2 - 番場明日香

 海から戻ると、Q県の山の中は完全に日が暮れていた。瞽女迫、番場両家の前には燃焼室を積んだクルマはなく、霊柩車が一台停まっていた。


「ほんまに海まで行ったんか?」


 里中銀次が呆れたように訊いた。


「はい。蜜さんと、義母さん……青さんに、海に帰ってもらわないといけなかったから」

「周り人魚だらけっすね」


 と、口を開いたのは木端だ。里中の煙草に火を点け、自身も紙巻きを咥えながら新しい掃除屋の筆頭は快活な口調で続ける。


「なんでしょうねえ。変な事件だったっすね」

「変な事件やなかったら俺や掃除屋おまえらまで駆り出されるわけないやろ」

「というか、結局──」


 聖一は何も知らなかったんですよね。木端はそう続けた。


「明日香さんのお母さんと、その妹さんの蜜さんが人魚だってことは知ってたんだろうけど……でもその義母さん? 青さんまで人魚だったってことは」

「それが何や」

「いや、結局何がしたかったのかなーって、聖一……」


 霊柩車の中には父・番場恭二の遺体が横たわっていた。このまま東京に連れて行ってくれるのだという。


「お葬式は、ちゃんとせなあかんからな」


 霊柩車の助手席に乗り込みながら、里中が呟いた。木端がハンドルを握る霊柩車の後を追うようにして、響野と明日香も東京に戻った。


 参列者のいない葬儀だった。

 明日香、響野、それに木端と里中、更に岩角だけが顔を出す、静かな葬式だった。慈信和尚と彼が連れてきた若い僧侶ふたりが経を上げ、木魚を叩き、番場恭二と、亡くなった掃除屋・虹原にじはらの冥福を祈った。虹原の遺体はもう骨になってしまっていたので、名前だけの参加だった。

 山田徹はダムから撤収したあと、すぐに入院した。左肩を貫かれた際に負ったダメージが思いの外大きかったらしい。逢坂一威も別の病院に担ぎ込まれた。こちらは神主のコスプレをして聖一の目を欺きつつその体を傷付けた際、年齢に見合わない動きをしたことが原因で、どうにも体の自由が利かなくなったらしい。喫茶店も閉店しているという。


「今なら殺せるな」


 火葬場で時間を潰しながら、岩角遼が呟いた。その場にいた誰も口を開かないから、仕方なく明日香が声を上げる。


「誰をですか?」

「逢坂」

「……僕のお父さんのお葬式の日に、物騒なこと言うのやめてもらえますか?」


 特段不愉快というわけではないが、苦言を呈するような格好になってしまった。岩角は形の良い両目を大きく見開き、


「そうだな」


 と呟いた。


「悪かった」


 彼でも謝ることがあるのか、と少し意外に思った。


 骨になった番場恭二を骨壷に納め、皆で火葬場を出た。


「じゃ」


 駐車場に停めてある黒いクルマに乗り込みながら、岩角が言った。


「元気で」


 運転手の百裏の姿はなかった。自分で運転をして帰るのだろうか。


「あの」


 木端と里中は、別のクルマに乗ってすぐに去った。木枯らしの吹き荒ぶ駐車場には、岩角遼と番場明日香、そして響野憲造だけが残された。


「水城純治さんは」


 明日香が問いを口にした瞬間響野が背後から肩を引っ掴み、岩角が右眉だけを器用に跳ね上げた。

 禁句だと分かっていた。

 水城は、組織を放逐された殺し屋だ。岩角は水城を憎んでいる。山田徹の左腕を切り落としたのも水城で、水城の蛮行を止めることができなかったという制裁として里中銀次は両足の小指を切り落とされた。


 だが、明日香にとっての水城は恩人だった。


 本当は、明日香はバイト先のコンセプトバーの前で聖一が放ったチンピラたちによって殺されるはずだった。夢見人ユメミの予知夢は外れない。明日香が予知した明日香自身の未来を、水城純治は力技で変えてしまった。

 水城がいなければ、ヤクザたちと手を組むこともなかっただろう。山田徹は個人的に瞽女迫澪と穣に接点を持っていたようだが、斗次が聖一側の人間だということにも、山田ひとりでは気が付かなかったと思う。

 岩角遼とも。彼が庇護するびわと百裏とも。水城がいなければ、きっと。

 逢坂一威に出会うこともなかった。横浜まで走って、秋という名の情報屋からヒントを貰うこともなかった。そして、今明日香の肩を強く掴んで震える響野憲造とも。全部、水城が繋いでくれた。

 岩角が大きく溜息を吐いた。

 額に落ちる長い黒髪を片手でかき上げ、呆れ果てた様子で明日香を見据える。


「どうしようもねえなぁ」

「え?」

「俺にのことを訊くか?」

「でも」

「あっ、明日香さんはっ、部外者、だから……」


 慌てた様子で割って入ろうとする響野を突き飛ばし、岩角遼の美貌が目の前に迫る。


「もう未来は見えないのか?」

「え」

「瞽女迫澪は、近くにいないのか?」

「……あ」


 そういえば。そうだ。

 水城純治が聖一をダムの底に沈めるのを見届けて、そう、それ以来、澪の声はもう聞こえてこない。穣もそうだ。語りかけてもこないし、未来が降ってくることもなくなった。明日香個人としても、予知夢を一度も見ていない。


「アレは、もう、現れない」

「……死んじゃった、んですか」

「どう考えてくれてもいい。本来、俺とアレは二度と顔を合わせちゃいけなかった、それを」


 おまえが、と岩角の長い指先がぐりぐりと明日香の額を押した。それはもう、ぐりぐりと。ツボを押すかのようなすごい力で。


「い、痛い、痛いです」

「おまえが! おまえと瞽女迫姉と弟が、俺の前にアレを連れて来やがった! ったく、殺す以外にどうしろって言うんだよ? 殺す以外に……」


 言葉の物騒さとは裏腹に、岩角は小さく笑っていた。

 本当に綺麗な人だ、と額をぐりぐりと押されながら、明日香はぼんやりと思った。

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