7 - 里中

 瞽女迫ごぜさこ聖一せいいちというは存在しない、と番場恭二は言った。


「え? いたけど?」

「ええ、いるんです。いるんですが、彼は人間ではない」

「家系図にも名前が載って──」

「その家系図はですよね。いったいどこで手に入れたんですか?」


 聖一の名を聞いて卒倒した年寄りたちを別室に移動させたら、和室はずいぶん広くなった。その分寒さも増したので、水城は自身の座布団を手に石油ストーブの前に陣取った。当たり前のような顔で響野も後に続く。里中は黙って煙草を吸っていた。

 番場恭二を真ん中に挟むような格好で、家系図を見下ろしながら水城と響野は訝しげに続ける。


「この家系図は……秘密」

「こっちにも腕利きがいるってことで」

「腕利き」


 響野の物言いに、番場恭二は静かに笑った。


「我々ですら滅多に目にする機会がない本物を……都会には恐ろしい人がおるもんですね」

「人かどうか知らんけどね。で? この家系図にも瞽女迫さや子と治の息子ってことで聖一の名前がちゃんと書かれてるじゃん」

「おい、蜜!」


 名を呼ばれた番場蜜が、はあい、と返事をしながらA3サイズを紙を手にこちらに近付いてくる。


「これが、20年前の家系図です」

「うおっ達筆! 俺には読めないやつだ、響野くん読んで読んで」

「解読を俺に任せないでくださいよ──あん?」


 何か異変が起きたらしい。里中はゆっくりと立ち上がり、足を引き摺りながらストーブ前の集団に加わった。


「何や」

「あ、里中さん、これ。おかしくないですかこれ」

「ああ?」


 響野の長い指が示しているのは、瞽女迫梅──瞽女迫澪の祖母であり、火事で死んださや子の母親でもある女性の名前だ。瞽女迫梅、それにその兄のイヲの名前が書かれていて……。


「聖一?」


 思わず呟いていた。番場恭二と彼を取り囲む招かれざる客たちを遠巻きに見ていた瞽女迫、番場、それぞれの一族が大きく身動ぎするのが分かった。


 イヲ、梅に並んで、、という名前が確かに記されている。


「こいつは」

「20年前の家系図の複製品コピーです」

「複製品だと? 恭二、おまえ──」


 殺気立った声を上げるのは、おそらく瞽女迫の人間だろう。だんだん見分けが付くようになってきた。現状に対して前向きに取り組んでいるのが番場、でかい口ばかり叩いてまともに動かないのが瞽女迫だ。胸糞が悪い。


「こういう事態が起きた場合に備えて、番場家で相談の上複製品を作りました」

「我々に許可も取らずか!」

「相談したとして、前向きな返答をくれましたか? ──聖一さんの話をしているんですよ?」


 番場恭二の胸ぐらを掴まんばかりの勢いだった中年男は、聖一、の響きに一瞬でその勢いを喪失した。もう少し頑張ってくれやと里中は内心呟く。


「聖一ってのは、なんなの」


 水城が尋ねる。番場恭二は太い眉を寄せ、


「あなたがおっしゃった通り──」

「呪い?」

「それに近いかもしれません。聖一、という名前は定期的に瞽女迫家に現れます。誰の息子でもない、誰の兄弟でもない、誰の知り合いでもないのに、まるで最初からその場にいたかのような自然さで、出現するんです」

「で、その正体は?」


 情感たっぷりの番場恭二の語り口にも水城純治は飲まれない。冷静に先を促され、


「呪い──瞽女迫家に予知の才能を与えた者、とも言われています」

「は……」


 水城と一瞬視線が合う。おそらく里中と水城は、その時同じことを考えていた。


「予知能力をもらう代わりに何かを与える契約をしたってわけ? 馬鹿じゃん!」


 里中より思慮深くない水城は、次の瞬間ゲラゲラと笑いながら言い放っていた。今度こそ瞽女迫の誰かにぶん殴られると思った。響野に至ってはそそくさと部屋の隅に走り、すぐにでも廊下に飛び出せるように構えていた。

