2 - 山田

 斗次とつぎが葬式に行くという。

 香典にしろと金を手渡そうとしたら、山田さんも一緒に来てください、と言われた。

 比較的着用する機会が多い喪服に身を包み、斗次の運転するピアッツァの助手席に乗り込んだ。普段は後部座席に座ってくれとうるさい斗次も、今日ばかりは文句を言わなかった。急に誘ったからだろう。


瞽女迫ごぜさこみお儀 葬儀式場』


 看板を一瞥した山田は、


「おい」


 と自身より頭ひとつ分小柄な斗次の肩を叩いた。


「これ」

「はい」


 斗次は振り返らずに答えた。


「水城純治さんがトランクに詰められた際、巻き込まれて殺害された女性の名前です」

「……厄介なところに、俺を連れてくるな」


 内心大きく舌打ちをしていた。ヤクザ(と思しき連中)と腕利きの殺し屋の諍いに巻き込まれて命を落とした女性の葬儀には、警察の人間も顔を出しているだろう。下手をすればマスコミも。山田徹は悪目立ちをする外見をしている。190センチ近い長身に失われた左腕。一歩足を進める度に中身のない喪服の左腕がひらひらと揺れた。関東圏にこんなに分かりやすい身体的特徴を持ったヤクザはほかにいない。瞽女迫澪の殺害に関与した疑いでもかけられたらどうしろというのだ。関わっていないのに。


「行きましょう、山田さん」


 受付で香典を渡し、芳名帳に住所氏名を書き込んだらしい斗次がすたすたと葬儀場の中に足を進める。山田は受付に座る女性たちに小さく会釈をし、ふところから香典を取り出し、芳名帳の存在は無視して斗次の後を追った。

 参列者は決して少なくなかった。聞けば今年の春大学生になったばかりの若い娘だという。同じ大学に通っている──ような雰囲気の若者たちや、もしかしたら小中学校の同窓だった──のかもしれない若者たち、それに高校で同じ部活に所属していた──と想像することができる若者たちがそれぞれの座席で身を寄せ合って、涙を流したり、肩を叩き合って慰め合ったり、とにかく色々な行動で瞽女迫澪の死を悼んでいた。


 山田には血の繋がった親兄弟というものがおらず、学校にも碌に通っていない。中学を卒業するまでは施設で暮らしていたが、その中学さえも下手をすれば卒業できず留年になるところだった。不良だ。学校に通わず勉強もせず何をしていたのかといえば、喧嘩をしていた。山田は子どもの頃からひと一倍体が大きく、目付きが悪く、山田からは何もしていないのに道ですれ違った人間におもむろに胸ぐらを掴まれるという経験を重ねて育った。売られた喧嘩はすべて買った。断る理由がないからだ。喧嘩の相手を病院送りにしたのも二度や三度ではない。その度に施設で山田を可愛がってくれていた典子のりこ先生が泣いていたのを思い出す。山田自身が病院に担ぎ込まれた時も、典子先生は泣いていた。徹くん、もう喧嘩はやめて、と自分よりもよほど大きな山田の手を両手で包んで泣いていた。結局は典子先生のその涙を裏切って山田は今ここに立っている。ヤクザという、反社会勢力の一員として。


 読経をする僧侶もまた若かった。涙声だとすぐに気付いた。故人と何か関係がある人物なのだろうか。何にせよ、瞽女迫澪という女性はずいぶんと大勢に愛されていたらしい。別段羨ましくは感じないが、彼女の不審死について詳しく調べようとする人間が現れる可能性が高いということに気付き、山田はひどく厄介な気持ちになった。ヤクザと殺し屋の殺し合いに巻き込まれて命を落としました──なんて。不自然だし非現実的だし、そもそもそんなことを言われても信じたくないだろう。だいたい遺族のもとに赴いてそんな発言をしたら、「いったいおまえは何者なのだ」という話になって、山田まで遺された人間たちの巨大な感情の渦に巻き込まれることになる。それだけは避けたかった。

 斗次の背中を追って焼香を終え、座席に戻ろうとする。最悪このまま式場を出ようとすら思っていた。だが、斗次が思いもよらない動きをした。焼香を終えた彼は、真っ直ぐに遺族席に向かったのだ。

 おい待て、と内心喚いてみるものの痩せた頬にフレームレスの眼鏡、豊かな黒髪をうなじの辺りで纏めた斗次には届かない。それどころか彼は山田の方を振り向いて、(来てください)と目顔で合図をする。

 嫌だ。行きたくない。


「失礼──この度はご愁傷様です」


 はい、と母親と思しき女性が俯いたままで応じる。その傍らに寄り添う父親らしき男性も目を真っ赤に腫らせていて、こんな状態の親族に直接声をかけようとする斗次の正気を一瞬疑う。


「昨日ご連絡させていただいた、斗次と申します」


 ところが。

 斗次が身分を明かした瞬間、親族たちの空気が変わった。年若い娘の死に嘆くだけではない。彼らは何かを知りたがっている。その答えを持っている人間が、目の前に現れた。そんな空気だった。


「一先ずご挨拶だけでも、と思いまして。詳しいお話は後日」

「いえ!」


 声を張り上げたのは、両親らしき男女のすぐ傍に控えていた男性だった。見たところ20代半ば。瞽女迫澪のきょうだいだろうか。もしくは恋人という可能性もあるが。どっちでもいい。山田は一刻も早くこの場を去りたかった。

 面倒なことになる。


「父さん、母さん、俺ちょっと外に出てくる」


 あ、やっぱりきょうだいだったのか。今にも倒れ伏しそうな雰囲気から一転、自分で立ち上がることはできないものの斗次と山田を縋るような眼差しで見詰める父親と母親に声をかけ、男性は席を立った。兄貴、俺も行く、と制服姿の少年がついてきた。おとうとまでいるのか。なんてことだ。


