5 - 水城

 純喫茶カズイは今夜も営業していた。


「いつ休んでるんすか?」

「他に言うことないのか?」


 5年ぶりに顔を合わせた純喫茶カズイの店主・逢坂一威は水城を見るなりそう呆れ声を上げた。


「なんか老けましたね!」

「おまえもな」

「5年ぶりですね」

「ああ、5年ぶりだ」

「……」

「……他に言うことは、本当にないのか?」

「あの、すみません。戻りました」


 防弾ガラスでできた扉の前でぺこりを頭を下げると、カウンターの中から逢坂が大股で歩み寄ってきて、


「おかえり、良く生きて戻った! 水城!」


 と、大きな手でガシガシと髪をかき回した。祖父と孫に近いほどの年齢差があるというのに、長身でしなやかな鞭のような体付きをした逢坂からは「いつでもおまえを殺せるぞ」という物騒なオーラが5年前とまるで変わらず出ていて、頭を撫でられながら水城は小さく笑った。


「逢坂さんこそ。無事で良かったです」

「俺は基本的にこの店から出ないからな。ここで俺が殺されるってことはまあ、有り得ない」

「そうだったですね」


 座れ座れと促され、未だ少しばかり青褪めた顔をしている飛鳥──番場ばんば明日香あすかとともにカウンター席に腰を下ろした。


「里中、おまえもだ」

「……っす」


 チェスターコートを脱いだ里中銀次は、やはりというかなんというか、痩せていた。以前よりそれほど肉付きの良いタイプではなかったが、5年前と較べると明らかに、どこか病的なほどに窶れている。

 明日香はカウンターの最奥、真ん中に水城、いちばん入り口に近い席に里中が腰を下ろす。3人の前にお手拭きと水を並べながら、


「あんたは2回目だな」


 と逢坂は、明日香の顔を覗き込んで言った。


「あ……はい。すみません、なんか」

「客が繰り返し来てくれるってのは嬉しいことだ。謝らなくていい。それより俺が知りたいのは、──なんでこいつらと一緒にいる?」

「それは、」


 明日香の目が惑うように揺れる。その視線を一瞬真っ直ぐに向けられた水城は「正直に言っていいんじゃない」と呟いた。

 まだ少し迷いが残る表情で、それでも明日香は大きく首を縦に振った。


 先日の聖一の証言には嘘があると明日香は言った。『先日の聖一の証言』を知らない水城と里中に、逢坂がその日交わされた会話を手短に纏めて伝える。


「澪ちゃんは、別に心を病んでなんかいなかった。あれは聖一くんが勝手に作った設定です」

「その割には嬢ちゃんも同意していたように見えたが」

「それは──僕は、番場家の人間だから」


 『番場家』を知らない里中が首を傾げるのに、今度は水城が瞽女迫家と番場家の関係を記憶の通りに述べる。そういえば逢坂は明日香の発言に特に驚いたり、疑問を抱く様子もないが、


から連絡があった」

「えっそうなんですか」

「リコリス・ラジアータの手伝いをしてやってくれってよ。まったく、何様なんだ? あいつは」


 秋と逢坂一威の付き合いは長い。いや、逢坂だけでなく、関東圏に拠点がある殺し屋、ヤクザ、売人、その他大抵の裏社会の人間は、『秋』という集団と関わりを持っていた。、という個人の名を名乗るのは水城が面会したあの秋だけだが、集団としての『秋』も同時に存在している。彼らは情報を集め、情報を売り、人間を動かし、人殺しに手を貸し、死体を魔法のように消してしまう。『秋』にできないのは人助けだけ、という皮肉を飛ばす者もいるほどだ。

 逢坂はとも付き合いがあったという。先代の秋は当代の秋のように性別も年齢も不詳、ギリギリ人間であるということが分かるという佇まいとは遠く離れた、快活で良く笑う、歌舞伎役者のような華のある男性だった、と噂を聞いたことがあった。

 それはそれとして、当代の秋の情報伝達の速さときたら。


「番場家ってぇのは、そこまでして瞽女迫に尽くさなきゃいけないのか」

「はい……」


 逢坂の質問に、明日香は少し俯いたままで答えた。


「本当は、ご主人様と使用人っていう関係を21世紀まで引きずってるなんておかしいって、みんな分かってるんです。でも僕の父も母も、それに兄や姉……みんなやっぱり瞽女迫家の人たちには頭が上がりません。というのも、その、Q県って皆さん行ったことありますか?」