 だが。

 瞽女迫の人間たちは何も言わなかった。

 何も。


 番場家を出た。早々に帰京する必要があった。


「聖一さんは」


 と、里中ら一行を外まで見送りに出た番場恭二は呻くように言った。


「怪物です」

「そないな言い方してもええんか」


 問いに、番場恭二は力なく首を振った。


「私たちがどう言おうと、聖一さんは気にしません。彼の目的は瞽女迫家の人間ですから」

「そういえば、明日香くん変なこと言ってたよね」


 スポーツカーの無事を確認する響野の側にいたはずの水城順治が、いつの間にか戻ってきていた。長身の番場恭二を見上げながら、陽気な殺し屋は明るい声で言い放つ。


「『命を食べられた』って」

「……それを、明日香が?」

「そういえばそんなこと言うてたな」


 虹原が命を落とした時だったろうか。ほんの数時間前の話なのに、まるでもう何日も経過したかのような錯覚を覚える。虹原の遺体は、もう斗次のもとに戻されたのだろうか。すべてが終わったら、そして生き延びていられたら、彼の葬式もしなくてはならない。


「俺んとこの若い衆が死んだんや。番場くんと一緒におる時にな」

「つまり、ヤクザの方が……?」

「厳密にはヤクザやないけど、せやな。まあ、そっち方面の人間や」

「その方が亡くなった際に、うちの明日香が」


 命を食べられた。

 口の中で小さく反復しつつ、番場恭二は難しい顔で顎に手を当てる。里中と水城は思わず視線を交わしていた。なんともいえない表現だとは思っていたが、まさか明日香の父親であるこの男には意味が分かるのか。


「里中さん、水城さん、クルマ大丈夫です。いつでも行けます」


 響野の声がした。片手で「待て」と示し、


「番場さん。なんでもええんでヒント貰えんかな。俺は頭から塩かけられるわ、部下は死ぬわで今回散々なんですわ。クルマもめちゃくちゃ壊れたし。こんな状態で東京に戻ったら、置いてきた身内に叱られる」

「聖一さんは──、です」


 番場恭二が唸った。蛇、と水城が両目を大きく瞬かせる。


「そして瞽女迫家は蛙。この意味分かりますか」

「蛇に睨まれた蛙……?」

「明日香が我々番場家のことをあなた方にどう説明したのかは知りません。もしかしたら『』とでも言ったかもしれない」

「あ、言ってた言ってた、生贄」


 無闇に朗らかに応じる水城と、小首を傾げたままの里中、どちらにも視線を向けず家の前に広がる大きな暗がりをじっと見詰めながら番場恭二は続けた。


「瞽女迫に予知者が不在になった際、我々番場は夢見人ユメミとしての役目を果たします。すなわち予知、未来予知を瞽女迫の代わりに請け負います」

「それはなんか聞いた……」

「では、どういう経緯で瞽女迫から予知者が不在になるのか、はお聞きになりましたか?」


 経緯。そんなものは知らない。番場明日香からも、もちろん瞽女迫家周りを捜査中の秋からも聞いてはいない。

 番場恭二が、くちびるの端を歪めて笑った。


「強い予知能力を持つ者は聖一さんの大好物です。イヲ様は20代で完成された。梅様は80代までじっくりと熟すのを待たれていたのでしょう。イヲ様と香織様──瞽女迫と四宮という異能の間には残念ながらお子様は生まれなかった。また、梅様のお子様であるさや子様と由依様にも大きな力はなかったけれど、代わりに──澪様という、梅様のお力と、それに四宮の女性である香織様のお力を同時に受け入れることができるが誕生した──」


 分かりますか。番場恭二は半纏の肩に粉雪がはらはらと降り積もるのを払いもせずに続けた。


「聖一さんは待っています。体中に能力を蓄えた上質なが生まれてくるのを、常に、目を光らせて。本当の生贄は瞽女迫に生まれた能力者たちです。瞽女迫に能力者が誕生した途端番場の夢見人が殺されるのは、生贄のためでもなんでもない。ただの、

「オッケー把握。里中くん戻ろう東京」


 番場恭二の血を吐くような言葉を耳にしても尚、水城純治は飄然としていた。まあ、一流の殺し屋にこんなことでいちいち動揺してもらっては困る。行きますわ、と声をかけて里中も番場恭二に背を向けて歩き始めた。


 降り止まない雪の中、女の声が「里中さん」と名前を呼んだ。

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