第61話「七本の尾っぽ」


「ぐぅっ――はぁ――ぬ、ぬぅぅあ――!」


 どうやらヨルの奴、暴れる戟を抑えつけようと理性で綱引きしてるらしいねぇ。

 せんせの肩の傷を癒しつつ、柱だけになっちまった姉さんちの影にしゃがんでヨルの様子を見てるんです。

 実はここにこっそり隠れてたごっちゃんにはお尻に戻って貰いました。

 


「ところで良人よしひと。あれは呪符その二で包んで効果なくそうとしたんじゃなかったか?」

「ああ、戟を散らすつもりで包んだんだけどなぁ……ちっとも抜けてないみたいだな」


 無傷の右手でぽりぽりと頬を掻く良庵せんせ。可愛い。

 どうしてあの針をせんせが持ってたのか知らないけど、さっきヨルがシチに向かって、リョーアンに妖魔をけしかけた、とか何とか言ってたからね。たぶん夜回りの時にシチとなんかあったって事だろうねぇ。


「でよ。どうなんのよアレ。なーんか形変わったりしてっけど――」


 賢哲さんの言う通り、ヨルの強大すぎる戟が体から溢れては肥大し、一見すると腕やら肩やらあちこちが突然太く大きく形を変えちゃあ戻りしてるようにさえ見えてんですよ。


「――けど、あのまま爆発でもして吹き飛んでくれりゃあよ、シチをやったアイツには丁度いい最後だぜ」

「僕はそんなつもりじゃなかったんだが……そうなっても自業自得だ……な」


「シチ……俺が焚き付けちまったせいで……すまん、仇だけは取ってやるからな!」


 なんて呟いて、グスッと鼻を啜って目元を拭う賢哲さん。


 そういやせんせと賢哲さん、尾っぽがまた生えてくるって理解してないんだったりして……


「あのさ、お二人さん。尾っぽはまた生えてくるからそこまで入れ込まなくたって大丈夫じゃないかな、ってあたし思うんだけど、どうだろ?」


 涙顔の鼻を掌で擦り上げてた賢哲さんが、すとん、と途端に平坦な無表情であたし見て一言。


「え? またえんの?」


 こくんと頷くあたしを確認し、次いで良庵せんせへ視線を移してさらに一言。


「良人、知ってた?」

「あぁ、知ってる。ヨルからそう聞いた」


 中腰だった賢哲さん。力が抜ける様にどさりと胡座でお尻落としちまいました。


「なんっだよそれー。言っとけよもー。めちゃくちゃ動揺しちまったぜー。けどよ、だったらまぁ、良かったぜ」

「ちっとも良くない!」


 ホッと一息ついた賢哲さんと違って声を荒げる良庵せんせ。生えてくるってのにまだダメなのかい?


「シチは消滅させられたんだぞ! しかも好きな相手に! その恐怖を考えれば……ちっとも良くない!」


 ……ほんと良庵せんせは、良庵せんせだねぇ。

 与太郎ちゃんの時だってそうさ。自分の損得じゃない、関係ない誰かの為に怒れるってのが良庵せんせだもんね。


「お――おう、そりゃそうだ、良人の言う通りだぜ。ちっとも良くねえ」


 せんせの剣幕に圧倒されてあっさり頷く賢哲さんがさらに続けます。


「ちっとも良くねえのはともかくよ、アレ、この後どうすんだよ。なんかヤバそうだぜ」


 立てた親指が指したのは勿論、未だ苦しそうに立ちすくんで綱引きを続けるヨル。

 ヨルは溢れる涎も流れる涙もそのままに、落ちた雫で足下に染みを作ってた。


 そのヨルが不意にゆっくりと腕を上げ、勢いよく振り下ろしたその先、地面が少し大きく抉れちまった。


「どうやら綱引きが終わりそうだねぇ」

「綱引き……?」


「ヨルの意識とさ、体ん中暴れ回る戟とでやってたんですよ、綱引き」

「どっちが勝った方が良いんだよ?」


「分かんないねぇ。ぶっちゃけどっちも良かないかもね」


 意識が勝ちゃさっきまで戦ってたヨルとまた戦う羽目になんのかね。戟が勝ちゃ……きっとヨルのやつ、理性失って暴れたりするんだろうね。


 そしたらその隙に逃げられそっかな?


