7 - 山田

 人殺しにはちょうど良い暗がりがたくさんある山だった。


 ふもとにクルマを停めて、聖一が指定するちょっとした広場がある場所まで歩いて行った。山というよりはこれは丘なのでは、と山田は思った。

 ちょっとした広場の、小さなベンチに瞽女迫聖一せいいちは座っていた。傍らにはゆたかの姿もあった。ひらひらと右手を振って見せると、山田さん、と縋るように名を呼ばれた。


「殺し屋の方も一緒なんでしょ?」

「あー」


 どういうわけだかこちらの動きがすべて見抜かれている。奇妙な話だ。あの日、穣は数十秒から数分先の未来しか見えないと言っていたのに。


「バレてる」

「だと思った! 雑だもん!」


 後ろを振り向いて言えば、黒いワンピースの上にマスタードイエローのダッフルコートを着込み、可愛らしいポンポンが付いたニットキャップを深々と被った水城がいかにも憤慨した様子で応じた。水城がどうしても着いてくると言い張るので、咄嗟に以前の妻が置いて行った服を着せてみたのだが、大して効果はなかったらしい。せめて自宅周りの監視カメラだけでも誤魔化すことができていれば良いのだが、と内心思う。どちらかというとそちらが本命なのだから。


「殺し屋さん? みおと一緒に港に運ばれた?」

「ごぜさこさん? なんか気持ち悪いんだけどなんなの、電話の時から、その『なんでも知ってますぜ』感……」


 くちびるを尖らせて水城が言う。山田もそれについては気にかかっていた。

 脚を組んでベンチに座る聖一は、妹の葬儀の席や、それに歌舞伎町の純喫茶で顔を合わせた時とはまるで違う厭な空気を纏っていた。不穏で、不快な。そのすぐ隣に背中を丸めて座る穣は、──既に絶望しているように見えた。まるでこの先、何が起きるのかを既に知っているかのような表情で。


「ごぜさこ……あれ? ちょっと待てよ」


 ニットキャップを少しずらして目を凝らした水城が、不意に低く呟いた。


「俺、あんたの顔、見たこと……」

「やめて」


 声が響いた。穣だ。

 震えている。寒さのせいではない、手のつけようのない恐怖に襲われて、まるで痙攣するように全身を震わせている。


「見た。港で、おまえか、瞽女迫聖一!」

「やめて!!」

「……あーあ。本物だ」


 怯える弟の肩に腕を回し、抱き寄せて、瞽女迫聖一は両目をゆっくりと細める。


「気付かなかったふりしてりゃあ、良かったのにね」


 くちびるが薄く開き、夜目にも鮮やかな赤く濡れた舌が蠢いた。

 止める暇もなかった。水城は地面を蹴り、瞽女迫聖一に拳銃を向けた。

 聖一は──一瞬の躊躇もなく、弟を盾にした。

 撃鉄を起こした瞬間、銃口を明後日の方向に向けた水城は正しい。山田は舌打ちをひとつして、兄に突き飛ばされた弟の体を受け止めに走った。


「ヤクザのくせに!」


 瞽女迫聖一は笑っていた。


「正義の味方みたいな顔しやがって! 胸糞悪い!」

「おい──」


 言い捨てて、聖一は真っ暗な闇に覆われた山の中へと消えて行った。水城は2発鉛玉を吐いたが、どちらも地面に叩き付けられて終わった。


「なんだあいつ!」


 憤慨したように喚く水城に、


「どうでもいい! それよりこっちだ!」

「弟さん、大丈夫なの」


 痙攣するような「やめて」が瞽女迫穣の最期の言葉になった。彼の背中には深々とナイフが突き刺さっていた。

 拳銃を引っ提げたままで駆け寄ってきた水城が、山田の腕の中で息絶えている少年の姿に双眸を大きく見開いた。


「なにこれ、どういう」

「俺たちがここに来た時には、もう刺されてた、と考えるべきだと思う」


 生き物を殺すことに慣れた人間のやり口だと、ひと目で分かった。できるだけ血が流れないように、それでいてじわじわと生命を削り取る角度で弟の背中に刃物を捩じ込みながら、聖一はいったい何を考えていたのだろう。


「刺されながら喋らされてたの?」

「おそらく」

「……電話の時点で、俺と山田くんの色んなこと言い当ててたよね。それと、この子と、何か関係あるのかな」


 水城の問いに山田は僅かに眉を寄せ、それから先日穣と交わした会話の内容を手短に告げた。曰く、水城と一緒にトランクに詰められていた女こと瞽女迫みおには予知能力があったということ。予知能力自体は生まれ持ったものではなく、ある時突然澪に宿ったということ。穣も数十秒から数分先の予知をすることはできたが、澪には到底及ばなかったということ──。


「それ、お姉さんが死んで、代わりにこの子に能力が移動したって考えるのが普通じゃないの」

「おまえの言うが俺には分からんが。だが、そう……想像することはできるか」

「ワイドショーでやってた、全焼した一軒家で死んだ人の名前も瞽女迫だったよね」

「聖一、さっきの男の名前だが、亡くなったのは聖一と澪、それに穣の両親だろう」


 鋭く舌打ちをした水城が、おもむろに両手で拳銃を構えた。


「置いて」

「ああ?」

「その子を、地面に置いて」


 いつになく鬼気迫る物言いに素直に従った山田の目の前で、水城は3発の銃弾を物言わぬ瞽女迫穣の体に叩き込んだ。


「拳銃はここに置いてく」

「何考えてる」

「事件にする。この物語には水城純治という殺し屋が関わっている。そういうことにする」


 拳銃を投げ捨て、ダッフルコートのポケットに手を突っ込んだ格好で水城は吐き捨てた。


「あの日、俺をトランクに詰め込んだ連中は、帰国した俺を狙ってるんだと思ってた。どっかの、関西の連中とかがさ。でもどうやら違ったみたいだね。あいつら、女の子が本命だったんだ」

「港で、聖一を見たって言ったな」

「見た。でもそんなに目立つ動きをしてなかったから見逃したんだ、通行人かと思ったしさ。死体をコンクリ詰めにして海に捨てようとしてた連中の中に、あの聖一とかいうやつがいた──俺も鈍ったな。いちばん碌でもない人間を見逃すなんて」


 恐怖と激痛に両目を見開いたままの穣の傍らにしゃがみ込み、瞼を閉じさせてやりながら水城は続けた。


「未来を予知しながら動くっていうなら、好きにすればいいさ。俺はあの男の100歩先を歩いてやる」

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