4 - 山田

 二日後。

 山田徹は高校から帰宅する途中の瞽女迫ゆたかをクルマで拾った。運転手を務める舎弟はいない。山田自らが運転することが可能な、隻腕の人間のためにカスタムした私用車だ。

 後ろに座れ、という命令を無視して、制服──葬儀の日にも見たブレザー姿の穣は助手席に乗り込んだ。山田は僅かに顔を顰め、煙草を取り出してくわえた。隣に座っているのが未成年だろうがなんだろうが、構うものか。


「適当に走らせるから適当に喋ってくれ」

「適当に……」


 その辺りを歩く高校生の半分以上が使っているものと同じメーカーのリュックを膝の上に抱えた穣が、ちらりと山田の顔を覗き込んだ。


「姉の話、していいですか」

「好きにしろよ」


 瞽女迫聖一せいいちに名刺を渡したのは斗次とつぎだけだ。それなのに、純喫茶カズイでの会合を終えた日の夜、自宅のベッドに電気毛布を敷いて就寝準備をしていた山田のスマートフォンに見知らぬ番号から着信があった。見知らぬ番号から着信があること自体はそう珍しくもないので、普通に通話ボタンを押した。「瞽女迫穣です」と囁くように名乗られて、一瞬意味が理解できなかった。誰だっけ? という沈黙を察知したのか、「昼間、新宿、カレーの喫茶店……あの、葬式」と掠れ声が立て続けに言った。それでようやく思い出した。死んだ瞽女迫澪の弟だ。高校生の弟。なぜこの番号を、と詰問するような真似はしなかった。無駄だからだ。そういう細かいやり取りは、できれば顔を合わせて片付けた方がいい。会う気なんてなかったけれど。「俺はもう寝る」と返した山田に、「は大丈夫ですか」と穣は尋ねた。それで気が変わった。なぜ彼が山田の歯のことを知っているのだ。瞽女迫澪の葬儀の日に奥歯が抜けて、それを事務所の屋根の上に投げようか、それとも庭に埋めようか悩んでいたら斗次に歯医者に行けと厳しく言われた。医者は嫌いだ。大抵の怪我は自然治癒で治るのに、いちいちややこしい手順を踏まされるのが面倒で仕方がない。保険証もないからすべて実費だし、ヤクザを出入りさせるような医者にまともなやつはいないから、結局のところ医師免許を持っているだけのの世話になる羽目になる。


 瞽女迫聖一と穣、それにホストの飛鳥との会話を終えてから、新宿で町医者をしている医師免許を持っているだけのゴロツキのもとに足を運んだ。ゴロツキには「インプラントにしろ」と言われた。手術をしなければならないそうなので、今抱えている案件が終わったら、と口約束をして病院──ぱっと見は埃っぽいリサイクルショップの奥にある小さな小部屋でしかない──を出た。奥歯が抜けるほどに殴られれば激痛に襲われ医者に駆け込むのが反応としては正常なのだろうが、残念ながら山田徹は正常な感性を持ち合わせていなかった。。生まれた時からそうだった。理由は分からない。どこかとどこかの神経が繋がっていないとか、はたまた遺伝子に何かしらの欠損があるとか、施設で暮らしていた頃からあちこちの病院で診断をしてもらいその度にそれっぽい診断書を出してもらったものだが、山田本人としてはどれもしっくり来ない。仮に幼少期には痛覚があって、長じるに連れてそれが失われていったというのならまだ実感もあるだろう。だが、最初から感じたことがない痛みについて周囲に訳知り顔で語られても、腑に落ちるはずがないのだった。


 抜けた歯のことを知っている瞽女迫穣が喫茶店での対話(山田は参加していないが)の後、駆け戻ってきた発した台詞を思い出した。「姉、予知能力者だったんです」。予知能力とは。超能力とは違うのか。良く分からない。それに、山田の空っぽの左袖を掴んだ穣の声はあまりにも小さくて、同席していた斗次や店のマスターには届かなかったらしい。「忘れ物なんだったんですかね」と斗次は呑気に煙草を吸っていたし、マスターは彼らが座っていたテーブル席周りを片付けながら「何も落ちてねえなあ」と訝しげに顔を傾けていた。


