6 - 水城

 番場家は瞽女迫家の使用人であり、の一族なのだと明日香は言った。


「生贄」

「はい」

「それはその……山の中に住む大きな蛇に捧げられる的な」

「ずいぶんピンポイントやな斗次とつぎ


 呆れ声の里中が口を挟むと、斗次は困ったように頭を掻いて、


「俺の地元にもそういう伝説? っていうんですかね? そういうのがある池があって──大蛇様大蛇様つって年寄り連中が定期的にお祭りやってたのを思い出したんですよね」

「斗次さんが仰る伝説とは……ちょっと違う形の『』なんですけど」


 半分ほどに減ったコーヒーカップの中身をじっと見詰めながら、明日香は続ける。


「その、殺し屋さん──」

「水城です。水の城で水城。純治くんでもいいよ」

「図々しい。ええ年してくん付けで呼ばれたがるな、気色悪い」


 再び掴み合いになりそうな水城と里中のあいだに、今度は斗次が割って入った。


「明日香さんのお話を聞きましょう、里中さん、水城さんも」


 ほっとした様子で斗次に頭を下げた明日香が、番場家とは──と淡々とした口調で語り始めた。


 ──水城さんがご覧になった瞽女迫家の家系図に、うちの、番場の名前が載っていたんですよね? その、あきさんという方はすごく優秀だと思います。番場の名前が載っている家系図は、文字通りの門外不出の品なんです。よっぽどの事情がなければ、僕たち番場の人間ですら見ることはできません。僕ももちろん見たことないですし、親も──おばあちゃんは見たことがあるって言ってたかな。というのも、おばあちゃんは生贄になったからなんです。

 瞽女迫家のシステムについてはご存じですか? ──そうですか。ゆたかくんが。だとしたら話は早いですね。瞽女迫家には生まれつきの予知能力者はいません。ある時突然、まるで雷にでも打たれたかのようにその体に宿ります。みおちゃんのおばあちゃんが亡くなる際に最後の予知をしたように、今際の際に指名されるケースも少なくはありません。

 ただ、過去。瞽女迫家から完全に予知能力者が途絶えたことがありました。おそらく秋さんという方がお持ちの家系図にも、朱色の隅でばつ印が付いている箇所があったかと思います。そこが、能力者がいない時代です。穣くんが証言した通り、瞽女迫家はお金でしか動きません。だから、能力者を途絶えさせるわけにはいかなかった。予知できない瞽女迫家に大金を払う人なんていませんからね……そんな時……。


 はい、そうです、その通りです。使用人であった番場家の、うちのご先祖のひとりが、予知夢を見るようになったんです。


 当代の瞽女迫家は、聖一さんに能力が宿らなかったことと、亡くなられたおばあちゃんの遺言を頼りに澪ちゃんと穣くんを養子に取りました。こういう養子縁組は、瞽女迫家の歴史上珍しくないです。ただ、表に出てない歴史として──瞽女迫の中にひとりも能力者が現れなかった時、うちに、番場家に、夢見人ユメミが現れるようになったんです。

 あ、夢見人ユメミっていうのは通称です。番場と瞽女迫の人間だけが知る響きというか。瞽女迫家の能力者が起きていても寝ていても予知できるのに較べて、番場の予知は圧倒的に劣ります。使い難い。きちんと夜眠って、夢でしか未来を受信できないので。それでも、いないよりはマシだったんだと思います。次の能力者が現れるまでのツナギとして、僕たち番場は重用されました。


 ──はい。もう、バレてますよね。穣くんが亡くなった日から、僕は予知夢を見ています。誰にも言ってません。でも、怖い夢ばっかり。聖一さんが僕を殺そうとしているってことも夢で見ました。それに、さっきの……僕はお店を出て、それでナイフでお腹を刺されて死ぬはずだったんです。でも、そうならなかった。驚きました。瞽女迫家の予知は精度が高いって、そういうのを頼る人たちのあいだでは評判なんですよ。なのに、僕は今ここで生きて喋ってて──どうしてだろう。番場だからかな。番場だから、澪ちゃんみたいにきちんと自分の死に様を予知できなかったのかな。分からないけど、もうどう考えればいいのか……。


