3 - 響野
いつの間にか作戦本部のようになっている新宿歌舞伎町の純喫茶カズイは、今日は同窓会の会場のようになっていた。
「はい、ということでこちらが住職の
「水城、おめえ帰国したくせに顔出さねえと思ってたらいきなりこんな……」
「慈信和尚は、なんと、供養のプロです! 俺が殺した人間の供養はだいたいお願いしてます! はい、プロに拍手〜!」
「水城……」
パチパチ……とまばらな拍手が狭い店内に響き渡る。今日ここにいるのは水城純治、里中銀次、それに掃除屋の
慈信和尚のことは知っている。ギリギリ都内の端っこに引っ掛かる場所にある、小さな寺の住職だ。水城が紹介した通り、彼という殺し屋の手で始末された人間は大抵事情を知っている火葬場で骨になり、慈信和尚によって供養される。
だが、その供養のプロをこの場に引き摺り出してどうしようというのだ。
「秋はどないや」
里中が尋ねる。響野と明日香は、横浜から新宿に戻る道すがら、今後の立ち振る舞いについての打ち合わせを終えていた。
「元気でした。請求書もらいました」
「請求書?」
「あの、黒電話の番号代……」
「見せえ」
テーブル席に着いて手を差し出す男に、請求書を手渡す。紙に書かれた金額を目にするなり大仰に顔を顰めた里中は、
「俺には無理や。
「お支払いになりますかね?」
鼻の上に皺を寄せて呟く斗次の疑問はもっともだ。今回の件に関与しているヤクザ4人のうち、岩角遼がいちばん秋との相性が悪い。いちばん金を持っているというのに。
「それから、これも」
明日香が差し出す未だ封も切られていない封筒を、水城が飛び上がるようにして受け取った。
「なになに〜? 速達〜?」
「
「人魚の番場蜜さんから〜?」
雑に封を切ろうとする水城に、祖父がハサミを差し出している。確かに水城の手付きでは、中に入っているものまで破損しかねない。
「あっ、アレじゃん!」
封筒を逆さにして振った水城が、珍しく驚いた声を上げた。アレ、とは。
「家系図!」
「えっ!?」
その場の空気が一瞬凍った。家系図。門外不出の生きる家系図。
「僕ん家の分だ」
明日香が呟いた。水城が両目を大きく見開き、
「分かるの?」
と明日香に家系図を手渡した。
「分かります。あの、なんというか……これ、紙でできてないの分かります?」
「なんとなく」
「皮でできてるんですね。なので、瞽女迫の分と、うちのとでは明らかに見た目が違うというか」
「へえ」
丸テーブルの上に番場蜜から送られてきた家系図を広げ、明日香は唸った。水城は小さく小首を傾げて、
「慈信さん見えます?」
「見えとるよ」
「なんか察知できます?」
「水城……俺がインチキ住職だってのは知っとるだろ。何も察知せんよ」
「あはは。インチキでも住職は住職っすからね。なんていうか。『こっちには住職がいるぞ!』っていう気概が大事だと俺は思うので」
水城の心構えはなんとなく正しい、と響野は思った。聖一を相手にするに差し当たって、大切なのはそういう心持ちだ。相手は化け物で、拳銃も刃物も使わずに簡単に人を殺してしまう。圧倒的な力の差がある。ならばせめて、気持ちだけでも。
「瞽女迫の分はやっぱ瞽女迫の家の人が抱え込んでるのかな。っていうか、そう考えると秋の持ってたこれはなんなんだっつう話なんだよね」
と、水城が『リコリス特権』で秋から拝借してきた家系図を広げながら言う。
「内容もあんまり変わってな……あん?」
「どないした」
「いや里中くん、こっちの、秋バージョンおかしくない?」
不意にひっくり返った水城の声に、店内にいる全員の視線が集中する。番場明日香が手にする番場家の持ち物である家系図と、水城が広げる秋バージョンの家系図──
異変が起きていた。
「瞽女迫
「はい、合ってます。僕の方にはおじさんたちの名前はそのまま……」
水城が秋バージョンと称する家系図の、瞽女迫治と瞽女迫信次の名前の上に赤い染みが浮き始めていた。血の色だ。
「な──『
「ざくろや、
赤い染みはそのまま文字になった。瞽女迫澪の養父兼伯父である治の名前の上には『梨』、実父であり叔父でもある信次の方には『柘榴』と書かれている。
「果樹園」
里中が、思わずといった様子で唸った。
「かじゅ……? ああ、なんか言ってたねQ県言った時。果樹園から養子を取ったとか」
「それや。俺も直接関わったわけやないから断言はできんけど、果樹園ちゅう組織は能力のある子どもを集めて果物の名前を付けて育てる、とか山田が言うとった」
「……ってことは? あれ? 瞽女迫治さんと信次さんの本名が『梨』、『柘榴』ってこと?」
「本名かどうかは知らんけど、まあ、もうひとつの名前ってことやろ」
「聖一は」
声を張り上げたのは、明日香だった。大きく見開かれた両目が血走っている。
「体中に栄養をパンパンに蓄えた蛙しか食べない、贅沢な蛇だ」
「……俺らもそんな話聞いたわ、きみの、お父さんから」
眉根を寄せた里中の呟きに、
「だからこれは、食べ残しです」
「ん?」
白い指を真っ直ぐに伸ばし、『梨』『柘榴』を示しながら明日香が言った。
「果樹園出身のおじさんたち──治さんと信次さんは、聖一が求める食糧じゃなかった。だから殺されたあと、ここにこうして、元の名前が残った」
「明日香くんの家系図には何も異変は起きてない?」
水城の問いに、明日香は大きく首を縦に振る。
「全員の名前もちゃんとあります。今は聖一の名前はないけど……秋さんが持っていた家系図だけなんですよ、食われた人間の名前が消えるとか、そうやって、食べ残しが浮かび上がったりするの。不思議です」
「秋はね……なんでも持ってるからね……」
しみじみと呟く水城の頭上から家系図を見下ろす慈信和尚が、
「おい、横見ろ」
「ん?」
痩せた大きな手が指し示す先には、番場蜜の名前が記されている。番場明日香の叔母として。そのはずだったのだが。
『
色褪せた血文字が、番場蜜の本当の名前を告げていた。
「──蜜さんも、蜜さんって名前じゃなかったんだ……」
明日香が途方に暮れたように呟いた。番場蜜はやはり、人魚だったのか。
「それで、秋はその番場──蜜さんからの速達をおまえらに渡して。他に何か言ってなかったのか、助言とか」
一同にコーヒーを配りながら祖父が発した問いに、
「なんか海がどうとかって言ってました」
と、明日香が食い気味に言った。そういう打ち合わせをしてあった。
海がどうとかと言ったのは秋ではない。明日香の夢に出てきた瞽女迫澪だ。
「海?」
斗次が不審そうに呻く。
「どういう……」
「聖一は真水に棲む化け物です。だから、海に誘い込めば、力が弱まるって」
「ほう」
楽しげな声が上がった。慈信和尚の声だった。
丸テーブル側の椅子に深く腰を下ろした住職は、僧衣のままで腕組みをしている。
「そういう話は、俺は、好きだ。いいじゃないか、協力しよう」
「え、慈信さん今まで協力しないつもりで話聞いてたの? 俺協力してくれる前提でここまで来てくれたんだと思ってたんだけど!?」
素っ頓狂な声を上げる水城をちらりと見、それから番場明日香に視線を向ける。明日香も、じっと響野のことを見詰めていた。
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