3 - 明日香
一般的に拳銃には幾つ銃弾を入れることができるのだろう──と明日香が混乱した頭で考える目の前で、岩角遼は迷わず八つの弾丸を聖一の右目に叩き込んだ。
「ただの拳銃か」
聖一が笑った。空になった拳銃を片手に小首を傾げる岩角を嘲るかのように、弾丸はすべて地面の上に叩き落とされていた。
「ヤクザのくせに、正義の味方を気取るものじゃない」
「──正義の味方ぁ?」
揶揄するような聖一の物言いに、岩角がくちびるの端を引き上げる。その表情をひと言で示すならば『野卑』以外の何ものでもないはずなのに、岩角遼という人間が持つ生まれながらの美しさが軽はずみな表現を跳ね除けた。
人間の姿をかなぐり捨てた聖一という巨大な怪物の前に佇む岩角遼は、確かに正義の味方に見えた。女性や子ども、それに怪我をした仲間を背にして立つ孤高のヒーロー──
「何様のつもりだ、怪物風情がよ。本来ならてめえは、俺の目を見ることすら許されないつまらん山奥の蛇野郎じゃねえか」
孤高のヒーロー、或いは祝福された聖人、もしくはステージ上のスーパーモデル──美貌のヤクザ岩角遼は、低く耳障りの良い声で聖一を罵倒した。聖一の顔色が変わるのが分かる。本当に色が変わったわけではないが、彼を『蛇野郎』と罵倒するような人間はこれまで周囲に存在しなかったはずだ。瞽女迫も、番場も、聖一を畏れ崇めていた。それが。
(あのヤクザ──殺されない?)
澪の声がした。声だけではない。澪の両手が明日香の肩に触れていた。振り返らなくても分かる。それほどまでに良く知った、自分の体の一部のように慣れた手、温もりがそこにあった。澪が背中を守ってくれている。それだけで明日香にはもう、何も恐れるものはなかった。
「殺されない、岩角さんは──」
「静かに」
山田の声がした。右手で左肩を強く抑えて止血を試みる山田徹が、ゆっくりと巨躯を祭壇の上に持ち上げ、あぐらをかいているのが見えた。
瞬きをしながら視線を向けると、
「まだ何も言うな。若頭にもプランがある」
「……」
(プラン? 何? 何も見えないよ?)
澪に見えないのであれば、明日香にも分からない。山田の言うことを信じる、それしかできることがない。
いつの間にか、祭壇を飛び降りて前線に駆けて行ったはずのびわと百裏が戻って来ていた。先ほどまでびわが舞い踊っていた明日香の右隣に百裏が、山田が陣取っている明日香の左隣にびわが──びわは山田のあぐらの上にぴょんと飛び乗った。
これで聖一と岩角の一対一だ。
聖一は怪物だ。岩角の言う通りの蛇野郎かもしれないが、瞽女迫家に予知の力を分け与えた、神の側面も持つ。
その聖一に、いったいどういう手を。
「点火」
両目は聖一から逸らさぬまま、スーツの内側に向かって岩角が言った。
次の瞬間、ダムを取り囲んでいた松明の炎が急激に強い光を放った。
あれは、炎ではない。あれは──
「……俺を
「怪物には火とLEDの違いも分からんのかね!」
LEDライトだ。ものすごく良く光る照明だ、と明日香にもひと目で分かった。
遠目だったし、光り方も最初は弱く、色も橙色になるよう調整していたからはじめは気付かなかったのだ。だが、聖一も? 聖一にも分からなかったのか? あれが神を招く、神殺しの儀式のための炎などではないということが。
空になった拳銃を聖一の体に向かって投げ付け、ふところから取り出した別の拳銃を構えながら岩角が
「インチキにはインチキで、神様気取りのただのケダモノにはちょっと値の貼るLEDで十分だろ? 松明組み立てて火ぃ
岩角は再び聖一の目を狙った。その銃口から吐き出されたのは、鉛の弾丸ではなかった。
水だった。
彼が構えているのは、子どもがビニールプールで使うような半透明の水鉄砲だった。
しかし幼児用の玩具に似ているのは外見だけで、水の勢いは異常だった。いったいどういう改良を施したのか、凄まじい勢いで飛び出した水が聖一の右目を
ダムに張られた水が揺れるほどの悲鳴を上げた聖一の黒く長い体が、転げるようにダムの中へと落ちていく。
「蛇ならこれで溺れるだろうが」
岩角が小さく呟くのが聞こえた。
「蛇じゃなかったら厄介だ」
(蛇じゃない)
澪──ではない。少年の声が聞こえた。
本当は振り返りたかった。だが、見届けるのが勤めだと強く言い含められた明日香は、聖一の影をじっと見詰めることしかできなかった。
瞽女迫
(明日香ちゃん。聖一は蛇じゃない。聖一は)
「龍か」
山田が呻くのと同時に、ダムの中に転落する寸前で聖一が身を持ち直す気配がした。蛇は空を飛ばない。だが龍だというのなら、話は別だ。
ダムの上に、夜空よりもさらに深い黒の雲が渦巻いていた。その中に聖一の姿があった。
龍だ。
左目から血を流し、右目を深く傷付けられた異形の神が、憎々しげに地上を見下ろしていた。
「計画変更、照射」
岩角がスーツの内側──ワイヤレスマイクに向かって平たい声で命じた。
LEDの明かりが強くなり、ダムを囲む松明型の灯りが一斉に雲の中に身を隠す聖一を照らす。
『狙撃準備』
岩角のマイクから誰かの声が聞こえる。
灯りと灯りの隙間から、ぬっと鉄の棒が覗いた。あれは。
「ライフル。見たことない?」
山田がいかにも楽しげに言った。ライフル? 長距離狙撃用の? 映画──邦画よりもどちらかといえば洋画で結構頻繁に見かける、あの?
見たことなんてあるはずない。
それに、ライフルがあるということは狙撃手が存在するのではないのか。全自動で敵を撃つシステムなんて聞いたことがない。SF映画じゃあるまいし。
『撃て』
無数のライフルが、一斉に火を吹いた。
先陣を切ったのは光を放つ弾丸だ。LEDの光りにもかき消されない輝く尾を引いて、聖一という獲物の場所を示す。後を追うように鉛の弾が次々と射出され、聖一の硬い鱗にぶつかっては大きく弾ける。
咥え煙草で狙撃手たちに指示を与えているのは、黒のロングコートに赤いマフラーをぐるぐると巻き、いかにも寒そうに肩を竦めて対岸に立つ里中銀次だった。
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