12:剣士という名の護衛。

 そうして追って来て、遭遇した現場は血にまみれた。


 一瞬、四之助は自分の口から飛び出した刃に、目を向けた。

 それから馬車をつかむ腕の力が抜け、路上に置き去りにされた。なにもわからない様子の奈津美はえ、とつぶやいたきり、四之助の腕の中に抱かれたままになっている。

 次いで四之助の口から泉のごとく血が吐かれるまでに、奈津美の口から鮮血があふれ出た。


「え」


 なにも気づかない様子で、口元に手をやる。命の流出は、白い洋服の胸を内からじわじわと染める色合いに、端を発していた。

 鋭く二回の刺突が車内から放たれ、一撃目が四之助の背を通り奈津美の胸を、二撃目が後頭部から口腔まで四之助を貫いたのだ。


「……あ、く、せっか、く、わた、しの、あかちゃ、あああ」


 事切れる瞬間、夢うつつのようにささやいて、奈津美の首が仰向けに折れる。立ちすくんでいる小雪路は無表情に見下ろす。


 馬車の進行方向を予測し、先回りするように道を選んできた井澄たちは、そんな現場に出くわすはめになった。素早い蹄の音を遠のかせて、馬車は街灯の少ない道へ消えていく。


 奴らにより、二人を殺す手間は省けた。が、このままでは真犯人を逃してしまう。


「小雪路っ」


 井澄の眼前に靖周は躍り出て、しかし追え、と口に出すこともない。羽織の懐に手を入れた彼の声に反応した小雪路は、後ろをかえりみてこくりとうなずく。次いで、ぎしりと顎の間接が軋みそうな笑みを浮かべた。


「……横取り、掻っ攫い、けじめの奪取……もう許さん、よ」


 ぐ、と低く屈みこみ、跳躍の姿勢を見せる。もう馬車との距離はかなりのものとなっており、いかに機動力に優れる小雪路が摩纏廊を駆使しても、追いつくことはまずできまい。


 だが二人は兄妹で、この島で生まれ落ちてから今日まで、助け合って生きてきた。個々の力で別々に動くのではなく、連携する力の運用法を実によく心得ている。


 取りだされた、文言と印を記した薄い和紙製の符札ふさつが、小雪路の背に一枚、小雪路の足下に一枚、張りつく。靖周が両手を合わせ打ち鳴らし、発動の文言を紡いだ。


「――〝空傘からがさ〟!!」


 足下へ落ちた符札が弾け、師走の冷たい空気を太く打ち抜く音がした。馬車のほうへ引っ張られるように力強く、小雪路が空中へ飛び出している。そして近くにあった二階建ての家の壁面へ足から着くと、摩纏廊の術を施した下駄で滑りゆく。建物から建物へ跳び移り、通りを歩む人々の頭上を滑る、滑る。


 この疾走が推進力の助けを徐々に失い、落ちそうになったところで、小雪路は靖周に向けて視線を送った。再び靖周が叫ぶ。


「〝空傘〟!!」


 背に張り付いた符札が弾け、再加速。前傾姿勢になり、背に受けた突風のもたらした恩恵を余すところなく使いこなし、小雪路は壁面を滑走し続ける。


 ……神道系術式〝空傘〟は符札を魔力の媒介となし発動する代物であり、さる神への信仰により風の加護を受ける術である。仕掛けは小雪路の摩纏廊よりは単純明快、魔力を込めて設置した符札を目にしながら力を送ることで、符札の上に爆発的な風を巻き起こす。ただそれだけの術である。


 しかし風の力は馬鹿にはできない。特に小雪路と組んで術を併用すれば、互いの技の応用の幅は格段に上がる。

 この連携こそ井澄と八千草が四つ葉に来る以前よりアンテイクに勤め、この年齢まで生き残ってきた二人の要ともいうべき、研ぎ澄まされた技術だ。


 ちなみに小雪路の摩纏廊の発動媒介は髪を結っている赤き飾り紐で、その実体はぬえひげを織り込んであるとのことだが、術式の系統としては神道なのか陰陽道なのか修験道なのかよくわかっていない。わからなくとも使えればよい、というていであるらしい。


