5 - 里中

 呼び鈴を鳴らすより早く玄関の扉が開いた。中から飛び出して来たのは赤と紺の縞模様の半纏を着た50代ぐらいの男性で、手の中には大量の塩が盛られた器を持っていた。


 逃げる間もなく頭から塩をぶっかけられた。


 男性の視界には里中の姿しか入っていなかったのだろう。「塩!」「塩!?」と喚く響野と水城の声に、彼はハッとした様子で辺りを見回した。

 ──ハッとした様子で、ではないのである。


「どいつもこいつも、人のことなめくじかなんかと勘違いしとるんか! おお!?」


 ジャケットを塩まみれにされた里中が男性の胸ぐらを掴む。とはいえだいぶ長らく殴り合いの喧嘩などはしていないので、逆に掴み返されたら終わりだとも思っていた。

 しかし、男性は「ヒッ……」と怯えたような呻き声を上げ、顔を引き攣らせている。


「本当に……ヤクザが……」

「ああ!?」

「ヤクザが、こんな田舎に何しに来たんだ! けえってくれよぉ!」


 その裏返った声音に、里中は1秒で戦意を喪失する。


「水城ぃ」

「はいはーい。交代ね」

「響野」

「秋さんにメッセージ送りました」

「よし。……替えのジャケットとかないんか」


 赤いスポーツカーの後部座席を覗き込むと、足元にグレーのキャリーバッグが転がっている。中を開ければ、サイズはだいぶ大きめだったがQ県の寒さに相応しいダウンジャケットが数着詰め込まれていた。あの木端こばという掃除屋は本当にいい仕事をする。この件が無事に終わったら東京に引き抜こう。

 塩をぶつけられたコートを脱ぎ、ダウンジャケットを引っ掛けて玄関前に戻る。塩ぶつけ男を地面に正座させた水城が、笑顔で尋問を開始しているところだった。


「おじさんは瞽女迫さん? 番場さん?」

「い、言わねえ……」

「どっちでもいいんだけどね俺は。ただ、返答次第では瞽女迫・番場虐殺計画を阻止してあげられるかもしれない」

「虐殺!?」

「そうだよ。おじさんだって知ってるでしょ? 東京の瞽女迫本家の人間が全員死んだの。ご両親はまあそこそこ大人だったから俺感覚では仕方ないとして、澪さんと穣さんについては酷すぎるよね……あんな若い子たちを……」

「お、おまえ、何を知ってるんだ」

「さーあ? なんでしょう? ヒントは俺、澪さんと穣さんどっちもの死に目に居合わせました〜!」

「……殺し屋、か?」

「だったらぁ? だったらどうする? おじさんは何か証言をしてくれるのかな? 俺が殺し屋だったとしたら……」


 秋から電話がかかってきたらしい。響野は水城から少し離れたところで、スマートフォンを耳に当てている。降り始めた雪が、次第に勢いを増している。寒い。寒いのは苦手だ。


「──番場、です」


 地面に正座をしたままで、男が観念した様子で言った。


「番場恭二きょうじ、俺は──」

「明日香くんのお父さんか、オッケー、じゃ、中に入れて!」

「へ?」


 番場恭二の腕を掴んで強引に立ち上がらせつつ、水城は明るく言い放った。


「どうせ中にみんないるんでしょ? 俺らあんまり寒さに強くないからさ、こんなところで立ち話してたら凍えちゃうよ。ほら行こ!」


 男の尻を蹴り飛ばすようにして、水城が2軒の家の右側の方に入っていく。通話を終えた響野と、一部始終を黙って見守っていた里中も後に続いた。


 家の中では無数のストーブや暖房が稼働しており、少し暑いほどだ。番場恭二に先導させて辿り着いた先は、少し広めの客間といった趣の和室だった。中には、中年以上の男女が10人ほど座っていた。


「恭二さん、あんた!」

「言うただろ、ヤクザだ。ヤクザに塩で勝てるはずない」

「そらそやな」


 部屋の隅に積んであった座布団を勝手に取って居場所を作り、里中は鼻で笑う。まあ、嫌な思いをさせるという意味なら、今の里中には塩ほど腹立たしい存在はないのだが。

 水城と響野にも座布団を投げて渡し、ほいで、と里中は言葉を続ける。


「どれが澪と穣の親なんや。挙手せえ」


 誰も手を上げない。沈黙だけがあった。


「瞽女迫由依ゆい、瞽女迫信次のぶじ、おらんのか?」


 ほら、もうバレてる、としわがれた女の声がした。やめてよ、おばさん、という泣き出しそうな女の声も。


「……由依です」


 やがて、集団の中からひとり、痩せた女が立ち上がって言った。彼女を守るように、などという殊勝な動きではなく、かなり渋々といった雰囲気で傍らに男がひとり立ち、


「信次です……」


 どちらも、今にも息絶えそうなほどに真っ白な顔をしていた。澪にも穣にも似ているようで似ていない。番場恭二と番場明日香の方がまだ似ている。

 煙草を取り出し、火を点けた。この部屋の中では誰も煙草を吸っていないようだったが、構うものか。響野がポケットから携帯灰皿を取り出して、里中の手元に置いた。携帯灰皿を取り出すついでに、ポケットの中のICレコーダーのスイッチを入れたのが分かった。


