4 - 岩角

 長話を聞き終えた番場明日香は、しばらく俯いたままで口を閉じていた。


「噂には聞いたことがありましたが」


 と、斗次とつぎが呟いた。


「『果樹園かじゅえん』ですか? そんなものが、本当に……」


 。情報源は秋だが、岩角も個人的に彼らに関わったことがあった。

 子どもたちを集め、殺し合わせ、いちばん強い能力を持つ者を『神』とする──といえば聞こえが良いが、結局のところ殺しの道具として消費する組織。子どもたちには果物の名が与えられ、『果樹園』という通称はそこから取られたものだろう。岩角の養女である枇杷びわも、それに運転手である百裏ももうら──苔桃こけももも、元々は果樹園で育てられていた子どもだった。


「存在する……した、と過去形で言いたいところだが。俺と山田で壊滅状態に追い込んだからな。だがまあ、どこかでまた新しい、似たような組織が誕生している可能性は否めない」


 しかし、それに関しては今は置いておくとする。『果樹園』の名前が出たのは偶然だ。そして更に偶然、奇跡的に、岩角とびわ、百裏が果樹園に関わったことがあった。それだけの話だ。

 今論ずるべきは、果樹園ではなく瞽女迫聖一である。


「そうですか、おふたりは果樹園の……」


 眉を下げて番場明日香が呟いた。


「あの、でも、今は関係ないの! 遼さんも、徹さんもいるし、あたしは学校に行ってるし……」


 慌てた様子で言い募るびわの頭をそっと撫で、それから番場明日香は手の甲でごしごしと自身の目元を擦る。


「僕も泣いてばっかりいらんないですね。できることをやらなくちゃ」

「あなたにできること」


 煙草に火を点けようとして止め、代わりに手元の水をひと息に飲み干して岩角は言う。


「未来を見ること、か」

「はい」

「予知夢を見るのが精々のはずの番場一族のあなたの前には、今、亡くなった瞽女迫澪の置き土産のように未来が降り続いている。それで、俺の名刺から、」

「はい。聖一さん──いや、聖一さんというか、大きな蛇、蛇が近付いてくる未来が見えました」


 くちびるを引き結んでカウンターに視線を向けると、逢坂一威と視線がぶつかった。元殺し屋で現喫茶店店主の彼は、何もわからん、とでも言いたげな様子で肩を竦めた。


「大蛇様」


 声がした。斗次だった。

 カウンターに頬杖を付いたスーツ姿の掃除屋は、切長の目を細めて独り言のように続けた。


「俺の地元にもあるんすよ、そういう伝説? っていうんですか? が……毎年きちんとお祭りをしないと、大蛇様が現れて村の若い娘を食っちまうっていう……」

「その話、以前も仰ってましたよね」


 長いまつ毛を揺らして、番場明日香が呟く。斗次は小さく頷いて、


「あの時は本当に地元でそういうお祭りがあったな、程度の思い出話のつもりだったんですけど……何か参考になりませんかね」

「参考、うーん……」


 店の中にはなんともいえない沈黙が満ちる。困り果てた様子のびわと百裏の前にショートケーキを置きながら、


「海水の方から考えてみるってのはどうかね」


 と逢坂一威が言った。

 海水。水城純治が部屋中に撒き散らして、瞽女迫聖一を撃退した人魚の『嫁入り道具』。


「淡水魚を海水に入れると死ぬじゃないか。そういう感じで」

「それだと逢坂さん、相手は蛇ではなくて魚ということになります。番場くんには……」

「蛇、に、見えましたけど、どうだろう……自信がなくなってきた……」


 斗次と番場明日香の声を聞きながら、だが、確かにあれはだった、と岩角はテーブルの端を指の腹でトントンと打ちながら考える。海だった。海。あんなちっぽけな小瓶の中に、


「海──」


 瞽女迫聖一の正体が何者か、ということは、あまり深く考えなくても良いような気持ちになっていた。ただ、あいつは海水を嫌った。あれっぽっちの水滴に、顔を顰めて逃げ出した。


「海に誘い込めば、倒すことができるんじゃないか?」

「ちょ、岩角さん? 何言ってんです?」


 慌てた様子で響野が駆け寄ってくるのを片手で振り払い、席を立って番場明日香の側に歩み寄る。


「あなたと瞽女迫澪の予知に間違いがなければ、俺はもう一度あの男に、蛇のようなあいつに遭遇することになる。その後俺はどうなりますか、死にますか」

「それは……」


 怯えたように身を竦める番場明日香の腕を掴む岩角の腰を、次の瞬間鋭い蹴りが襲った。唐突すぎて、番場明日香の手を離すだけではなくその場に崩れ落ちてしまった。

 うわ、と響野憲造が両目を見開き、おやおや、と逢坂一威が苦笑いを浮かべている。びわも見えない目を瞬かせながら両手で口を覆っており、百裏は椅子から中途半端に腰を上げた格好で固まっていた。


 誰に蹴られたかなんて、振り返らなくても分かった。


「……水城みずき純治じゅんじ

りょうはさ〜、誰にでもそういう態度取るのマジで良くないと思うよ?」


 レザージャケットのポケットに両手を突っ込んだ水城純治が、呆れたような目でこちらを見詰めていた。


「でも、海を誘い込むっていうのは結構いい案かもって俺は思うね!」

「──は?」


 ぶち殺すぞ、このガキ。

 明確な殺意とともに視線を上げる岩角に、水城が顔で片手を差し出した。

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