「逃がさんよ、今度こそ」


 一町半ほど先まできてとうとう、馬車と並走する。瞬時に壁を蹴って小雪路は馬車へ跳び、くるんと空中で前転した。回転による勢いにのせて足を天高く振り上げ、下駄のかかとで、左の前輪を狙う。


 破砕の音が遠く小さく鳴り響き、危うげに馬車が揺れる。次に左の後輪も砕かれ、とうとう崩れる。小雪路が飛びのいた位置へ馬車が倒れ、急激な摩擦で重みを感じた馬がいななき、倒れる。重く辺りを震わすずずん、という音のあとに、少しの間滑っていって馬を巻き込んだ馬車はやっと停止した。


 井澄たちは走って近づく。小雪路もてくてくと馬車に近づくところだった。ここにきてはっとして、井澄は横の八千草をつついた。


「御者は、無事でしょうか」


「あ。人質か」


「おい妹よ! 御者助けとけ!」


 いまさら人質のことを思い出した井澄がぼやくと、靖周が素早く命令する。りょーかいー、と両手を口の前で筒のように構えて小雪路は叫び、砂煙をあげて停止している馬車に近づいていく。


 すぐに砂塵の中から御者の久保を見つけ出し、肩に担いで持ってきた。あいた片手を振りつつ、怪我はしとらーん、と口にする。ほっとして井澄は胸をなでおろした。人質が殺されれば、月見里に報復されかねない。


 そこでゆら、と小雪路の背後で、砂の中に影が落ちる。


「っ、伏せろッ!」


 靖周が怒鳴る。おっと、などとさほど焦ることもなく、小雪路は続く一歩を大股にとり、下駄を滑らせて低く身体を縮めた。頭上を一閃がかすめ、砂煙が両断される。


 両断された向こうにある影は、二つ。


『……おお痛い。馬車ごと倒すような暴挙に出るとは。恐ろしい連中みたいだね、ルドガーさん』


『けっ、なにが恐ろしいもんかね。恐ろしいってのは酒がないときにだけいうんだ。相変わらずお前の考えは俺の理解からはほど遠いぜ、ベルトハルトよ』


 耳慣れない言語が飛びだしてきた。井澄は久しぶりに聞く言葉だったが、すぐに使い方を思い出す。


 出てきたのは、異国の人間であった。先に言葉を放ったほうは、短く刈り込んだ金髪と銀縁の眼鏡がまず目に入る。しかし皮肉るように笑んだ口元は、歯ぐきが見えるほど唇がめくれあがっていた。鼻は下を向いてひしゃげ、頬がこけているせいで、鼻から下の人相のほうが目に焼きつく。彼はシャツに黄土色のジャケツをまとった長身痩躯を猫背に折り曲げており、右手にはたったいま振るったのであろう、全長四尺ほどの長剣ロングソウドが握られていた。


 もう一人は、早口でまくしたてる赤ら顔の男だった。先の男より背は低いが、そのぶんがっしりとしていて、筋肉のせいで首と肩の境界がわからないような体型をしている。こちらはシャツにズボンだけの簡素な格好で、腰にはやはり長剣を提げている。ちぢれた茶髪と伸びた口元の髭が汚らしく、瞳孔の細い青の瞳を、怒気で満たしてあたりを睥睨へいげいしていた。


「異国の民か。……、」


 つぶやいた八千草が黙り込んで、しばし。そしてちらと井澄の顔をうかがった。即座に応じた。


「聞いてくれればなんて言ってたか教えますよ。八千草、外国語は苦手でしょう」


「うっ。ぼくだって、英吉利エゲレス語なら、まだ、多少は……でもあれ、ちがうだろう?」


独逸ドイツ語です」


「……いいなあ、お前語学が達者でいいなあ」


「聞きたくない罵詈雑言の意味もわかっちゃいますけどね」


 素直に尊敬の目で見られたので、ちょっとだけ得意げになりながらも、井澄は男たちを見つめる。ルドガーは痛いだのなんだのと言いながら、あたり散らすように壊れた馬車を蹴っていた。ベルトハルトのほうは井澄たちにじっと視線を注いでおり、剣も抜いたままで応対するつもりらしい。刃の圏内から逃れた小雪路は道の端に久保を放置すると、横から回り込むようにして二人への距離を詰めつつあった。


