6 - 明日香
舌なめずりをする聖一の顔は、また人間のものに戻っていた。口の周りに鮮血が付着している、ということもなく、ただ両目の傷は塞がっていた。
「好物を食えて、満足か?」
里中が尋ねる。
「ああ、満足だね」
次はおまえの番だ、とばかりに顔を近付ける聖一の前に、ずいと立ち塞がった人物がいた。あのワインレッドのスーツの女性だ。
「悪いけど、次の掃除屋の筆頭は自分なんで」
「──掃除屋?」
鼻で笑う聖一の光る目を覗き込み、女性は続けた。
「
「ええでぇ、
里中が煙草を咥え、木端が火を点ける。紫煙を鼻先に吹き付けられ、聖一は大仰に顔を顰めた。
「あなたは
「……」
ぬるり、と聖一の体が動く。木端の話をそれ以上聞く気はなさそうだった。
「自分もね、Q県で生まれ育った人間なんで。山奥の蛇への信仰心を持つ人たちがいるのも知っている。実際あなたはそういう能力を持つ蛇なんだろう。蛇ではなく、龍に擬態することができるほどに力が強い──」
聖一が、近付いてくる。酷く嫌な気配だった。全身に鳥肌が立つ。
百裏がひっくり返して盾代わりにしている祭壇にはもはや、何の意味もなかった。黄金色に光る目、三つの目を輝かせた聖一が祭壇を真っ二つにし、地面に座り込む明日香を見下ろしていた。
山田の舌打ちも、びわの喚き声も、聖一には届かない。
「明日香」
聖一が呼んだ。蛇が、龍が、呼んだ。
「瞽女迫は俺の信託を下々の者に伝える存在。
「──」
言葉もない。斗次を、好物を飲み込んだ聖一は饒舌だし、それに元気だった。綺麗に生え揃った白い牙を見せながらにっこりと笑い、赤い舌をちらつかせて彼は続けた。
「教えてやるよ、おまえで最後だ」
「……」
「番場は瞽女迫の守刀。番場の人間だけが俺を狩ることができる。だがその方法はもう失われた。おまえの親父でおしまいだ。明日香。残念だ。さようならだよ」
「──よーくもまあ、ベラベラベラベラお喋りするね、聖一さん」
声が。
響く。
明日香の声ではない。
男の声だ。
『時間だ』
山田徹のワイヤレスマイクに、岩角遼の平たい声が届く。
満潮。
6時5分。冬の朝はまだ早い。
真っ二つに割れた祭壇の前に呆けたように座り込んでいた番場明日香の両脇で、三つの泥人形が砕けた。
幻が、解ける。
聖一の目の前に控えているのは、番場明日香ではない。
腰を低く下げ、居合抜きでもするかのような格好を取る──水城純治がそこにいた。
祭壇から遠く離れた場所に逃げ、双眼鏡を手に様子を確認する山田の傍らで百裏が仰向けに倒れ込んだ。何もかもすべて、彼が見せている幻だった。大量の松明、祭壇に座る明日香、百裏、それにびわ。途中から負傷合流した山田徹さえも。びわが操る生首や聖一を銃撃したライフルたちは本物だったが、実際の数より多く見えるよう百裏が常に調整を続けていた。
だが、もうそんなことはしなくても良い。
「逢坂さーん、交代しましょー!」
ハッとした様子で振り返る聖一の目の前で、逢坂一威が手にした刀を鱗のあいだに打ち込んだ。逢坂が軽業師のように飛び回り、聖一の体各所を切り刻んでいたというのも幻だ。逢坂とてもう若くはない。1箇所を致命的に痛め付け続ける、それぐらいが精々だ。
「果樹園仕込みを舐めんなよ……」
唸るように言って、百裏は気絶した。逢坂が最後の力を振り絞った様子で跳躍し、地面で拡声器を手に待ち構える孫と合流する。
呆気に取られたように目の前の水城を見詰める聖一の三つ目と口から、大量の血が溢れ出た。
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