 話を聞いてほしい、と穣は言った。少しだけ時間がほしい、兄貴がいないところで話をしたい、と。


 それで山田は、わざわざ都内の私立高校の前にクルマを停めて学生たちが出てくるのを待つ羽目になった。スマートフォンのゲームアプリを適当に触っていると、思っていたよりも早く窓をノックされた。通報を受けた警察か、それとも通報前に学校側から教師が路上駐車を注意に来たのか、と顔を上げると、そこには神妙な顔をした瞽女迫穣が立っていた。

 コンビニに寄って飲み物と食料を手に入れる。穣はミルクティー、山田はほうじ茶。ふたつ買うと20円引きになるという揚げたてチキンを4つ買った。それからクルマを出発させて、首都高に乗った。人に聞かれたくない話をする時は、首都高をぐるぐると回り続けるに限る。


「姉の──澪の話です」

「ああ」

「予知能力がありました」


 山田は無言で首を傾げる。


「予知能力って分かりますか?」

「分からん」

「その……天気予報の人間版っていうか。明日、目の前にいる人間が財布を落とす、ってことが分かるっていうか」

「天気予報の人間版なら外れることだってあるだろうよ」

「そうですね。姉の予知は、基本的に外れませんでした。そういう意味では天気予報より精度が高いかも」

「ふーん」


 吸い殻を備え付けの灰皿に放り込む。穣の真摯な口調を無碍にしたくはないが、山田は基本的にそういった超常現象の類を信じていない。深く関わると面倒だからだ。


「信じてないですね」

「信じてないよ」

「……この先、次のジャンクション、すごい勢いで突っ込んでくる左ハンドルの車がいます。気を付けて」


 山田は無言でハンドルを切り、少しスピードを落として路上の様子を見る。数秒後、穣の言葉通りカーチェイスでもしているかのような勢いで突っ込んできた左ハンドルの車がいた。それも2台。


「っぶねぇな。事故るぞ」

「はい」

「あ?」

「事故が起きます。離れてた方がいいと思う」

「……おまえも天気予報ができるのか?」


 首都高でこの速度を出すと迷惑がられると知りつつも、時速を徐々に下げながら山田は尋ねた。穣は背筋を伸ばし、真正面をじっと見詰めながら頷いた。


「俺と澪は、の生まれなんです」


 目を凝らすと、進行方向に煙が見えた。発炎筒だ。先ほどの2台の車が揃って路肩にその巨大な体を寄せ、運転手同士が罵り合っているのが見える──高速道路の上で。


「馬鹿か。死ぬぞ」

「そうですね、たぶん……」


 応じる穣の顔は青白い。何も予知した光景をリアルタイムで拝む必要はあるまいと、山田はアクセルを踏み込んだ。背後で大きな音が聞こえたような気がしたが、振り返らない。



「分家?」


 先ほどよりは少しだけ、穣の話をまともに聞く気になっていた。


「瞽女迫って苗字自体あんまり聞かないな」

「もともとは山陰地方が始まりらしいんですが──うちん家とはあまり関係ないです。うちが後から名乗り始めたのかも。本当の瞽女迫さんに迷惑をかけてたら嫌だな」

「さっき分家とか言ってたけど、おまえん家は本家なのか? その、瞽女迫の?」

「父も母もQ県の出身です。瞽女迫って苗字も、結構います」

「Q県? 山陰地方と全然関係ないな。海ないだろ」

「ないです」

「山しかないだろ」

「はい」

「じゃあまあ取り敢えずそのQ県の瞽女迫の話を聞こうか。……事故渋滞始まったな。降りるか」


 首都高を降りると、そこは穣の高校からも四谷の玄國会本部からも遠く離れた都内だった。クルマを延々と走らせながら会話をするのも無理があるか。目に付いたファミレスにクルマを停め、「降りろ」と穣を促した。