 眼鏡の位置を直しながら、ベルトハルトは両手で剣を構える。八双にちかい、剣を天へ向ける上段の構えへ。


『さて、ヤーパンの殺し屋ども、ですか。まさかあの店から追いついてきたとでも? などと言っても、通じていないかな』


『あいにくと通じてますよ。四つ葉ここに来る前いろいろあって、いろいろ学んだ身の上でして』


『ほお。けれど僕らの言語を学べる場は、まだこの国にはそう多くなかったような……使節団について国外をまわったクチかな?』


『出身については機密事項なのでお答えできませんね。それよりなにより、この場をどう収めるおつもりですか』


『ふむ……せっかくあの店からは逃れられたんでね、できればこのままお見逃しいただきたいが』


『こちらはその店に雇われた身でしてね。ただで見逃すわけにはまいりません』


『あー、いまの僕らの主人の所持金は五百円ほどだが、いかがだろう?』


『私どもの四つ葉での信頼と将来を売るには、ちと安すぎますね』


『お高くとまってみせるねえ』


『……下らぬ時間稼ぎの対話はやめにせよ、双方』


 侮蔑に満ちた、嘆きの言葉が車内から轟く。天を向いた馬車の扉から、がしゃ、と硬質な金属音が聞こえた。次の瞬間には、横を向いた馬車の天井に三連、斬撃が入って切り裂かれる。蹴り飛ばされたか、斬られた天井がただの板きれと化して倒れる。


 鉄塊が、闇の中より重たさと鈍い光を伴って現れた。なめらかな曲面で身体を覆う、全身装鎧プレエトメイルに存在感をまとわせた男が、左手に円形の軽量盾バックラー右手に片手剣ブロウドソウドを携え、歩み寄る。


『そちらは元より逃す気はなく。こちらも元より逃す腹積もりはない。無駄な言葉を空費するは限られた時への冒涜ぞ。語るならば剣で語れ』


『ああまったくだ、まったくその通りだと思うよ、俺っちも』


 続けて出てくるのは飾り羽根をつけた黒いベレエ帽をかぶった男で、鼻筋の通った色の白い顔に似合う、深く澄んだ滅紫けしむらさきの目をしばたいた。帽子からはみ出した頭髪は栗色で、背に流してひとつに結んでいる。


 シャツに鼠色のチョツキを合わせ、左肩から足下まで被外套マントを垂らし、隙間にのぞく手には純白の手套をはめている。それよりは色みがあり、ぴちりと肌に張り付くようなズボンと、茶色の革靴が別個の生き物のように彼を前へ運んでいた。左脚の横には、やはり、一振りの剣が提げられている。全長三尺に満たない、刀身の細い剣だ。拳を守る、半球状の鍔のようなものがついている。


『だから行ってくれ大将、守ってくれ主を。この場の足止めは引き受けるよ、俺っちたちでな』


『アラトリステの言う通りだ。我々騎士の勤め、ここで果たさずしてなんの剣か』


 全身装鎧の男のひと声で、馬車の沈黙が破れる。だん、と弾ける音とともに、馬車の扉から人影が飛びだす。人影はだれかを抱えており、そのまま通り向こうの闇へ駆けていく。横から回り込もうとしていた小雪路がこれを追わんとしたが、そのときには眼鏡の男、ベルトハルトが進行方向へ剣を横薙ぎにしてゆく手を塞いだ。


『通しはしないよ』


「なんて言ってるん?」


「見たままですよ」


 ふうん、と冷めた目で小雪路はベルトハルトから目を逸らし、残る三人も次、次、と見ていった。傍目には冷静に見えたが、戦いに横やりを入れられたことで生まれた内心の激情をぶつけるあてを探していることがありありとうかがえた。