「ヤクザが来るってどうやって知ったんや。聖一が連絡でも寄越したか」

「聖一さんには、そんな能力はありません」


 蚊の鳴くような声で瞽女迫由依が答える。


「そんなら、どうやって?」

「俺が」


 番場恭二が身を乗り出して言った。


「夢に見ました」

夢見人ユメミ


 水城が両目を瞬かせて呟く。


「えっ……あれっ……明日香くんが言ってたこととちょっと違くない?」

「明日香? 明日香が何を?」


 番場恭二は、里中ひとりでも全員殴り殺せそうなほど儚い佇まいのこの集団の中では唯一屈強と称して良いような体躯を持ち、声も大きくて、比較的話が通じそうなタイプの人間に見えた。残りの連中は怯えるばかりで、こちらの質問に答えはするが、能動的に情報を与えてくれそうな者はひとりもいない。

 畳の上に灰を落としながら、


「番場明日香は今俺らんとこに避難しとる」

「避難!? 明日香が!?」

「元気なお父ちゃんやなあ。勘違いせんといてほしいんやけど、別に拉致とか誘拐やないで。番場明日香が自分で選んでそうしとるんや」

「ど──どういうことなのっ! 恭二っ!!」


 甲高い声が響き渡った。思わず指で耳を塞ぐ里中の目の前で番場恭二に詰め寄っているのは、瞽女迫由依だった。


「澪と穣が殺されて……澪と穣が殺されるのが、そもそもおかしいのに! どうして! 明日香がヤクザなんかに保護されてるの!!」

「お嬢様、落ち着いて……」


 ふたりの、というか瞽女迫家と番場家のあいだにある絶対的な上下関係に腹を壊しそうだ。ちらりと水城の方に視線を見遣ると、既に会話に飽きたらしく大あくびをしている。響野憲造は一応真剣な顔で傍らの座布団の上に座っているが、


「死ぬのは明日香のはずだったのに!!」

「お嬢様!!」


 暴れ出した瞽女迫由依を、数名の男女が押さえ付けにかかる。なんとなくだが、席を立って瞽女迫由依を落ち着かせようとしているのは全員番場の人間なのだろうなと思った。他人事のような顔をして木偶のように座り込んでいるのが、瞽女迫の人間たちだ。

 こんな連中に、本当に予知能力なんか備わっているのか?


「疑問すね」

「うお。読心術か」

「顔に書いてありましたよ。つーかこの光景見たら正直瞽女迫に高いカネ払って未来を見てもらおうなんて思わなくなるくないすか?」


 言葉は悪いがその通りだ。携帯用灰皿に吸い殻を捩じ込み、新しい煙草に火を点ける。髪を振り乱して「澪、穣」と絶叫する瞽女迫由依は、結局部屋を連れ出された。


「ほんとうにヤクザなんですか?」


 瞽女迫由依を押さえるのに手を貸していた女性が、唐突に身を乗り出して尋ねた。40代半ばといったところだろうか。化粧っ気のない顔、引っ詰めた黒髪、それに着古した半纏。だが、目だけはキラキラと輝いていた。里中は小さく頷くと、カードケースから名刺を一枚取り出して渡した。関東玄國会の代紋が箔押しで印刷されている、正真正銘の本物だ。


「おっ、俺も、俺も里中さんの名刺持ってないのに……!?」


 響野が涎を垂らしそうな声を上げるのを一瞥して黙らせ、


「里中や。あんたは?」

みつです。番場蜜。明日香の叔母です」

「明日香のおかんは?」

「姉は、明日香を産んですぐ亡くなりました。だから、私が、お母さんみたいなものです」


 ニコッと笑う口の端から八重歯が覗く。話しやすそうなタイプだ。集団はまだ瞽女迫由依のことで揉めているようなので、里中は会話の相手を番場蜜に移すことにした。


「番場、っちゅうのは恭二の苗字? それともあんたの姉さんの?」

「恭二さんが番場家の人間です。私と姉さんは、県外から」

「姉さんが死んだからあんたはここに来たんか?」

「もう、実家もないようなものだったので……ベビーシッター代わりになれたらいいかなって、移住を」

「恭二と昵懇なんか?」

「じっこ……? あ、違いますよ。恭二さん後妻さんいますし」

「おるんけ。そんなら別にあんたが──」


 不意に気付く。その後妻はどこにいる。一応は番場明日香の義理の母親という立場であろうに、この場に気配を感じない。


「冬になると、実家に帰られるんです。11月ぐらいから、2月の終わりぐらいまで」


 里中の疑問を読み取ったような口調で蜜は言う。


「年の3分の1土地から離れとるんか」

「はい。寒すぎるって」

「ふん……」


 そういう夫婦関係も、あるにはあるのだろう。世の中には。里中は所帯を持ったことがないのでどうにも理解できないが。


「あんたも夢見人ユメミなんか?」

「私? 違いますよ。だって、番場の人間じゃないし、血も流れてないし」

「後妻は?」

冬子ふゆこさんは……どうなんだろう。聞いたことないですね」

「やっぱ血ぃか」

「血ぃ、じゃないですかね?」


 話し込んでいるあいだに、ようやく騒ぎがひと段落したらしい。ぞろぞろと和室に人間たちが戻ってくる。「蜜」と恭二が里中と膝を付き合わせて喋る義妹に低く声をかけた。


「何の話を」

「有意義な話や。蜜さん、どうも」

「いえ、こちらこそ」


 ふわふわと笑って、番場蜜は恭二の側へと戻っていった。

 番場明日香にいちばん似ているのは、あの番場蜜なのではなかろうか、と里中は思った。

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