ツンデレ

 先日の痴漢騒動から数日が経った。俺は未だ、伊織という少年の姿で彼の高校生活を送っていた。ただ、相変わらず親しい友人は作れそうもない。

 ただ、数日この教室の生徒の一員として生活をしたから、一人の少女がどんな人か、俺は理解し始めていた。

 橘美玲という少女は、口数の少ないクラスでも少し浮いた少女だった。授業中以外のほとんどの時間は、教室の自席でスマホをいじっていた。耳にはイヤホンを携え、話しかけるな、と言うオーラを纏うそんな子だった。


「橘さん。今日、一緒にお昼食べない?」


 ただ、そんな群れることを忌避するような彼女に声をかける男子がいた。勿論、俺ではない。俺以外の他のクラスメイトだ。そんなクラスメイトが毎日毎日、昼になる度彼女を誘いにそうやって声をかける。

 モデルでもしているのではと思うようなプロポーション。艶のある短めのツインテールをしている髪。そして、大きな目に長いまつげ。

 端正な顔立ちをしている橘さんは、一匹狼みたいな性格をしているのにも関わらず、その美貌のおかげでクラスメイトの注目の的になっていた。


「なんであんたなんかと一緒にご飯食べないといけないの?」


 しかし、橘さんは気軽に誘われたからと言って、易々と連中について行くような人ではなかった。冷たく突き放す橘さんの言い方は、明らかな拒絶だった。


「ほうら見たことか。橘さんに挑むだけ無謀だったんだ」


 橘さんに拒絶された男子は、仲間内で慰め、と言うより呆れのお言葉を頂戴していた。


「でも、そこが良い」


「同意」


 バカバカしい。

 俺はため息を吐きながら教室を後にした。相変わらず俺は、クラスでは友達を一人も作れていない。何事も最初が肝心とはよく言ったもので、初手で盛大にやらかした俺に対して、周囲の目は依然冷ややかだった。

 ただ、これでもここにいる連中より倍以上年を重ねた身だからか、一人でいることはさして俺にとって問題ではなかった。むしろ、ボロを出さないように取り図る必要がなくて楽というのが本音だ。


 問題があるとすれば、いつか香織と約束したことだけ。

 自宅に友達を連れ帰る。やはりそれは、予想通り高校を卒業して更に先の話になってしまいそうだ。


 いや、それじゃあいけない。それじゃあ駄目なんだ。たった今、香織を悲しませないように出来るのは、俺だけなのだから。


「さっきから一人で何を忙しそうにしているのよ」


 自分を奮い立たせていたら、背後から声をかけられた。


「橘さん」


 振り返った先には、さっき男子に絡まれていた橘さんがいた。俺へ向けて細くした目は、俺を咎めたくて仕方ないように見えた。


「どうしたの、さっき男子に絡まれてたのに。こんな場所で」


「べ、別に……あんなに大っぴらに話しかけられたら、あの場にも居辛いでしょ」


 そっぽを向いた橘さんの手には、風呂敷に包まれた弁当箱があった。どうやら、あの輩達のせいで教室で昼ごはんを食べ損ねたらしい。


「だったら、皆と一緒にご飯食べたらいいじゃない」


「嫌」


「なんで。良いことだと思うよ。他人から好意を抱かれることって」


 何だか自分があのクラスの誰からも好意を持たれていない。引いては友達がいないと自白しているようで、乾いた苦笑が漏れた。


「良いことなんてちっともない」


 吐き捨てるように、橘さんが言った。


「好意のない人との食事なんて、これ以上ない苦痛じゃない。なんで貴重な昼休みをそんな人との苦痛な時間で消費しないといけないのよ」


「……大人になったら、嫌いな人と食事する機会ばかりだよ」


 諭すように言ったが、これは大半が俺の経験則に基づいた発言だった。


「あんた、社会人にでもなったつもり?」


 怪訝そうな顔で、橘さんが言った。その発言のせいで、俺は背中に冷や汗を掻くのだった。


「あくまで、一般論だよ」


「ふうん」


 怪訝そうな顔は崩さなかったが、これ以上詰問するつもりはないようだった。


「……それで、あんたどこ行くのよ」


「どこって……」


 正直に言えば、俺がこれから行く場所は食堂。昼休み、俺はいつもそこでご飯を食べている。

 そう橘さんに答える前に、俺は勘ぐっていた。そんな話を俺から聞き出して、彼女は一体何が目的なのか。


「……付き合ってよ」


「え?」


「お昼、付き合ってよ」


 どうして。

 そんなことを聞く前に、橘さんは顔を真っ赤にして捲し立て出した。


「言ったでしょ。あたし、あの教室で今日はご飯食べられないの。好きでもない人から声をかけられて。……だから、お昼、付き合ってよ」


「嫌いな人と一緒にご飯を食べるのは、苦痛なんでしょ?」


「そうよ。悪い?」


「まあ、友達付き合いを制限する考えは正しいとは言えない」


 思ったことを言ったのだが、どうやらそれは余計彼女をやきもきさせる結果になったらしい。橘さんは顔を真っ赤にし、唇を噛んで睨んだ視線を俺に抗議していた。

 しばらく無言になった俺達。俺は、居た堪れない気持ちを抱えて、橘さんの前に立ち竦んでいた。


 未だ橘さんは俺を睨み続けていた。

 その視線に臆したわけではない。二十歳も下の少女のひと睨みくらいで、怖気付く程、楽な人生を歩んできたわけではない。

 ただ、しばらくして俺は行き着いたのだ。

 思い出したのは、先日の痴漢騒動。

 あの時俺は、まあ余計なこともしたとは言え、橘さんを痴漢の魔の手から救ったことになる。


 橘さんとしてはこの誘いは、あの日のお礼なのではないだろうか。

 あまり友達が多くない俺の現状を一クラスメイト視線から見て、あの時の恩返しのつもりでそう提案してくれたのではないだろうか。


「わかった。俺、食堂に行くんだけど、一緒に行ってご飯を食べよう」


「……最初から、そう言えばいいのよ」


「ごめんごめん」


 まあ、あの日の恩返しのためだと言うのなら、頑なになりつつあった橘さんの言葉を反故にしてまでも、一人でご飯を食べる理由はなかった。

 

「じゃ、さっさと行きましょ」


「そうだね。ごめんね、お腹すいちゃった?」


「そんなことないっ」


 そんな声を荒らげて否定しなくても。

 俺は苦笑しながら、橘さんと食堂へ向かった。

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