 やがて観察の過程で、アラトリステと呼ばれた、細い剣の持ち主に目を留める。


「あんたか」


「なにがですか」


「……うちの相手しとったあの二人、刺し殺した奴。ほかの奴からは鉄と剣の手入れ油の匂いしかせんのに、そいつからは血と脂の匂いがしとるんよね」


 まだ剣を抜いていないアラトリステは、井澄たちの視線に肩をすくめた。ざわりと、小雪路からの威圧が増す。彼女の、狂気に満ちた視線が辺りを蹂躙する。両手が視線に沿って、凶気を纏いうごめいた。


「やっていいのん?」


「だめです」「だめだよ」


 八千草と井澄の声が重なる。井澄は本日二度目ですね、と思ったが、状況が状況だからかどちらもなにも言わなかった。


「お前が一番機動力があるのだからね。逃げたあの男を追え」


「……わかったのん」


 不服そうではあるが、八千草の指示には従った。ふいとベルトハルトを迂回して走り出し、馬車へ向かって一直線に進む。伝言が、風に流れてきた。


「代わりに、殺しといてね」


「わぁってるよ」


 靖周が答え、赤ら顔のルドガーがぴくりと動き、アラトリステも柄に手をかける。小雪路の前に、全身装鎧の男が左半身で盾を構え立ち塞がった。


『通さぬぞ。我が騎士の誇りにかけ主君は守る』


「邪魔」


 両手を打ち鳴らして詠唱し、術をかけ直した小雪路は下駄に余すところなく踏み込みを伝え、強めた摩擦により地面に深く力を刻んだ。瞬間的な加速で、香車のごとく突進する。男は鼻で笑った。


『無手無策とは無謀な!』


 男の軽量盾が動く。西洋剣術、特に片手剣と軽量盾の組み合わせは、盾により先の先をとり、相手の剣を弾くこと。盾で殴りつけ、ひるんだところを斬ることなども戦型の主眼に置かれている。ただ守るだけのものでなく、能動的な攻めの防具なのだ。


 当然、無手の小雪路に対して盾は防具としての顔よりも、鈍器としての表情を強く印象付けるものとなる。殴るように突き出された盾は小雪路に攻撃を加えながら、視界を狭める。相手の剣がどこからくるかわからない状態に追い込むのだ。それでいて全身装鎧の防御力は、拳や蹴りを主な武器とする者にとっては天敵と成り得る。


 刃が後ろへ振りかぶられ、斬撃が、せりあがる。


 ただそこに、歯ぎしりが聞こえた。


「聞こえんかった? 邪、魔」


 ――けれどあれは三船小雪路。拳や蹴りを用いるただの武術家ではなく、四つ葉を生き抜いてきたアンテイクの人間なのだ。


 両掌へ、摩纏廊による摩擦力強化を切り替える。突き出された盾を、丁度相手の腕が伸びきった瞬間に当たりにいき、右前腕で防御。そして手首を返して縁をつかみ、引き寄せる。どっしりと低く構えていた男は体勢を崩すことはない。ただ無情に、斜め下から小雪路へ切り上げを放りこむ。


 がつ、切り上げが止まる。小雪路の身体に食い込んだためではない。


 下駄の裏で、踏みとめられていた。


『なぜ、切れぬ?!』


「鉄板仕込み」


 そして盾をつかんだ手を外に投げ出すことで、相手の前面をこじ開ける。男は剣から手を離し、拳を固めて殴りかかる。判断は早かった。手放しで褒められるほど早い動作だ。しかし、小雪路の相手をするにはその程度では足りない。


 拳の下を掻い潜り、相手の肘の内側に己の右肘の内側を擦りあわせ、巻きつける。そのまま背後へ躍り出て背中を左手で突き飛ばし、右腕を引いて地面に押し倒す。背中に乗ったままで、小雪路は右腕を絞り上げた。


『く、――かかれ!』


 男の判断はやはり早い。己が無力化されぬうちにと、すぐさま残り三人に呼びかける。三人はこちらへの注意をこぼさぬまま、斬りかかる。


 けれど小雪路の前ではすべてが遅すぎた。全身を防御している鎧の、ただ一点、最初からそこだけを狙っていたのだ。


「〝衣我得ころもがえ〟」


 ぞりゅ、と掌で握り込み、愛撫するように、しごくようにして削ぎ裂く。剣を持っていた指先――さすがに鎧で固めるわけにはいかない、その部位を。次いで左手も同様のことをなして、男の左膝と首筋を踏み抜いて、離れる。三人の剣は虚空を切った。すぐに追尾しようと切っ先が彼女を向くものの、


