第12話「あたしが恋に堕ちたのは」


 今日も良庵せんせは書斎で野巫三才図絵とにらめっこ。

 ですからあたしは洗濯ものを干しながら、むっちゃん改めなっちゃんから昨日の姉の様子を聞いています。


「キューキュキュ、キュー! キュンキュン!」


 なるほどねぇ。なっちゃんが言うには、姉はほんとに賢哲さんとこへ嫁入りするらしいです。

 人に嫁入りする妖魔、たまには居ますけどかなり珍しいんです。彼女はどういうつもりでしょうね?


 あ、あたしはの方ですけど、元々あたしは人って生き物が好きですし、なんと言っても良庵せんせに出逢ってしまったんですから。しょうがないですよね。


 あたしと違って姉は人なんてどうでも良いと下に見ている節のある妖狐。それが普通の妖狐ですが、なにか理由があるんでしょうか。


 おや?


 書斎に居たはずの良庵せんせが、何か板っきれ持ってやってきましたよ。


「お葉さんになっちゃん、昨日定吉に話したもんだから懐かしくなって探してきたんだ」


 良庵せんせの手には書き文字から無惨に墨の垂れたあの『やぶ医者』の木札。


「この木札のお陰で良庵せんせに出逢えたと思うと笑っちまいますねぇ」

「笑ってくれるとホッとしますよ」


 酷いポンコツ具合でしたからねぇ。

 あ、だめ、思い出しただけで笑っちまいます。


「あははは」

「ひどいなぁお葉さんてば」

「だってしょうがないじゃないですか。あははは」


 いちゃいちゃと笑い合うあたし達二人をなっちゃんがじっとつぶらな瞳で見詰めてたのに気が付いて、二人してちょいと照れちまいました。



「あの時お葉さんがこの札を支えてくれてなかったらさ、今でもあそこにこれが掛かってたかと思うとゾッとしますよ」


 掛かってたんでしょうねぇ。


 良庵せんせは半年前のあの日、さらにもう半年前にぶら下げた『まじない、有り〼』の木札を外したんだそうです。


 ちぃともお客が来ないのを木札のせいにして、だったらこれでどうだと捨て鉢になって新たにぶら下げたのがこの『やぶ医者』の木札。


 余計に来るわけがありませんよねぇ。


 夫婦になった翌日、良庵せんせはあたしの言も容れ、墨の垂れた『やぶ医者』を外して再び『有り〼』に掛け替えたんです。


 戻したからってお客さんが来るわけでもありませんから、あたしを嫁に貰った挨拶を兼ね、熊五郎棟梁のところや賢哲さんのところ、門下生のところ、知り合いのところだけですけど宣伝に行ったんですよね。


 今までも試してくれた知り合いはいたそうなんですが、当然全く効果がありませんからね、再び頼んでくれる方はいらっしゃいませんでした。


 けれど、大事な法要があるにもかかわらず酷い二日酔い、こいつをなんとかしてくれろ、と素見ひやかし半分、藁にもすがる思い半分で手を挙げてくれたのが幼馴染の賢哲さん。


 なかなかの破戒僧っぷりが憎めないお人ですよねぇ。


 良庵せんせの野巫医者としてのお手並み拝見、とわくわくしながら見守っていると、良庵せんせが懐から取り出した一冊の本――


『ああっ! それ――!』

『お葉さん? どうかしましたか?』

『――あ、いえ、なんでもないです』


 びっくりしましたよねぇあの時は。


 良庵せんせの野巫やぶ医者としての背骨が、まさかこのあたしが書いた野巫三才図絵だとは思いもしないじゃないですか。


 良庵せんせは野巫三才図絵の『人の部』をめくり、二日酔いに効果のある呪符をサラサラスラリンとしたためていきました。


 これをひたいに貼っつけて四半刻ほど待てば良し、そう言う良庵せんせでしたが、いかんせん、その呪符は今と同じく巫戟ふげきの力が皆無でした。


 半日も貼っつけてりゃかなりの効果が期待できそうな出来栄えでしたけど、半日もあれば二日酔いも落ち着きますしねぇ。


 どうしたものかしらね、とあたしが思案を始めるとほぼ同時に賢哲さんが言いました。


『なにが悲しくてそんな馬鹿みたいな紙切れ貼られにゃいかんのだ』

『馬鹿みたいとはなんだ! 貼らなきゃそのまま法要だぞ!』

『ならせめてもよ、別嬪さんの手で貼ってくれよ』


 これ幸いとあたしはほくそ笑んでそれに乗っかります。


『良いじゃないですか良庵せんせ。あたしが貼っても同じなんでございましょ?』


 良庵せんせの手からやぶ呪符を頂戴し、そっと巫戟の力を籠めてから賢哲さんのおでこへぺたり。


『嬉しいねぇ。やっぱ別嬪手ずからってのが良い――お、おぉっ!? おい良人よしひと、なんかもうスッキリしてきたぞ!?』


 ちょいときつめの巫戟にしときましたから。最初が肝心ですものね。


 そんなこんなで、まだまだちょこっとですけど良庵せんせの呪符が認められてきたんです。




 それにしたって野巫三才図絵の所在に驚いた日でした。

 聞けば幼い頃にお義父とう様がどこからか手に入れて、まだ読み書きもあやふやなお子が何故か大層お気に召し、そしてそれは幼い良人よしひと少年へと譲られたそう。


 それからの良人少年は剣術に打ち込むと同様夢中で読み耽り、宝物のようにそれをでたそう。


 あたしが丹精込めて書き上げた本を、これまでの人生の大半以上を掛けて愛でてきた良庵せんせ。

 ぶっちゃけ可笑しな人ですけれど、想像しただけできゅんとしちまいますねぇ。


 だからですかね。


 あんな出逢いにも関わらず、あたしがあっという間に恋に堕ちたのは。

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