 問いに、


「ない」


 ──水城。


「ないなぁ。そっちの方とは取引もないしなぁ」


 ──里中。


「若い頃にはあったかもしれんが……悪い、どうにも記憶が曖昧だ」


 ──逢坂。


 それぞれの応えに、明日香は初めて気が抜けたように笑った。


「です、よね。そうなんです。Q県って広くて、広いけど海はないし山ばっかりで、あと広いから……いわゆる観光地みたいな場所があるにはあるけど、本当に点々と……『Q県に行ったことありますか?』って訊くと大抵の人はないっていうんです。でも、『X市って知ってますか?』って尋ねると『ある!』とか『毎年スキーで行くよ!』とか……そういう場所で」

「……X市のスキー場、岩角がたまに顔見せとるな」


 煙草を片手に里中が呟いた。


「え、遼が? スキーを?」

「阿呆。スキーなんかするかいあいつが。Q県周りを仕切っとる組のトップの趣味がスキーで、X市のあたりに別荘持っとるんや」

「それでなぜ……遼がスキーを……」

「だから岩角アレはスキーなんかせんて言うとるやろ! 阿呆のトップが若いやつはスキーとかスノボとかやるやろってしょっちゅう誘いよるんや」

「ふわ……」

「若頭も大変やで」


 水城純治は、岩角遼のことをすべて知っているつもりでいた。だがやはり、知らないことばかりだ。特に岩角が若頭になってからは物理的にも距離ができ、彼が何を考え、どのように動いているのかなんてまるで理解できなかった。理解できないまま、殺し合いに突入してしまったのだ。


「岩角のことはどうでもいいんだよ。それで、嬢ちゃん──番場さんとかいったか。あんたは瞽女迫家に逆らうことができない使用人の身だから、こないだやって来た聖一とかいう野郎の嘘に同調した」


 逢坂に話を軌道修正され、明日香は今度こそしっかりと首肯した。


「そうです。あの時、聖一さんから連絡があって……この喫茶店で澪ちゃんが死んだことを知っている人たちと話をするから、合流しろって。それで合流したら、聖一さんの発言全部に同意しろって、指示があって」

「そいつは……」


 眉を寄せる逢坂の目をまっすぐに見詰め、明日香は続けた。


「でも聖一さんは嘘ばかり、それに、瞽女迫のお父さんとお母さんも亡くなって、……しかも穣くんまで殺されて」


 一瞬言葉を切った明日香は、まるで景気付けのように手元の水をひと息に飲み干した。


「こんな話、信じてもらえないかもしれないんですけど。瞽女迫家っていうのは、予知能力の一族なんです」

「──知ってるよ」


 そこでようやく、水城は言葉を挟んだ。吸い殻を灰皿に放り込む里中が、へえ、と口の端を歪めて見せる。


「そらおもろい」

「面白くないんだよ里中くん」

「なんでや。おもろいやろ。予知能力──未来を予知できる能力があるんやったら、なんかも見えるんとゃうんか」


 なんてデリカシーのないことを言うのか。予知能力の一族・瞽女迫の人間が少なくとも4人は死んでいる。そのうちのひとり、澪は明確に能力を持っていた、という証言もあるというのに。


「里中くんはっ、なんでそういうこと言っちゃうのっ!!」

「うるさっ、でかい声出さんといてくれる? なんやねんもう子どもやないねんから、ていうか子どもはカウンター席に座るな! あっち行け阿呆が!!」


 狭いカウンターで水城と里中が掴み合いになっているところで、防弾ガラスの扉が開いた。斗次とつぎが立っていた。


「失礼します……って里中さん? 水城さんも! 何してるんですか!?」

「あー斗次! このボケもどっか遠くに片付けてくれや、いちいちやかましい!!」

「斗次くん!? 里中くんのこと好きなのは知ってるけど今回ばかりは俺の方が正しいからね! 沈めるなら里中くんを温泉かどっかに沈めてきて!!」


 呆気に取られた様子の斗次に、カウンター内の逢坂がテーブル席を指し示す。座れ、という意味だ。斗次は結局、純喫茶カズイのあるじである逢坂の命令に従った。


「あ、あの、ふたりとも揉めないでください! ほんとに、あの、揉めてくれてありがとうございますって……きっと澪ちゃんも、穣くんも思ってるから……」


 逢坂が斗次に水とお手拭きとコーヒーを出している間に、明日香が慌てた様子で揉み合う殺し屋とヤクザのあいだに割って入った。


「明日香くんは引っ込んでて!」

「そもそもこいつは気に食わん、あっちこっち引っ掻き回すわ口開けば要らんことしか言わんわ、何しに帰って来たんじゃクソボケがぁ!!」

「あの──あのっ!! 聞いてください、当事者の話を!!」


 明日香の大声に一瞬店内が静まり返り、


「そんな声出せるんですね」


 と、斗次が微笑んだ。

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