「進んでください小雪路!」


 注意を引くべく羅漢銭の六連打で、井澄が三人を狙う。


「こっちは任せろ、〝空傘〟ッ!」


 さらに硬貨幣を風で加速させ、殺傷力を上げる。無視できない威力で迫る飛来物にさすがに対応せざるを得なくなった三人は、それぞれ剣先をこちらに向け、いなし、受け、流した。倒れ伏した全身装鎧の男に目を配り、彼が羅漢銭に反応もしなかったところから、気絶していることを悟ったようだった。


 小雪路はまたたく間に加速していき、得意の嗅覚で以て逃げた二人を追いかけはじめる。人ひとり抱えた奴の機動力などたかが知れている、さほど時間をおかず追いつくだろうと井澄は判じた。


『……逃したね』


『まさか一人やられるとは、な! ありゃぁ傷が癒えるまでは女どころか自分の剣すら持てねぇぜ』


『下世話な話はやめよう、ルドガー』


 だれともなく、溜め息をつく。状況は硬直した。相対する三対三の間合い、約五間。広くも無い道に殺気がちりばめられ、歩く人は皆一様に道を変え、ぽっかりと人の密度の減った空間が現れる。こんなことも四つ葉では、ありがちな状況なのだ。皆、対処法は知っている。『見ない知らない関わらない』だ。


「ってなわけであんたらの相手は、俺たちだぜ」


 くわえた煙管を上下させながら、左手で符札を数枚、右手で短刀を抜き放った靖周が不敵に笑って言った。仕方なしにといった体で八千草もアンブレイラを構え、これに合わせた井澄も、両手親指へ指弾のための硬貨幣を載せた。


「でも言葉通じてねーのか。どうにもしまらねーな」


「伝えましょうか」


「お、助かるぜ。やっぱ語学ができるってのはいいよなー。俺、しんのほうのと英吉利のはいけるんだけど、独逸はちっとな」


「独逸学はさほど盛んに学ばれていませんからね」


「でもこうして直面すると、必要な気がしてきたぜ。Global communicationの時代なんだろな、やっぱ」


「……なに? 苦労する、こみゅにけいしょん?」


「意訳にしては的を射ているような気がします」


「う、うるさいなっ。だからぼくは語学はだめなんだと」


「あーとりあえず駄弁るのは終わりにすっか。やっこさん、だいぶ痺れきらしてるぜ」


 ちょっといちゃつくことができてほくほくしていた井澄に水を差し、構えをとった靖周は顎でしゃくるように三人のほうを指した。


 見れば、ルドガーは右半身に、頭上で地面と刃が水平になるように。腰を低く、重く長剣を構えている。恐らくは刺突か手首を返しての裏刃が狙いか。


 ベルトハルトは先ほどと同じ八双、天を突く威嚇の構え。長身を活かした長大な間合いを思わせ、頭上からは岩を載くがごとき重圧が降りかかってくる。


 そしてアラトリステは、細く、しなってしまいそうな両刃の剣を抜いて、切っ先をこちらに突きつけ右腕を真っすぐに伸ばしていた。半球状の鍔らしき物越しにこちらを見ていて、被外套をはためかせ、足の間は肩幅より狭いくらい。特に重心は低くない。観察を済ませた井澄たちに、靖周が指を一本立ててみせた。


「一人、一殺だ。犯人はさっき逃げた主人で間違いねーし、こいつらはただの雇われ、真の下手人ってわけでもねぇ。……そう、俺らと同じ、ただの雇われだ。殺すに難くない立場の人間に過ぎねぇ。だから殺せ」


 命は人山ひとやま幾ら。


 罪重つみかさなってようやく幾ら。


 この観念がこの場の誰より染みついている男は、垂れたまなじりに無情の容貌をのぞかせて、短刀を低く構えた。八千草が顔を引き締め、瞳に浮かんだ、殺人への戸惑いを投げ捨てた。井澄はこれにならうまでもなかった。ベルトハルトが殺気と言葉を飛ばす。


