4 - 里中
里中たちが横浜の秋のもとで合流しQ県に向かう直前に、明日香の視界に未来が降ってきた。里中とその他数名の男性が乗ったクルマが、高速道路の上で大きなトラックに跳ね飛ばされる映像だった。その旨傍にいた虹原に伝えたところ、虹原が里中に連絡を取ってくれた。掃除屋の上司と部下がやり取りをしているあいだにも、次から次へと未来は現れた。語り尽くせないほどに。こんな経験は初めてだ。番場明日香は
ともあれ。番場明日香は、嘗てない経験をした。次から次に降ってくる未来。未来の景色。それらは凄まじい勢いで姿を変えた。明日香の視界で里中たち一行は何度も死に、何度も蘇った。どうにか情報を整理して虹原に伝えることができたのは「高速道路に乗ってはいけない」「下道でもトラックが突っ込んでくる可能性がある」、それから、下道で事故が起きる交差点の名、それだけだ。
一旦里中たちとの通話を終えてからも、明日香の目の前には大量の未来が降り続けていた。意味が分からない。いったい、何のために、誰がこんなことを。
誰が?
そう思った瞬間、瞽女迫澪の声が聞こえた気がした。
『危険が迫ったら、明日香の夢に出てきてあげる』
『だから寂しがらないで、生き残ってね』
澪だ。これは生前の澪が見ていた光景だ。
澪はこの土砂降りのような未来の中から、いちばん現実に近いものを掴み出して、予知という形で依頼人に手渡していたのだ。
簡単には真似できない職人技だ。澪が当代一と謳われたのにも納得がいく。
それが分かったら、いつまでもこんなところにはいられない。不安げにしている虹原をせっついて、一先ず斗次のもとに移動することにした。明日香の視界は今も未来で塞がれている。虹原に手を引いてもらわなければ、カフェを出ることもできなかった。
そう。手を。
虹原に手を取られた瞬間、目の前で大きな爆発が起きた。
虹原は死ぬ。
理由は分からないが、そう直感した。伝えようとしたが、その時虹原はタクシーを呼んでいた。普段の彼はおもにバイクで移動しているという話だが、護衛の対象である明日香を後ろに乗せる気にはなれなかったのだろう。ふたりでタクシーに乗り込み、斗次と合流すべく大学から少し離れたショッピングモールまで──。
目的地に辿り着き、斗次の指定するショッピングモール内の映画館まで。そう、そこで虹原は突然死んだ。
明日香の手を強く握り、両目を見開いたまま、心臓が止まった。
ちょっとした騒ぎになった。救急車も警察も来た。斗次は大学教授のふりをしていた。身分証を持っていた。虹原と明日香はその生徒というわけだ。
虹原の遺体は今も病院から戻ってきていない。だが、事件性がある死ではないと警察は判断したらしい。
「心臓発作」
という響きを、明日香はどこか茫然と耳にしていた。未来。虹原の手を掴んだ際に見えた未来。確かに彼は、目の前で死んだ。糸の切れた操り人形のようにその場に倒れて、死んだ。
「番場に未来予知の力が?」
『そのようです』
傍らには明日香がいるのだろう。低い、穏やかな声で斗次は応じた。
『証拠、というわけではありませんが、明日香くんの書いたメモを借りました。読み上げますね──』
番場明日香が初めに告げた「高速道路に乗るな」「下道でもトラックに突っ込まれる」以外のすべての情報が斗次の手元にあるようだった。
『合ってますか?』
「どや、水城」
「合ってる。交差点とか、看板の名前までばっちり」
『そうですか』
斗次曰く、番場明日香のメモには里中たちが事故に遭う場所と時間、それに『死』の文字と、それに上書きされるように『生還』と書き殴られているという。本当に、変動し続ける未来を視界に入れていたというのか。
『──ん? 喋りたい? ……里中さん、明日香くんが』
「おお、代わってくれ」
スピーカーモードにしている響野のスマートフォンからガサガサという音が聞こえ、明日香です、と小さな声が言った。
『大丈夫ですか?』
「クルマは爆発炎上してるけど俺らは無事!」
明るく応じるのは水城だ。そうですか、と応じる明日香の声音は沈んでいる。無理もない。目の前で人間がひとり死んだのだ。
「明日香くんは? 大丈夫?」
『僕は……はい。でも、虹原さん、が』
声が震えている。大丈夫大丈夫、と水城は無神経なほどに大きな声を上げた。
「仇討ちは俺らがやるよ! 誰が虹原を殺したのか、心当たりっていうか……そういう情報は何も見えない?」
殺した、と水城は言う。運転席の響野が息を吐くのが分かった。水城は明日香に責任を感じさせないようにしている。それと同時に、虹原の死が偶然ではないと確信している。
『あの』
明日香が躊躇うように言った。
『たぶんなんですけど、僕に未来を見せてるのは澪ちゃんなんです』
「亡くなった、瞽女迫澪さん?」
『はい。水城さん。水城さん、澪ちゃんと一緒にトランクに詰められましたよね。その時何も見ませんでしたか。何かおかしくなかったですか』
「……トランク……」
寝転がって喋っていた水城が、おもむろに体を起こす。
「ふくらはぎ!」
『ふくら……え?』
「何も履いてなかった。クソ寒いのに裸足だった。なんでだろう?」
『……澪ちゃんは、穣くんみたいに刺されたりして死んだんじゃなくて、虹原さんみたいに死んだんだと思うんです』
響野が運転する真っ赤なスポーツカーは市街地を抜け、どんどん山の方へと入っていく。瞽女迫、番場両家の実家はこんな山奥にあるのか。外に出たらひどく寒そうだ。
里中の太ももの上に置かれている響野のスマホに向かい、
「虹原みたいに? 心臓発作ってこと?」
『虹原さんも、本当は心臓発作じゃないんですけど、そうとしか見えない死に方をしたっていうか』
「分からない。もうちょっとシンプルに」
『命を食べられたんです』
明日香が言い切った瞬間「目的地です、お疲れ様でした」とカーナビが喋った。
沈黙が落ちた。
『着いたんですか? もしかして、』
「せや。番場くんの実家に到着した。今も見えるか? 未来」
尋ねる里中に、番場明日香は即答しない。
やがて。
『何も──でも気を付けてください。僕に皆さんが事故に遭う可能性を伝えたのはきっと澪ちゃん。助けようとしています。でも、虹原さんが死ぬ、回避できない未来を押し付けてきたのは……』
「瞽女迫の人間ってか。望むところや、おい斗次!」
『はい』
名を呼ぶだけですぐに応じる、この男もいつか死ぬのだろうか。自分が死ぬのとどっちが先になるだろう。番場明日香に予知させるか──などと考えつつ、里中は言った。
「しばらく連絡取れんようになる、と思う。おまえも番場も死ぬなや」
『畏まりました』
通話を終え、響野、水城、そして里中の順でクルマを降りた。目の前には立派な門もなければ、長い土壁もない。ただ、家が2軒。ぽつねんと佇んでいる。
雪が降り始めた。
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