6 - 山田
目が覚めたら寝室にいた。時計を見たら昼だった。服装は昨日のままだったので、食卓であのまま眠ってしまったのだろう。寝室に運び込んでくれたのはおそらく水城だ。石油ストーブのスイッチは切れていて、代わりに電気毛布が体を温めていた。
山田には、ヤクザとしての仕事はほとんどない。一般的な勤め人ではないので、それは別に構わない。必要に駆られた時だけ『関東玄國会』の山田徹として腰を上げる。簡単な話だ。若い頃盛大に手を汚した甲斐あって、働かなくても死ぬまで生きていける程度のカネは常に手元にあった。明日死んでもいい。100まで生きてもいい。
シャワーを浴びて、歯を磨き、裸のままでリビングに顔を出す。ソファに寝転がったままテレビを見ていた水城純治がこちらを見上げ、「うお〜眼福〜」と言った。何を言っているのだろうか。
「山田くんさあ、服着た方がいいよ、今日寒いよ」
「ベランダに洗濯物が……」
「その格好で取りに行くの!? 通報されるよ!!」
声を張り上げた水城が、んもー、仕方ないなー、と言いながら裸足でベランダに出て行った。このまま鍵をかけてやろうかと思った。
寒風に晒されて氷のようになった下着に襟付きのシャツ、更にデニムに靴下を履き、ようやく人間に戻ることができた。水城が滞在しているお陰でリビングは暖かかった。
「テレビ?」
「あーそうそうワイドショー。なんかね、ここんとこ火事が多いらしくて」
「火事?」
水城はのんびりと応じ、顎でテレビを示す。ソファに腰を下ろすと、冷蔵庫から500mlの水のペットボトルを出した水城が隣に座ってきた。
もちろん山田が買い置きしておいたものだが、水城はまるで自宅にいるかのように振る舞っている。咎める気にはならないが、どれほど年月が経っても変わらない彼らしさになんとなくため息が出た。
「お昼食べる? 出前取っちゃった」
「は? おまえ、どうやって……スマホ?」
「ないない。山田くんので勝手に」
「勝手に出前を取るな。ていうかパスワード」
「山田くんは好きな子の誕生日をパスワードにする派! 20年ずっと!」
ぴかぴかの笑顔で言い放たれて、文句を言う気が霧散した。もうどうでもいい。
「何頼んだんだ」
「バーガー! なんかさ、すっげ高いの……セットで3000円とかするやつ……」
「おまえは食ったのか?」
「うん。山田くんの分あっためる? 電子レンジある?」
「ある。あっためる。飲み物は」
「ジンジャーエール!」
「くれ」
楽しげに立ち上がった水城がまず冷蔵庫の中のジンジャーエールを、次に電子レンジで温めたバーガーとポテトをローテーブルの上に運んでくる。水城がいじり回していたスマホを確認すると、着信履歴が何件か残っていることに気付く。
「水城」
「はーい。あっ電話?」
「出たか?」
「出ない。さすがにそれは出ない」
「出ろよ」
「だって出て相手が
「……
うんざりしながら画面をスライドしていると、また同じ番号から着信があった。応答してやる義理はない。振動するスマホを水城に投げ渡し、テーブルの上のバーガーに手を伸ばした。3000円のハンバーガーとジンジャーエールとフライドポテト。美味いのか不味いのか良く分からなかった。味の濃いものしか好んで食べないのは、この馬鹿舌のせいでもある。山田徹の体からは、痛覚以外にも様々な感覚が抜け落ちている。
「もしもーし? どちら様? めっちゃ鬼電ですね?」
「……」
水城が通話ボタンを押した。山田は黙ってテレビの音量を下げ、眉根を寄せて深刻な表情を作り、他人の不幸で小遣い稼ぎをするワイドショーのコメンテーターたちの顔を眺める。
火事。火事が多いと水城は言った。
昨日──というか今日未明にも二件燃えたらしい。一軒家が全焼し、アパートの一室から火が出て住人が怪我をした、とかなんとか。
全焼した方の家では死人が出ている。成人男女の遺体が発見され──連絡が取れない住人の
──瞽女迫?
