四話 音の無い波

僕と岡田が口論になったのは木曜で、

それから気まずい金曜を挟んで今日は土曜日。

机に相対しても勉学には手が付かず、適当な服を着て外へ出る。


今日も曇り。

僕の家は高台にあるから、遠くに音もなく前後する波が見える。


急勾配のグネグネした道路を降りて、

寂れてはいるものの鳥居の紙垂しでは真新しい”三月神社”の前を通り、

最近駄菓子屋が潰れて垢抜けたカフェがやってきた”繁華街”を抜け、

市民会館と大して見た目が変わらない港、”三月ターミナル”の前まで来た。


レンタカー屋とか三月郷土資料館とか蕎麦屋とか。

中学生までは嫌いじゃなかった辺りの景色。

三月島に住む中学の同級生が大体みんな瀬凪高校に進学した事とスマホのダブルパンチで随分嫌いな景色になった。


「…おはよ〜。」


「あっおはよう。」


私服の須藤さんだ。

地毛の茶髪をハーフアップにして、

無難なストリートファッション的な服装。

とてもダボダボ。


「あの後岡田くんに謝ったの〜?」


「いや謝ってないよ。」


「え〜それ大丈夫なの。」


「前からよくあったから。ああいうの。」


「あ〜まあ確かにあったかも…ね。」

「懐かしいね。」

「なんか話さなくなっちゃって。」


「まあそうね。」

「なんでかな。」

「別に嫌いになった訳とかじゃないよね。」


「え違うと思うけど。」

「ふふ。」

…須藤さんは気まずくなったら一旦しっかり表情に出してから微笑みで流すタイプだ。

後ろ手を組んで軽く前傾姿勢の微笑み。

手慣れている。


「大庭君は…最近どうすか?」

笑顔と軽薄なイントネーションに壁を感じる。


「まぁ普通…かな。」

「岡田と喧嘩したりして。」


「あはは。」


「須藤さんは?」


「私も普通。」

「…あ受験勉強どうしてる?」


「どうもこうも…まあ頑張ってるかな。」


「私全然出来なくてさぁー。」


「えそれヤバいんじゃない?」


「うんヤバい。はは。」

「テキスト開いてみて範囲広っ!て。」


「あそうなんだ。須藤さんって計画立てれる方だと思ってた。」


「あー全然そんな事ないよ。」


「そうなんだ。」


「そう。」


「…はは。」

「…。」

「いつもさ、散歩。してるの?」


「いや、偶にだよー。」

「なんか、うん。気分転換。」


「へぇー…普段…何、見てるの?」


「何見てるっ…ふふ、あー、なんだろう。」

「あのさぁ、こっからぐう〜っと行った所に展望台あるの分かる?」


「あぁ分かる分かる」


「そこまで行って折り返しかな。」


「一緒に歩いていい?」


「いいよー。なんか話そ。」


…数年前に出来た綺麗なウォーキングコース「ゆうゆうほどう」を歩く。

昼過ぎで少しお腹がすいた。


「僕ら高校でさ、全然話さなかったよね。」


「まあ中学の時から若干…だったね。」


「なんかあった訳でもないよね。」

「須藤さんに起きた…事件、みたいなさ。」


「あったよー。」


「えっ。」


…。

冗談めかしたつもりで言った事件という言葉、それに思わぬ反応。

今の須藤さんの笑みは作り笑いだと確信できる。

何か重い経験、尊厳に関わっている真剣な空気を感じる。


「ふふ。結構広まってたと思ってたけど。」


「えっいや全然知らないよ。」

「…事件。」

「教えて貰う事とかって。」


「やだ。」


「…そう。」

「変なこと聞いちゃって、ごめん。」

「なんかあったなんて知らなかったよ。」


「ああ!いや全然。私もずっと引きずってるとか、…トラウマとかじゃないから」


「でも教えてくれないんだ。」


「ん、まあね。」

「…ついたよ。」


眼前には今までの綺麗なウォーキングロードが古い展望台に接続され、

その先には黒い波、黒い海、重い曇…。

正直そんなことはどうでもよくなっていた。


「須藤さんはここからの景色好き?」


「結構好きだよ。なんかきれいな海って感じじゃないけどそれがリアル…でさ。」


「ああうん…確かに…。」

「…。」

「いやめっちゃ気になるわさっきの話。ごめん。」


「っふっあはははははっ!」

「つへっやっぱ気になるう?」


「ああ~気になるなあ…!」


「えじゃヒント!」


「ヒントォ?」

「え聞きたい聞きたい。」


「あー、人間関係系です。学校の。」


「はあ~恋人とか?」


「違う。あでもちょっと惜しいかも。」


「惜しい、あ惜しい?」

「それが一番困るなあ。」


「あはは、じゃあ質問一つだけいいよ。」


「ええ~っ、う~ん…」

「ちょっと時間良い?」


「あはは、そんな悩む?」


「…犯罪系?」


「あはははは!ないない!」


「あそだよね。安心したわ。」

「いじめ。とかでも無いよね。」


「無いね。」


展望台に足を踏み入れるまでもなく僕たちは折り返し、いつの間にか鉢会った辺りまで戻ってきていた。


「最後にもう一つ質問良いよ。」


「あっ。」

思い出した。


「なに?」


「…。」

「…佐川さん。佐川瑠美さん。」


「…なんだ、大庭くんも知ってんじゃん。」


須藤さんの顔から笑みが消えた。

細めた目に光が入らず闇を映している。


「ごめん、でもあんまり何があったかとか詳しく知らないから。」


「何の言い訳?ふふ。」


「…。」

「あー、お腹空かない?」


「私家で食べてきたから。」

「じゃあね。」

「話せて楽しかった。」


「うん…ごめん。」


「謝らなくていいよ。…なんかごめんね。空気悪くしちゃって。」

「じゃね。」


「うん、じゃ。」

「…。」

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