「仮にですが」


 テーブル席の斗次が声を上げた。涙目の明日香が振り返る。


「Q県に残っている瞽女迫家に新しい能力者が顕現した場合、あなたはどうなるんです?」

「殺されます」


 即答だった。眉を下げ、弱々しい笑みを浮かべて明日香は続けた。


「番場はあくまでツナギでしかありません。瞽女迫家に正当な後継──能力者が現れた場合、夢見人ユメミの存在はノイズにしかなりません。だから」

「だから生贄か」


 合点がいった様子で里中が呟いた。


「けたくそ悪い」

「ちなみにですが、明日香さん。あなたが見た予知夢というのは、あなたが殺されるところで終わりだったんですか?」


 質問を重ねる斗次に、明日香は「はい」と短く答えた。


「あの、ナイフの人たちはみんな聖一さんが雇ったんですよね。それで僕は、あの人たちに腹を刺されて……でもそうならなかった」

「それってつまりさ」


 明るい声を上げたのは、傍らに座る水城純治だ。


「予知した未来を変えられるってことじゃない?」

「え?」


 ぎょっとした様子の明日香の顔を覗き込み、水城はへにゃっと笑顔を浮かべる。


「山田くんから、穣くんの予知の話を聞いた時から思ってたんだよね。数十秒から数分先の未来しか見えないって穣くんは言ってたみたいだけど、結局その数十秒から数分のお陰で山田くんは首都高で事故らなかったわけじゃない」

「そ……れは……」


 戸惑いの表情を浮かべる明日香に、一理ありますね、と斗次が言った。


「番場明日香さん、あなたはどうやら呪いにかかっているようだ」

「の、呪い?」

「番場家は瞽女迫家の人間に従うしかない、という呪いにね。そうでしょうマスター?」

「俺に話を振るなよ」


 くわえ煙草の逢坂一威は鼻の上に皺を寄せ、


「しかし、そうさな。嬢ちゃん、あんたの言い方だと、あんたが瞽女迫聖一に殺されるのは仕方がないこと──てな感じに聞こえてくる。そこにいるポンコツ殺し屋がわざわざその流れを変えてみたっていうのに」

「ポンコツも発言していいっすか! いいよね! ねえ明日香さん、せっかくだしさ、ここは一旦俺が変えたこの流れに乗ってみない?」

「な、流れに?」


 瞳を見開く明日香の肩をぐっと掴み、水城は元気良く続ける。


「俺いま俺と同じぐらい強い人殺しと同居してるんだけど、一旦そこに避難するとか!」

「却下や」


 唸るように口を挟むのは里中だ。紫煙を吐きながら、呆れたように水城をめ付けている。


「山田んとこにその嬢ちゃん連れてく気ぃか、1日で食われるど」

「えっそんな……そうなの?」

「アレは来る者拒まず去る者追わず、おまえがおもてる以上にどんな相手でも平気で食う」

「お、俺は食われてないよ!?」

「そこまで悪食になったら俺がアレをぶち殺すがな。それはええとして──おい斗次」

「はい、虹原にじはらが今こちらに向かっています」


 スマホを片手に応じる斗次のハキハキとした応えに、話の中心人物であるはずの明日香が困り果てた顔をしている。


「どう、いう……?」

「つまりね明日香さん、明日香さんは死ななくていいってこと! 瞽女迫聖一が何をどうしたいのかは分からないし、もしかしたら明日香さんが言う通り瞽女迫家の関係者に新しい予知能力者が生まれたから『生贄』を片付けようとしているのかもしれないけど、正直俺らには全然関係ないっていうか、そのルール」

「番場明日香さん。せっかくなのでご紹介しますね。そこにいる水城さんは殺し屋、隣の里中さんはヤクザ、わたくし斗次は里中さんの部下という立ち位置です。これからここにやって来る虹原という男も同じく里中さんの部下なのですが、私よりもだいぶ年若い。でも腕は確かなので、傍から見てあまり違和感なくあなたをお守りできると思います」


 ぽかんと口を開く明日香に、まあ、と里中が重ねて言った。


「身内に殺されんのと、ヤクザに守られんのと、どっちがええか、ゆうたらどっちでも微妙なとこやと思うけどな。どないや、番場明日香。どっちでもええねんで、俺らとしては」

「……僕、は」


 明日香が自身の意思を口にするより早く、防弾ガラスの扉が音もなく開いた。反射的にふところから拳銃を抜く水城の目の前には、見も知らぬ長髪の若者が立っていた。


虹原にじはらと申します、斗次さん──」

「来たか、こっちだ」

「斗次さん、あ、里中さんも。外ヤバいです、囲まれてます」

「は?」


 新しい煙草に火を点ける里中が、いかにも嫌そうな声を上げる。


「よう入って来れたな」

「人数はそこそこいるんですけど、腕っ節はまあ……それよりどうします、どうやって出ます」


 水城はまず番場明日香と視線を交わし、それから逢坂一威に顔を向けた。

 逢坂は歯を剥いて笑うと、


「軽くな、軽く」


 といかにも楽しそうに命じた。

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