 葬儀はまだ終わっていないのに、斗次、山田、それに瞽女迫澪のきょうだいであろう男性ふたりは式場を出た。


「立ち話でも構いませんか?」


 兄らしき年長の方の男性が尋ねた。斗次が肯く。山田は黙っていた。

 四人は式場の外にある喫煙スペースに移動した。未成年もいるのに、と山田は思った。普段はそんなこと微塵も気にならないのだが、今は無性にそれを指摘したくて仕方がなかった。未成年は、中に戻りなさい。ここではみんな煙草を吸うから、戻りなさい。

 斗次が取り出した紙巻きに、兄らしき男性が火を点けている。距離が近すぎる。兄らしき男性が山田をちらりと見、ライターを手に小首を傾げる。あなたも吸いませんか? だ。観念して、斗次に声をかける。


「おい」

「はい」


 斗次に紙巻きを口元まで持って来させ、火は兄らしき男性から貰った。こんなところで煙草を吸う予定はなかった。


「あ」


 弟らしき男性が声を上げた。


「それ、姉と同じ煙草です」

「そうなんですか」


 成人男性ばかりの輪に入るための切っ掛けを探していたのだろう。声変わりしたばかりと思しき少年の声に、斗次が目を細める。


「お姉さん、煙草を」

ゆたか!」


 兄らしき男性が、弟らしき男性──穣に咎めるような声をかける。それはそうだろう。


「未成年」


 山田はぼそりと呟いた。この式場に足を踏み入れて、初めて言葉を発した。


「未成年だったでしょう、お姉さん」

「19歳だから、成人です」


 穣が慌てた様子で言い募る。今の法律ではそうだろうが、酒と煙草はハタチから、だ。

 小さく嘆息した兄らしき男性が、


「瞽女迫聖一せいいちです」


 と名乗った。


「瞽女迫澪の兄です。こっちは穣。弟です」

「初めまして。斗次と申します。ええ──」

「澪の遺体を見付けてくれた方、ですよね」


 話が早い。遺体、と発声する聖一の目は潤んでいたが、会話ができる程度には彼は冷静だった。


「警察の方もあまり詳しく教えてくれないんです、その、妹が」

「どのような状況で亡くなっていたか、ですか?」


 このやり取りに自分が参加している意味がよく分からず、山田はひたすらに紫煙を吸って吐いた。山田同様会話に参加していない穣も手持ち無沙汰な様子で兄の傍に立ち尽くしており、時折こちらを見上げてくるのが厄介だった。カタギの、高校生と、葬儀場でいったい何の話をしろというのだ。だいたい山田はこの──瞽女迫家に対して名前も身分も明かしていない。立派な不審者だ。

 山田が灰皿に紙巻きを投げ捨てた瞬間、斗次が新しい煙草を差し出してくる。聖一もライターを構えている。この一連の動きは果たして必要なものなのだろうか。何も分からない。


「お伝えした通り私はという仕事をしているのですが、まあ、お葬式についての色々なことを遺族の方と打ち合わせして決める……仕事の中に人の『死』が関わってくるという点以外はふつうのサラリーマンです」


 たしかに斗次は普段、『葬祭ディレクター』を名乗っている。斗次の配下の掃除屋たちも皆『株式会社斗次葬祭』の名刺を持っている。この世には存在しない会社だ。いわゆるペーパーカンパニーというやつだ。


「それで──まあ、サラリーマンですからね、オフィスに出勤して、仕事をして、帰宅する。その帰宅途中、駅に向かう道すがら通りかかった公園のベンチで、瞽女迫さんのご遺体を発見したんです」

「……」


 聖一と穣が無言で視線を交わす。まるで納得していない様子だ。


「……その話は、警察の方からも聞きました」


 やがて、聖一が呻くように言った。


「嘘ですよね?」


 斗次が無言で眉を跳ね上げる。聖一と斗次はだいたい同じぐらいの身長で、目線の位置も近い。くっきりとした二重まぶたに大きく潤んだ黒い瞳で見据えられた斗次は、しかし然程動揺はしていなかった。


「嘘……だと思われる理由は?」

「澪が、そんなところで死ぬ理由がないからです」


 やっぱり面倒なことになってきた。帰れば良かった。いやそもそも掃除屋斗次に他人様の葬式に誘われた時点で断れば良かった。

 今の山田徹はそれなりに忙しいのだ。何せ組から放逐したはずの殺し屋水城純治が堂々と凱旋し、組の縄張りで元気に人を殺している。一刻も早く水城を探して捕まえなければならない。巻き添えになった瞽女迫澪には心底同情するが、彼女の個人的な家庭の事情にまで首を突っ込んでいる暇はない。


「兄貴」


 無言で睨み合う格好になった斗次と聖一のあいだに割って入るようにして、穣が声を上げた。


「お父さんが──」


 喪服姿の瞽女迫家の父親が、喫煙スペースから少し離れた場所でこちらを見ていた。そろそろ出棺の時刻なのだろう。


「日を改めましょう、聖一さん」


 斗次が言った。


「私は逃げも隠れもしません。……今日は、澪さんをきちんと送り出してあげてください」


 鋭く息を呑んだ聖一の両目から、大粒の涙が溢れた。眉を下げた斗次は黙って彼の背中を押し、憔悴した様子の父親の方へと歩かせる。やっと終わった。一旦は。

 小さく息を吐く山田の喪服の左側の袖を、クイクイと引く者がいた。


「──おじさんは、」


 瞽女迫穣の真っ直ぐな瞳の前で、山田の奥歯が一本抜けた。先日岩角遼に殴られ蹴られした際に、グラついていた歯だった。

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