 店内は空いていた。


は?」

「……平日の夕方だから空いてるだけじゃないですか? たぶん」

「ふうん」


 穣はデラックスハンバーグセットにご飯大盛りドリンクバー付きといういかにも成長期らしい注文をし、山田はガトーショコラを頼んだ。


「甘いものが好きなんですか?」

「味の濃いものが」

「……それは、歯が抜けても気にしなかったことと関係あるんですか?」

「俺の話じゃなくて、おまえの話をしろよ」


 穣の態度が次第に図々しくなる。厄介だ。子どもは好きじゃない。

 少しきつめの口調で言った山田を上目遣いで見た穣は、すみません、と呟いて、目の前のデラックスハンバーグセットに猛然と挑み始めた。山田は大きく溜息を吐き、ふところから煙草を取り出そうとして、テーブルの上に灰皿がないことに気付いた。そういえばここのところ都内の飲食店は皆禁煙だ。喫煙席はある店を探す方が難しい。

 互いの皿が空になったところで、瞽女迫、と穣が呟いた。


「先日、澪の葬儀を行った家が本家です」

「Q県にあるんじゃねえの」

「田舎ではお金儲けができないですから。俺や澪が生まれるずっと前に移住をしたそうです」

「……おまえの出身は?」

「Q県です」

「話が良く見えないな。おまえ──瞽女迫穣と亡くなった澪はきょうだいなのか? つまり、分家の生まれで」

「はい。俺と澪はQ県で生まれたきょうだいです。聖一の両親の……今は俺の親でもあるんですけど、その、母の妹が俺と澪のほんとのお母さんです」

「おまえらは、聖一の両親と養子縁組をしたってことか」

「はい」

「なんで?」

「……本家に生まれる予定の予知能力者が、生まれなかったから」


 途端に項垂れる穣の姿を見ていると、吸えない煙草が無性に恋しくなってきた。こういう辛気臭い話は好きじゃない。


「都内には喫煙可能な飲食店は少ないので、埼玉県に……」

「何が見えてるんだよおまえには」

「俺は澪ほどちゃんと未来を予知できないから、良くて数十秒、数分、ぐらいで」

「瞽女迫澪には何が見えていたんだ?」


 重ねて問う山田に、穣が真っ直ぐに顔を向ける。


「澪は、未来予知の仕事をしていました。それが瞽女迫が代々続けてきた仕事だったから……」


 穣の解説をすべて信じるならこうだ。瞽女迫家は代々未来予知という仕事で大きな金を得てきた。予知能力を持つ人間は半世紀にひとりほどのペースで誕生し、新しい予知者が現れると先の予知者は引退する。澪の前には彼女の祖母が予知者をしていた、らしい。その祖母が病に倒れても尚、瞽女迫本家には聖一という長男しか誕生しなかった。聖一には未来予知の能力はない。瞽女迫家はカネでしか動かない。政治家、大企業のトップといった分かりやすい金持ち以外に、最近はインターネットを介して名前を売り金銭を得るタイプの人間からの依頼も受けていた。予知者である祖母が寿命を迎え、次の予知者の席が空席になってしまったら、瞽女迫家が何代もかけて積み上げてきた人脈がすべて崩壊してしまう。それを恐れた本家の者たちは、Q県で生活を続ける瞽女迫の分家に能力を持つ者が生まれることに賭けた。賭けた、というか──。


「俺は会ったことのない祖母の最後の予知だったそうです」

「分家に予知者が生まれるって? 馬鹿な」

「……生まれる、ではないですね。予知の力が宿る、が正しいです」

「は?」

「俺にも澪にも、なかったんですそんな力。それが──澪が小学校に上がった年に、急に──」


 駄目だ。酒が欲しい。酒と煙草。もしくは美味いコーヒー。

 正気で聞いていられる話じゃない。

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