終章 放逐

1 - 番場明日香

 番場ばんば明日香あすかは、響野きょうの憲造けんぞうの運転するクルマに乗って故郷のQ県に向かった。山奥にある実家には無数の遺体が転がっており、そのほとんどから頭部が失われていた。びわが術を使うために首を持って行ったのだ。


 番場家の仏間には、父親・恭二の遺体があった。頭部もあった。決して穏やかとはいえない死に顔をしていたが、びわが恭二を明日香の父親だと知っていて傷付けなかったということはなんとなく分かった。


 別のクルマでQ県に入った里中さとなか銀次ぎんじと『』の筆頭に大抜擢された木端こばの手によって、瞽女迫、番場両家の無数の遺体は荼毘に付された。本来はそういう目的で使うわけではないという燃焼室を積んだクルマで里中と木端はやって来た。木端は淡々と遺体を焼き、里中はその傍らで数珠を片手にぶつぶつと何かを唱えていた。おそらくお経だと思う。死んだ人間全員の葬儀を出すのは困難だろう。というかこんなにも大勢の人間が一斉に命を落としたとなると、何をどう頑張っても警察沙汰からは逃れられない。明日香に協力してくれた人間たちは、ほぼ全員がヤクザだ。警察とは関わり合いになりたくないという彼らの言い分も分かる。だから明日香は、木端と里中が行う作業を葬儀のつもりで見守った。

 そんな折、瞽女迫家の中をうろついていた響野が石を投げられた動物のような勢いで玄関から飛び出してきた。


「明日香くん、中に誰かいる!」

「えっ!」


 中に。生きている者がいるというのだろうか。


 一緒に行こうかと尋ねる里中には外で待機してもらうとして、響野とふたりで瞽女迫家に足を踏み入れた。靴は履いたままだ。何が起きるか分からない。

 遺体はすべて木端が運び出してくれたが、それでも部屋の中は少し血の匂いがする。この木造の一軒家ごと焼かねばならないかもしれない、と明日香は頭の隅で思う。

 浴室に辿り着いた。扉を開く。


「明日香?」


 聞き覚えのある声だった。


義母かあさん!?」


 父の──番場恭二のが、浴室で煙草を吸っていた。彼女は、寒い季節には必ずQ県を離れる。早くても3月までは絶対に戻ってこない、はずだ。その義母が、なぜこんな、いや、そもそもどうして浴室に──


「明日香だ!」

「ええっ!?」


 浴槽の中からも、声がした。やはり知っている声だった。


みつさん!?」

「やっほ〜」


 亡くなったはずの、聖一に殺されたはずの叔母のみつが、半分ほど水を張った浴槽の中でやはり煙草を片手にこちらに向かって微笑んでいた。


 里中に許可を取り、蜜と義母──番場冬子ふゆこと名乗っていた女、本名あおをクルマに乗せて、Q県最寄りの海、つまり県境を越えた先を目指してひた走った。


「いや、私もヤバいなと思って。恭二さん死んだ時に」


 後部座席で義母は飄然とした口調で言った。


「あの蛇本気出してきたなって。で、予定を巻いて戻ってみたらもう……ね?」

「はあ……」


 運転席の響野憲造が何も言わないので、明日香は曖昧に相槌を打つ。父が、青と再婚したのはいつ頃だったろう。実母は明日香を産んですぐに死んでしまいほとんど何の記憶も思い出もないので、再婚自体に反対した覚えはなかった。ただ、義母は年の半分をQ県から離れて過ごすので、正直これといった会話を交わしたこともなくて。


「蜜だけでも生きてて良かったわ」

「青ちゃんが海水持って来てくれたおかげだよ〜。干からびて死ぬかと!」

「……え?」


 妙な予感がした。響野も眉を顰めている。

 もしかして。もしかしなくても。


「人魚!」


 蜜と青が、互いを指差して笑った。

 まさか、そんなことが。


 目的地に辿り着いた途端、蜜をお姫様抱っこして青は走り出した。冬の海に飛び込んだ次の瞬間、ふたりの姿は人間ではなくなっていた。

 蜜の透けるように白い肌、深海の底の底を思わせる青い髪、水晶のように輝く瞳。傍らの青は蜜とは正反対に砂漠の色の肌をしていて、髪は満月の銀、切長の目の奥の瞳は炎と同じ色をしていた。


明日香あんたの、お母さん!」


 青が声を張り上げる。


すいが! 恭二さんと恋愛してさ! Q県は蛇の巣だって分かってたのにお嫁に行っちゃって! すーぐ殺されて!」

「……!」

「それで蜜が! この子が! 明日香を守りたいって言うから! でもあの蛇は怪物でしょ? 人魚ひとりでどうにかなるような問題じゃないから、一年の半分だけ──私は西の方の海に住んでたから、Q県の冬はどう頑張っても我慢できるもんじゃなかったから、それでもどうにか半分だけ、番場で過ごすって、彗の子どもを蜜とふたりで守るって約束をして──」

「それは!」


 泣き出しそうだった。必死で堪えて、声を張り上げた。


「お父さんと、約束してくれたんですか!」

「そうだよー!」


 冬の海の中で、ふたりの人魚は鮮やかに笑った。これでお別れなのだと、痛いほどに分かった。傍に立つ響野にも伝わっていたと思う。


「でも、蛇、死んだし。どうやったのか分かんないけど、だからもう、行くね」

「義母さん……蜜さんも……」

「明日香、恭二さんの骨焼いたら、この海にちょっとだけ撒きに来て。ね。拾うから。人魚はそういうの、鼻が利くから」


 蜜が言う。そうだ、番場恭二の葬式だけは、きちんと出すことになるだろう。明日香が喪主で──明日香だけが家族席に座って。


「蜜さん、僕は……」

「海で生きたくなったらいつでもおいで! 待ってるから!」

「でも、陸で生きたいならそうしたっていいんだよ。あんたはもう、自由の身なんだから」


 青と、蜜が、水平線の向こうに姿を消すまでずっと手を振っていた。

 ずっと。


「行こうか」


 と響野憲造に声をかけられるまで、手を、振り続けていた。

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