第50話「良い話と悪い話」


 近付いてみるとほんとおっきぃね。


 山裾の木々に囲まれ目立ちにくい立地の中、薄赤い戟の色した透明の膜。

 黒狐の里を覆ってるって言ってもさすがに全部丸ごとじゃないと思ってたよ。


「これさ、前に里に来たときはこんなのなかった訳だけどさ、よく考えたらわっち達は結界通れるの?」


 もうずいぶんと前、まだあの時にはなっちゃんは生えてなかったくらい前だね。


「その点は大丈夫だ。黒狐の里の者と一緒なら入れるし、出る分には制約なしだ。ただし葉子に限り、出ることはできない」


 って事は……、わっちも出られないってことね。切り離されててもわっちもお葉ちゃんだから。


「ん、なら問題ないね。ま、わっちはここからあんまり役に立てそうもないけど」


 兎の足に化け直し、しゅっと戻ってせんせの腰にぶら下がったよ。


『せんせ。たぶんわっちがまともに戟を使えるのはあと一回。いざというときまでここに居てるからね』

「大丈夫。あとは僕に任せて下さい。ここまでありがとうございます」


 せんせがわっちをひと撫で。はぁ、クセになっちゃうなぁこれ。


「じゃ、行こっか」


 三郎太ちゃんも菜々緒ちゃんに体を返して引っ込んだみたい。まだこの菜々緒ちゃん本 体見ちゃうと赤面しちゃうな。

 あ、そういや賢哲さんどうしたかな? まいっか別にどうでも。


「三郎太が言うには、結界潜ればお葉ちゃんとしーちゃんの繋がり戻るらしいの、たぶん。だからそれ戻った瞬間にお葉ちゃんの場所教えてしーちゃん」

『繋がったからって場所は分かんないよ。お葉ちゃんに聞いて教えてもらうか、それか視界を共有して察するかしなきゃ』


「じゃそうして。場所分かったら菜々緒と良庵せんせーは走る。いい?」

「分かりました」


 こくりと頷く良庵せんせの袖をむんずと菜々緒ちゃんが掴み、菜々緒ちゃんもこくり。

 そして結界へと躊躇なく近付いて、一つも逡巡せずに結界を潜り抜けていきました。


 袖を掴まれたままの良庵せんせもそのままぬるっと潜り抜け、そして――


『――繋がった! お葉ちゃんいまどこ!? 返事して!』


『……わわわわわかんない』


『……へっ? お葉ちゃん?』




 ◇ ◇ ◇


 ……いまの……しーちゃんとあたし、繋がった?


 そう思ってヨルの結界覗いてみても、前と変わらずそこにある。って事は……

 しーちゃんがこの、黒狐の里の中に入ってきたっことかぃ?


『しーちゃん? あんた良庵せんせほったらかして来たのかい? しーちゃん? …………話し中? 一体だれと話してるってのさ。もう」


 あ、いけない。しーちゃんがやって来てたとしたら大事おおごとだけど、こっちもなかなか大変なんだ。


 あたしは小さなあの家――庵を抜け出て大根喰って、また再び庵に近付き潜んでるとこ。

 

 草むらに伏せた体を隠してさ、こんなしてると小さい頃を思い出すねぇ。まだ尾っぽが二つしかなくってさ、あの頃はまだ母様も一緒に居てさ。


 ……思い出話してる場合じゃないね。ごっちゃん、そっちどうだい?


 ……ごっちゃん……ごっちゃん? なんだい、ごっちゃんも話し中。って事はしーちゃんとごっちゃんが喋ってんだね。


 しょうがない、もう少し近付いて直接ごっちゃんの様子覗こうか。

 すすっと体を伏せたままで近付いて、たたっと静かに駆けてまた草むらへ。


 そして入り口辺りが見える草むらから覗いてみると、ちょうどヨルの野郎が庵の扉を開いて上がり込むとこだったんだ。




◆ ◆ ◆


『ぶちっと切れちゃった……』

『それで場所はどこだ? 結界潜ったのはヨルにも恐らくバレてる。急ぐぞ』


 そんなこと言ったってさ……が分かんないって言ったんだもん。わっちだって分かんな……


『ぶちっと来れる前……開いた扉から背の高い……たぶん杉の木が見えたよ。家自体は小さかった。これで分かんない?』


「菜々緒わかったぁ! 母様と菜々緒が昔住んでたちっちゃい家! こっち! せんせー走って!」


 たたっと駆け出した菜々緒ちゃんを追い掛けて、良庵せんせも駆け出しました。

 左の腰にあの重たい素振り刀と、たもとや胸、あちこちに仕込んだ呪符の場所を確認するような仕草と一緒に。



◇ ◇ ◇


「ヨーコ。良い話と悪い話がある」


 庵に上がったヨルのやつ、上がってすぐの畳に腰を下ろし、二間しかない奥の一間へ向かってそんなこと言いやがったんだ。


 竹簾たけすだれの衝立を挟んだ向こう側、ごっちゃんしかいないんだけど、それを知らずに続けるヨル。


「侵入者だ。一人は菜々緒、ヨーコの尾っぽ、それにメガネの男。恐らくリョーアンとかいう者だろう」


 ……いまなんて言ったんだい? まさか、リョーアンって言ったのかい?


 そんな筈ないじゃないか。

 姉さん、ちゃんと伝えてくれたのかい?


 あたしは妖狐――妖魔なんだよ?

 そうだ、賢哲さんだって姉さんを受け入れてないんだろ? そんな変な人がいる筈ないじゃないか。


「どうやらヨーコを連れ戻そうという気らしい。ここからは悪い話なんだが、この間の二択は忘れてくれ」


 ちょ、ちょいと待っておくれよ。頭の中が追いつかないんだ。


「リョーアンをしてから子を成す、ヨーコの選択肢は一つになった」

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