4 - 水城

 このバーにはホストクラブなどで良く耳にするアフターなるものは存在しないらしい。


「早上がりしますから、待っててください」


 と飛鳥に囁かれ、水城は金を多めに払ってバーを出た。時間潰しのため近くにあるゲームセンターを転々として、目に付いたクレーンゲームに片っ端から小銭を投入した。

 ゲームセンターの店名がでかでかと書かれたビニール袋を持って店の側に戻ると、ちょうど飛鳥が階段を上がってきたところだった。


「すみません、お待たせして」

「いえ。……こういうの好きです?」

「あっ……」


 ビニール袋の中を覗き込んだ飛鳥の顔が、ふっと青褪めるのが分かった。それほどまでにこういうものが嫌いなのか、それとも己の言動に何か問題があったのか。顔には出さずに少し焦る水城に飛鳥は青褪めた顔のままで笑って、


……しちゃった」

「え?」

「お店に、僕を訪ねて来る人がいて、っていう夢を見て」

「夢?」


 両目を瞬かせる水城の手首を、飛鳥の細い指が強く掴んだ。


「そういう夢は別に珍しくないっていうか、接客業だし、こういう……バーだから。僕のこと推してくれるお客さんもいるし、あの人最近見てないなって思うと夢に出たりして、深層心理っていうのかな、良く分からないけど……」

「あの、飛鳥くん? 大丈夫?」

「でも、おかしいじゃん、今日初めて会ったお客さんが今日投入されたフィギュア持って待っててくれる夢とか! 具体的すぎるもん!」


 肩で息をしながら喚く飛鳥の目に、涙が浮かんでいた。今の飛鳥は店内でのスーツ姿でこそないが、ぱっと見性別不詳の服装をしている。黒いレザーパンツにファー付きのモッズコート。白い頬の周りでくるくると踊る黒い髪は、癖毛のように見えた。


「あ、飛鳥くん、落ち着いて……夢を見たの? 俺の夢を?」

「見た……それで、僕は、このあと……」


 大勢の人間が行き交う夜の繁華街で、泣きじゃくる飛鳥とそれを宥める水城の姿は然程ひと目を惹くようなものではなかった。別段珍しい光景でもない。こんな風に揉めたり、別れたくないと駄々をこねたり、一緒に来てくれないと死ぬなんて口走って涙を流すような人間は大勢いる。けれど。


 ヒュ、と息を呑む。嫌な気配を感じた。


「飛鳥くん、これ!」


 耳元で喚き、飛鳥の手の中にビニール袋を押し付けた。中にはフィギュアではなく、大量のぬいぐるみが入っている。涙目を見開いて袋を受け取った飛鳥の肩を、軽く突き飛ばす。足が縺れてよろめいた華奢な体目がけて、人影が突っ込んできた。

 大ぶりのナイフを手にしている。その先端は飛鳥の腹の辺りを狙っていたが──


「わあっ!!」


 悲鳴を上げる飛鳥の手の中で巨大なぬいぐるみが真っ二つに裂ける。それ以外にも小さなぬいぐるみをこれでもかというほど押し込んでおいて正解だった。日本刀ほどの長さがなければ、飛鳥の腹を貫くことはできない。

 だが、勢いを付けて押されたことによって飛鳥はその場に倒れ込んでしまった。ぬいぐるみが入った袋もアスファルトの路上に落下している。一撃必殺のつもりだったのだろうか。ネックウォーマーのようなもので顔半分を覆った長身の男が、血走った目で飛鳥を見下ろしている。


「お、そ、いっ!」


 一撃必殺のつもりでいたなら、ぬいぐるみに妨害された時点で身を引くべきだったのだ。勢いを付けて飛び上がった水城のつま先が、男の鼻面を蹴り上げた。軟骨の折れる音が聞こえた気がした。

 ぐわっとかぐぎゃっとか叫んで仰け反った男の鼻から、大量の血が吹き出している。立ち上がれない飛鳥を背に庇った水城は、


「残念でした、俺は強い!」


 鼻血でネックウォーマーを汚す男の顔に、見覚えはなかった。フリーの殺し屋同業者──とも思えないお粗末な手口だ。大方、どこかにいる黒幕に金を握らされたチンピラだろう。クソッ、と吐き捨てた男が、何か、誰かを探すように辺りを見回した。水城はとうに気付いていた。飛鳥を狙っているのは、この男だけではない。


「お友達にさー、もう下がりなって言いなよ。俺もこんな防犯カメラだらけの場所でお仕事したくないからさぁ」

「テメッ、舐めやがって……!」


 男の殺意か完全に水城に向いた。ナイフを握り直してこちらに向かってくる男を、水城は再度右足一本で追い払う。


「舐めてるわけじゃなくて、基礎体力? なに? とにかく才能の差が大きすぎるって話をしてるんだよねっ!」


 鼻血男の両脇から、ナイフ、ナイフ、ナイフ。拳銃を使わせないのはなぜだろう。飛鳥ひとりを片付ける程度ならナイフと拳で構わないという考えでいるのだろうか。甘く見過ぎだ。瞽女迫澪を片付けた時のように、番場明日香の命も簡単に奪ってしまおうだなんて。

 あまり長引かせたくなかったので、男たちを殴り蹴りするついでに凶器をすべて回収した。見たところ何の変哲もない普通のナイフだ。誰でも買えるし、どこでも売ってる。だが、このナイフでは水城純治を殺せない。


「もうやめなって!」

「──せや、もう引け。あんたらみたいな素人の手に負える相手とゃうで、この化け物バケモンは」


 回収したナイフを飛鳥に預ける水城の頭越しに、しゃがれ声が飛んだ。聞き覚えのある声だった。


化け物バケモンだなんてご挨拶! ひどいよ、久しぶりに会えたと思ったのに!」

「ほんまのこと言うとるだけや。なあ斗次とつぎ──生きて動いて喋る水城純治なんて、今どき動物園でも見られへん珍獣やで」

「ごもっとも」


 長身に黒髪をお団子に纏めた全身黒尽くめの掃除屋・斗次を背後に従えて、その男は立っていた。

 骨と皮だけのような痩せた肉体、こけた頬、光のない瞳、それらすべては水城の知っている彼とは違ったけれど、低く吐き出される皮肉っぽい物言いだけは変わっていなかった。


里中さとなかくん!」

「斗次。そこらに転がっとるアホ全部片付けとけ」

「かしこまりました」


 優雅に一礼した斗次が、喧嘩見物に集まった人々の方向に大きく手を振る。と、斗次同様に黒尽くめの男女が数名足音もなく進み出て、水城に張り倒された男たちを連れて再び人混みの中に去って行った。

 ダークグレーのチェスターコートに水色のマフラーを巻いた痩せぎすの男──里中が、革靴の踵を鳴らしてゆっくりと水城に近付いた。


「おかえり、水城純治」

「ただいま、里中くん!」


 水城よりも少しだけ背の高い里中さとなか銀次ぎんじは、そこでようやく薄っすらと笑った。以前はもっと鮮やかだった赤茶色の髪が、頭から灰でもぶっかけられたかのように燻んで見えた。

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