「今のうちにやっつけらんねぇ? 動かねえんだしよ」


 そう言われりゃそうだね。ならいっちょ星形セーマン飛ばして――って思ったんだけどさ。


 遠巻きに見守ってた黒狐の里の連中の中からお爺さんが一人、ヨル棟梁を心配したのか近付いてって声掛けたらさ、ばくん、と暴れる戟の一撃喰らって上半分無くなっちまった――


「おぉい! どえれぇじゃねえか! 自分とこの爺いの体半分噴き飛ばしたぞあいつ!」


 こりゃまずいね。ちらっと隣のせんせを覗き見れば……ギリギリ奥歯噛み締めて怒ってる……


 せんせの肩はもう癒えたけど、もう素振り刀も雪駄もない。さらにその三以外の呪符も使い切っちまった筈。

 もうせんせは戦えない。隙見て逃げるしかないんだよ。余計なもの見せてくれるんじゃないよ――


 ――ばん!


 でっかい音に驚いて、慌ててヨル見りゃ尾っぽがいっぱい出ちまってた……

 一、ニ、三……全部で七本。シチがいないぶん全部だね。


「お葉ちゃんよぉ! どっちが綱引き勝ったんだよお!?」


 わ、分かんないけど――


 七本の尾っぽがざわざわ動き、全身から滲み出る

 それが体を覆って……


「……戟ってな普通は赤っぽい色してんですよ。ちなみにかんなぎは白。ありゃ間違いなく……」


 黒い戟が何かを形作って……家くらい大きな……平屋じゃないよ、二階建てくらいの……七尾の黒狐になっちまった……


「戟だよ、戟が勝った! 二人とも隙見て逃げるよ!」


『アァ――足リネェ――腹ァ減ッタ……』


 喋った……?

 デカい黒狐の姿した、理性を失う筈のヨルが……?


『足リネェ!!』


 立ったままになってた上半分噴き飛ばされたお爺さんの下半分。ヨルが叫んだ勢いでぺたんと尻餅ついたんです。


 それを地面を抉りながら一口でばくん。

 さっきの一撃も噴き飛ばしたんじゃなくて、たってのか。


「喰っちまったじゃねえかー!」

「ヨルーーっ!」


 二人が大声で叫ぶもんだから、あっさりヨルがこっち見てニヤリ。狐の顔だってのに分かりやすくにやつくじゃないか。


 堂々とこっちへ歩み寄ってくるヨルだけど、不思議と足音がしません。ずしんずしん、ってな音が出そうな見た目だけどね。


 何本かの柱と床だけになっちまった庵、その床に前足を乗せ、ヨルが覗き込むようにあたしらを見下ろす。


「来やがったぜ良人ぉぉ! なんとかしてくれぇぇ!」

「ヨルーっ! 許さんぞーっ!」


 こりゃさすがにダメだね。


 里の者を喰い殺すくらいだ。里を守るために必要だったあたしだって食い物にしか見えてないだろうねぇ。


 なんとかせんせと賢哲さんだけでも逃したいけど、言って聞くような人じゃないしね、せんせは。どうしたもんかねぇ。


 思ったより落ち着いてるね、あたし。


 差し違えてでも――いつでも星形描けるよう指先に巫戟ふげきを籠めて――


 ちょいと力んで待ち構えてたんだけど、ヨルのやつ、ぷいっ、と興味なさげにそっぽ向いて離れてったんだ。


「んお? どうしたんだアイツ? ビビらせんじゃねえっつうの!」


 いやほんとどうしたってんだい?

 かどわされてこの三日ほど風呂にも入っちゃいませんけど、さすがにさっきのお爺さんより不味そうってこたないと思うんだけど……


 のしのし歩いて離れてくヨルの尻、ざわめく尾っぽをただ見詰めてた。

 そのヨルは丘を下り、周囲を点々と取り囲む里の者の一人――大根作りの上手なお婆さん――に近付いて……


 あんぐり口を開いて一息にお婆さんを――


「婆ぁ! 逃げろ!」

 すんでの所で割って入った賢哲さんがお婆さんを引っ掴み、肩に担いで飛び退いたんだ。


「ヨル! めろ!」

 両手に拳より少し大きめの石を掴んだせんせはヨルの前足の爪先小突いてる。


 もう! なんだってあの二人は自分から首突っ込むんだい!

 どう見たってさ! ヨルの狙いは――つまりを喰おうってんじゃないか!


 二人は戟持ってないんだからさ、この隙に逃げてくれりゃ良いんだよ! 頼むから逃げておくれよぉ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る