第一章 冷血

1 - 山田

「埠頭に5人、確認。使われた銃弾は全部で5発」

「一撃必殺」

「はい」


 仕事を終えて戻った掃除屋・虹原にじはらの台詞に、山田やまだとおるは大きく嘆息した。


「おかえり、水城純治ってとこか」

「間違いないんですか?」


 訝しげに尋ねる虹原の横顔に、山田はうっそりと笑う。


「おまえは知らないのか」

「自分は、水城さん──という方が去られた後に採用されたので」

斗次とつぎは?」


 のリーダー格である男の名を出して問えば、虹原はゆるゆると首を横に振った。


「知る必要がないと」

「まあそうか」


 煙草を咥えた山田に、虹原がサッとライターを差し出した。左腕の肩から先を丸ごと失っている隻腕の身としては、こういった気遣いはありがたい。

 煙を吸い、吐く。


「もうひとり、女の死体があったと聞いたが」

「はい、そちらも滞りなく」

「身元は?」

「電話でも説明があった通り、身分証を幾つか所持していました。免許証と、それに都内の大学の学生証──。女性を殺害する際に拳銃は使わなかったようで、取り急ぎ場所を移動させて不審死ということで警察に通報しました」

「誤魔化されてくれるかなぁ」


 座布団の上にあぐらをかき、紫煙を天井に向かって吐き出した。傍らに正座をする虹原は、先ほどから体をまったく動かさない。もっと楽にしてくれていいのに、と山田は思うが、滑稽なまでに上下関係を重視するヤクザの事務所ともなればそうもいかないだろう。

 ここは東京四谷、関東かんとう玄國会げんこくかいの総本部。山田徹は一応は幹部の身であり、死体処理を専門として動く掃除屋の虹原たちからすれば雲の上の存在だ。掃除屋をゴミ食い虫だと馬鹿にする同僚ヤクザがいることを山田は知っている。彼らがいなければ、好き勝手に人間を処分することはできないのに。掃除屋の意見や考えは尊重すべきだ。掃除屋を虫扱いし、殺しを実行する殺し屋をイヌ呼ばわりする連中と、山田の考えは根本的に違っている。自身の手で人を殺したこともない、死体を片付けたことすらない、金儲けだけに精を出している奴らとは見ている景色が違うのだ。


「ま、いいか。上には俺から報告しておく」

「お願い……していいんでしょうか?」

「構わない。俺の方が殴られ慣れてる。斗次にも伝えとけ」


 立ち上がった虹原は最敬礼をして、足早に和室を出て行った。半分ほど吸った紙巻きを硝子の灰皿に捻じ込んだ山田も、小さく息を吐いて座布団から腰を上げた。


 関東玄國会若頭・岩角いわすみりょうの機嫌は最悪だった。集まった幹部衆の目の前で、木刀で殴られた。昔は他人を殴るのに道具を使うような男ではなかった。昔。20年も前の話だ。出会ったばかりの頃だ。山田以外に知る者は少ない。もしかしたら岩角本人も忘れているかもしれない。顔を、体を、足を、散々に殴られ、少しよろけて倒れたところを数回蹴りつけられ、岩角は肩で息をしながら山田の黒髪を引っ掴んだ。あまり強く引っ張らないでほしい。禿げてしまう。


「水城だと?」

「ああ」


 しゃがれ声で山田は答えた。


だ」

「死んだんじゃなかったのか!」

「現在、日本国内にはいない。そういう報告しか受けていなかっただろう」

「俺は死んだと聞いていた!」


 誰もそんなことは言っていないと思う。たぶん。岩角という男は玄國会の長い歴史の中でも有り得ないほどの若さで若頭の地位を手に入れ、今もその地位は盤石だ。頭の回転が速く、真面目で、冷酷で、他人の命を路傍の石ころ程度にしか思っていない。金儲けもうまいが、決して金が好きなわけではない。ただ、金の持つ力をきちんと理解している。

 それに何より、岩角は美しかった。尋常ではない美貌を持つ男だった。白皙の肌、艶やかな黒髪、美しく通った鼻筋、形の良い眉、切長の目にくっきりとした二重まぶた。瞳の色は光を集めるたびに変化する宝石のような灰褐色だ。彼が目を伏せる度に頬に落ちる濃い影に、見惚れた経験がない者は少なくともこの組織の中にはひとりもいないだろう。瞬きをすれば空気が柔らかく揺れた。薄いくちびるには常に血の気がなく、それでいて奇妙に水分を含んだ色気のある口元をしていた。


 岩角は有能で、美しい男だ。


 その男が、水城純治の名を聞くだけでここまで壊れる。まだ姿を目にしたわけでもないのに。水城純治の名を騙る赤の他人かもしれないのに。


「探せ」


 東京都内にいる玄國会関係者のうち、それなりの力を持つ人間だけがこの場に呼び出されていた。ヒトとカネを動かす能力。人探しにはそのふたつが必須だ。


「水城純治を連れて来い。生きてても死んでてもいい。──ああ、できれば殺せ」


 その声に恐怖が滲んでいることに、気付いたのは山田だけだろう。

 恐れている。水城に命を奪われるのではないかと。

 幹部たちに檄を飛ばす岩角の顔を、倒れ伏した畳の上からそっと見上げた。絶世の美貌を持つはずの彼が、少しだけ歪んで見えた。

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