『瞽女迫です』
「ごぜさこさん? 誰?」
思わず咳き込みそうになるのをどうにか堪え、手元の水で口の中のものをすべて喉奥に流し込んだ。訝しげな声を上げる水城が、こちらを伺いながらスピーカーボタンをタップする。いいぞ。世捨て人の殺し屋にしては完璧な動きだ。
『あなたは、山田徹さんの友人ですよね? なるほど、完璧に予知できてる』
「いやだから誰? 予知ってなんですか? 俺は別に山田くんの友だちっていうか、元友だちっていうか……えっ、どっちなんだろう? どっち?」
賞賛を撤回することとする。そんな質問をしたらこの場に山田徹がいるということが先方に知られてしまうではないか。やはりこいつは人を殺すことだけに特化した男、水城純治だ。アドリブを期待したこちらが愚かであった。
『瞽女迫聖一です。山田さん、いるんでしょう?』
全焼した家に住んでいたのは瞽女迫
バーガーを食い終えた山田は、水城に向かって首を横に振る。俺はいない。いないってことにしとけ。今更無理かもしれないが。
「山田くんはいません」
ものすごい棒読みだった。だが何も言わないよりはましだ。
電波の向こう側で、聖一が笑った。
『随分大きなバーガーを食べていたんじゃないですか? 今テレビを見てますよね?』
ここでようやく水城は眉を寄せた。おかしい。今会話をしている相手は、何かがおかしい。
「誰?」
『だから、瞽女迫聖一ですってば。山田さんに代わってもらえないんですか?』
「いない人には代われないよ。伝言するから用件言って」
『地図を送りますね』
唐突に、通話が終了した。
両目を大きく瞬いた水城が、
「なんなの?」
と小首を傾げる。そういえば彼には何も伝えていなかったか。
「あ、地図」
「おい」
「何これ、どこ? 山?」
地図アプリに示されている場所は、確かに山の中だった。
「え、何これ。山田くんに山に来いってこと? ……駄洒落?」
「見せろ。どこだよ。……山じゃねえか」
「だから山だっつってんじゃん、もー」
軽い言い争いを強引に終わらせるタイミングで、別の番号からショートメールが送られてきた。こちらは登録してある番号だ。
「これ……なんて読むの……」
「ごぜさこだ、覚えろ、瞽女迫。で、こっちは──
画数の多い漢字に困惑する水城からスマートフォンを取り上げ、ショートメールの内容を確認する。瞽女迫穣。昨日、打ち明け話を聞かされた相手。
『助けて』
穏やかではない文字の羅列に、山田と水城は思わず顔を見合わせた。
「誘拐……かな……?」
「さっきおまえが喋ってた聖一ってのはこの、助けての兄貴だ。兄弟だ」
「兄が弟を誘拐……?」
「一旦誘拐から離れろ。クソ、面倒なことになってきた」
ハンガーにかけてあるジャケットを手に取り羽織る山田の後を、水城が慌てた様子で追ってくる。
「俺も行く! 山ん中でしょ?」
「俺とおまえが同時にこの部屋を出たら、それはそれで厄介ごとが増える」
「でも」
「でもなんだ」
「分かんないけど、俺も関わってるんじゃないの? この件」
殺し屋の第六感とでも呼べば良いのか。水城は時折鋭くなる。決して普段が愚鈍なわけではないが、殺しのみに特化した男にそれ以外の細やかな事柄を要求するのを山田はとうに諦めていた。それが。
「おまえも予知か?」
「え?」
「……ちょっと待ってろ、服があったはずだ」
「は?」
数分後、山田と水城は連れ立って部屋を出た。
目的地は、瞽女迫聖一が地図アプリで指定した──山だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます