲月の瞳には炎の残滓が明るく映える。
「……玲月。見えて、いるの?」
初めて見た玲月の瞳に、緋蓮は思わずコクリと喉を鳴らした。
執生の瞳の色は銀とされているが、玲月の瞳はそれよりもさらに色素が薄い。灰に近い色をした瞳に見えるのに、玲月の瞳が周囲の色を取り込んで刻々と色を変えていることも分かる。
そんな不思議な瞳があることを、緋蓮はすでに知っていた。
「……ええ、そうよ。私の瞳も『変光の瞳』。幼い頃、災いの瞳と言われ、実の親の手によって光を奪われた『変光の瞳』よ……っ!」
その言葉に呼応するかのように玲月の身から瘴気があふれ出す。
息苦しいほどの死気と殺気に緋蓮はビクッと体をすくませた。そんな緋蓮を見た玲月は愉悦の笑みに顔を歪ませる。
「ああ、緋蓮。あなたの髪は、本当に血と同じ色なのね」
その笑みに、言葉に、自分の胸の中の柔らかな場所がズタズタに引き裂かれていくような心地がした。知らず知らずの内に下がった足元から上がったピチャリという音に視線を落とせば、緋蓮の足元はいつの間にか血の海に沈んでいる。
「れい、げつ……っ!」
「ねぇ、緋蓮。あなたは私に敵わないって、分かったでしょう?」
不意に、緋蓮の視界から玲月が消える。
次の瞬間、玲月は緋蓮の目の前にいた。
「だから、ねぇ、緋蓮。私の代わりに全ての罪を被って、消えてくれないかしら?」
「!?」
互いのまつげが触れそうな距離に玲月の顔がある、と認識した瞬間、視界は深藍に塞がれる。
玲月からの圧を振り払った吏善が緋蓮を庇ったのだと分かった時には、カッと目を焼くほどの光が吏善と緋蓮を照らし出していた。
「月天に妖を引き入れた犯人達です。捕らえなさい」
微かに笑みを含んだ傲慢な声が命じる。
一瞬誰の声なのか分からなかったその声が玲月のものだと理解した時には、吏善が低く舌打ちを放っていた。
「ど、どういうこと……っ!?」
ガヤガヤと光の向こうから人の気配が伝わってくる。法術によって生み出された閃光の向こうに人が控えているのだと気付いた時には、隊列の最前列が元の位置まで戻った玲月の後ろに姿を現していた。妖気と殺気を綺麗にしまい込んだ玲月は、瞼で瞳を隠すと緋蓮へ指を突き付ける。
「執生たるわたくしは
その言葉にザワリと隊列がどよめく。
腕で光を遮りながら周囲を見回せば、隊列は巌源寺派を主とした各寺の法力僧によって組まれているものだった。一乗院派の僧を巧妙に除き、六割を巌源寺派、残りを一乗院派とは縁遠い他派で埋めたといったところだろうか。
──こんなの、私に思いっきり不利じゃない!
玲月は恐らく、最初から分かっていたのだ。
今晩、ここに緋蓮がやってくることを。緋蓮が玲月を真正面から質すために、玲月を追ってここに現れるということを。
だからこうして緋蓮を待っていた。
緋蓮にすべての罪を擦り付け、血祭りにあげるために。
心の声を聴く執生の断罪は絶対だ。巌源寺の人間が大半を占める空間で執生が裁きを降せば、それが事実であれ虚構であれ、覆ることはもはやない。
──玲月、どうして……っ!?
緋蓮の心を絶望が埋めていく。足元が崩れ落ちていくような心地がした。姉とも慕った同朋が己を
「そこに一緒にいる男は、迦楼羅の手先となって一件に従事した
だがその言葉に、絶望の淵に沈もうとしていた緋蓮の意識は叩き起こされた。
ハッと吏善を見やれば、吏善は平静を装いながらも隠しきれない焦りを浮かべていた。
下手に逃げても玲月の言を認めてしまうことになるが、かといってこの場で釈明のために帳面を広げても誰も読んではくれないだろう。しかし声を上げてしまえば響術師であることを隠す術はない。事件に関わっていようがいまいが、響術師と知られれば吏善の命は恐らくない。
『抗え、緋蓮』
緋蓮の目の前で、緋蓮の心に新たな灯火を与えてくれた人が、無為に消されそうになっている。
──失いたくない!
絶望に沈みかけた心が、血を吐くような声で叫んだような気がした。
──考えろ。私は迦楼羅だ。ただの無力な子供じゃない! 戦える人間だって、みんなが教えてくれたはずだっ!!
緋蓮はギリッと奥歯を噛み締めると、もう一度周囲に視線を走らせる。
迦楼羅である緋蓮は、たとえ捕縛されても多少は丁重に扱ってもらえるだろう。
だが
響術師ということを隠し通せたとしても、吏善は正式な修行生でさえない
──簡単に絶望するな。考えろ、緋蓮。この状況の中で最善の選択を掴め……っ!!
「……逃げて、吏善」
緋蓮は己を庇う位置にいる吏善に囁きかけ、胸板を押すように吏善を押しのけて前に出た。思いがけない力に押されたためか、吏善はよろめくように緋蓮に場所を空ける。
「私は仮にも迦楼羅様だから、そう簡単に殺されやしない。だけど、吏善は違う。きっと捕まったら、即刻殺される」
周囲の目を気にしている吏善は緋蓮の言葉に反論することができない。だが緋蓮に向けられた視線は『こんな状況でお前を置いて逃げれるかよ!!』と激しく主張していた。
「逃げて、一乗院にこのことを伝えて。助けは求めなくていい。ただ伝えてくれれば、きっと亀覚が何か動きを見せる」
そんな内心を感じ取れたからこそ、緋蓮は密かに指示を出した。『緋蓮のために』という形を取れば、吏善は決して緋蓮の指示を
「伝えた後、吏善は月天を出なさい。何が何でも生き延びるのよ。死んじゃダメ」
随分と分かりやすくなったな、と、ふと思った。
最初に相まみえた時は、感情のない視線の意味が分からなくてあんなに居心地の悪い思いをしたというのに、今は吏善の心がこんなにも近い。
それが、こんな状況だというのに、酷く嬉しかった。
「吏善の前には、何にも縛られない道がいくつもあるんだから。御仏からの預かりものの命、全うしなくちゃダメよ」
緋蓮は吏善にしか分からないように笑みを向けると、もう一度トンッと吏善の胸を押す。
その指先がカッと眩しく、太陽のような光を発した。
「っ!?」
唐突な発光に法力僧といわず玲月までもがとっさに顔をそむける。
光が消えて視界が戻った時、一行の前から吏善の姿は消えていた。
「……響術師の男は、私の力で滅した」
ゆっくりと一行を振り返った緋蓮は、もう一度
「この殺戮は我が行為にあらず。そこにいる執生が成した罪である」
その声に巌源寺の僧を筆頭とした一行が非難の声を上げる。その中には率直に緋蓮に罵声や怒号を投げてくる声もあった。
だが緋蓮はその全てを正面から受け、凛と声を上げる。
「我が言葉を信じられぬと言うならば、いくらでも調べればいい。私は逃げも隠れもしない。どちらの言葉が正しいかは自ずと知れる。御仏の名の下に、真実を明らかにすればいい」
常にない緋蓮の気迫に圧倒されたのだろう。ざわめいていた隊列がしん、と一瞬にして静まり返る。
「……何をしているのです。捕らえなさい」
その静寂を破ったのは、こんな時でも優雅さを失わない玲月の声だった。
「真実を明らめる執生たるわたくしが言っているのです。捕らえなさい」
玲月の静かな声に、おずおずと隊列の中から法力僧が進み出る。手縄を掛けようとする法力僧に、緋蓮は自ら手を差し伸べてみせた。そんな緋蓮の堂々とした態度に法力僧の方が逃げ出したいような雰囲気を纏う。
「堕ちたものだな、玲月。真実はお前を見逃してはくれないぞ」
「何とでも言いなさい。わたくしこそが、真実です」
すれ違った瞬間に交わされた言葉は、互いに酷く冷めていた。
──諦めないんだから。
キッと一度玲月を睨み付けた緋蓮は、引き立てられる力に従って先に山を降りる。
闇を蔓延らせる夜は、いまだに明ける気配はなかった。
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