『では……そろそろ、はじめようか。僕らも早くきみたちを倒し、さっきの女の子を追いたいからね』


『やめたほうがいいですよ。あいつは追われるより追っていたいって女ですから』


『はっ! だそうだぜ、ベルトハルト? 女の尻を追うのが生きがいのお前にゃあ耳が痛いことだな、は!』


『ルドガーさんだってそれは同じでしょう?』


『んん? ああ、ちげぇねぇな。酒と女は世の中と頭を回す。つまりすべてを回してるんだからな。性欲からは、逃れられるはずもねぇさ!』


『あなたがたの主人も同じですか』


 問いかけに、赤ら顔のルドガーは鼻を鳴らして答えた。


『当然よ。この島にゃ貿易の用事で来たらしいが、それもどこまで本気なのかね。あいつは民俗的な衣裳の女を飼って、服を引き裂きひっぺがすのが趣味なのさ! しっかし仕事忘れて女のケツ追っかけまわすうち、溜まった仕事に追いかけられ。挙句に自分のケツに火がついてんだから始末に負えねぇ!』


『仕事で溜まった嫌な気分を、女で晴らしていたんだよ。ところがあの人はさっきルドガーさんも言った通り、激しくするのが好みでね。無理やり手ごめにしようとして、抵抗されたから首を絞めた』


 なるほど、と思う。そこで三人目の娼枝は、奈津美たち通り魔の仕業に見せかけられるべく、あの薄暗い路地で腹を裂かれたのだ。けれど死後であるため血はさほど流れず、あの奇妙な現場ができあがった、と。


『くだらない人物を守ってるんですね』


『ああー、でも奴は金持ちだからな。金のためなら俺たちゃ、空の酒樽だって守るさ。騎士道もひとやま幾らの時代だぜ』


 は、と髭の奥でルドガーは下手な作り笑いを浮かべた。血の気の多い男に見えたが、彼が憤りを感じているのは状況や相手ではなく、こうしてここにいる自分自身に対してなのかな、などと考えて、すぐに井澄はやめた。


 相手を知ろうとするのは、同情を生む。同情は油断と隙を生む。殺しに必要なのは体力知力判断力実行力生命力それと少しの運。決断力は最初に持っておけ――師の言葉を思い返した。


『それくらいにしよう、二人とも。あの子が強いのは重々承知だろう? あいつが倒されたんだから。放っておくと危ないかもしれない、いくら大将でもな』


 アラトリステは会話を遮り、切っ先から井澄を見据えた。鋭い目線には感情が薄く、それは殺してきた人数を思わせる。仕事は時間を切り売りするものだが、殺しは、人間性の切り売りなのだ。ぞくぞくといやな鳥肌が湧き出る。


「始めようってか」


 靖周が察したように言った。


「わかるん、ですか」


「気配の濃淡でわかる。温度っつーか湿度っつーか、なんか変わるんだよ……じゃあ名乗っておくか、ひさびさに四人での仕事だし、観客になる通行人も少なくねぇ。宣伝にはなるだろ。それに」


「ああ、異邦人ならば面と名が割れても問題なさそうですしね。では、八千草」


「ん、わかった」


 声をかけると、すっと目を細めた八千草が応じてくれた。代理店主として、アンテイクという四つ葉における強者の一角として、


 名に恥じぬ戦いをするとの意志表明として。


「――緑風筆頭・アンテイク所属。店主代理〝音無草ねなしぐさ〟の橘八千草」


「同じく緑風アンテイク所属、従業員纏め役〝殺陣鬼さつじんき〟の三船靖周」


『彼らに同じく、アンテイク所属従業員筆頭〝爪弾きつまはじき〟の沢渡井澄』


 名乗りを終えると、向こうの気配がさらに変じる。もうあとはぶつかるしかない、いままでに幾度となく感じた戦いの気勢を肌に感じて――それぞれがそれぞれの戦いの中に、身を委ねていった。


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